下笠輪中の悪水はすべて五三川水路によって津屋川に落としている。五三川水路を堰止めると下笠輪中の悪水が落ちなくなってしまい、輪中内の笠郷、広幡、上多度などの田んぼに水が溢れることになり、逆に大量の水を一気に流すと下流の釜段(かまんだん)の辺りが被害を被ることになる。排水機維持管理費は地区ごとに負担していたが、負担割合の不公平による地区間の摩擦があった所に、昭和32年(1957)頃の大雨で笠郷の水騒動が起こった。
昭和32年(1957)頃に大雨が降った。大量の水が一度に流れて来るのを恐れた釜段の人が大場の八幡神社辺りで五三川水路を塞いでしまい、下流に水が流れないようにした。すると下笠輪中内の笠郷、大場、根古地の人々が困ってしまい、下笠地区内のお宮さんに集結した。この時は機動隊が出る大騒動になり、青年だったA氏も出かけていったが、住民と機動隊の間にはさまれてしまい、大変な目にあった。下笠輪中水利組合の会長であった安田正鷹氏が来て話し合いが行われ、水を落とすことで一段落したが、話し合いに時間がかかりすぎて既に水が引いていた。
下流の釜段の人は水に浸かると稲がダメになるのでとにかくまず水が来ないようにして、騒動により時間稼ぎをしていたのであろうと思う。排水機維持管理費に加え、河川の維持管理費の問題もからんでいたのかもしれない。
騒動には地区的には池辺ではありながら大場は下笠輪中内に田んぼがあるため笠郷側についていた。それが昭和最後の水騒動だった。
戦争以降は輪中根性は無くなって少々のことがあっても寛容になった。

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表示位置は五三川水路を示している。