A氏が子供の頃の昭和20年代から30年代にかけて、除川やオダ(漢字不明)川(字村東)でフナ、モロコ、ハエ、オイカワを釣った。魚釣りをしたオダ川の場所は、2012年頃に9軒ほど家が建った場所の南側である。押越の川の水はほどんどそこへ流れていた。
高田地区押越字流(ながれ)地内にあった大池ではナマズや雷魚が釣れた。釣った魚は、家へ持って帰って食べた。モロコ、ハエ、オイカワは、家族に喜ばれた。ドンコツという、頭が丸くて黒い魚や、アブラタ、ドジョウなどの外道は、家で飼っている鶏のエサにした。当時は大体の家が鶏を飼っていた。
魚釣りに使うテグスは、釣り屋さんで売っていた。水に入れると透明になって、見えなくなった。当時のテグスは今のようなナイロン製ではなかった。おもりは、鉛玉を使った。鉛玉は売っていたが、自分で鉛を溶かして作る子もいた。
浮きも、買うか自分で作るかしていた。浮きを自作する時は、自転車の虫ゴムを使って、虫ゴムの中に糸を通して作った。
エサは、シマミミズなどを熊手で捕って使った。A氏は、魚が掛って暴れるとすぐに手を離してしまい、釣りが下手であった。人に付いて歩いて余りを貰うだけだった。
ウナギは他の魚とは捕り方が違った。ドジョウをエサにして、夜の間川の中へ流し針を使った仕掛けを、あちらこちらに沈めておいた。
またウエという、竹で編んだ細長い筒状の籠で、上部が閉じられ、中にはかえしがついているので一度入ると出られない仕組みになっている罠を使って捕ることもあった。しかし、ウエは漁師の許可が必要だったので、流し針を使う人が多かった。朝、日の出前に取りに行くと、掛かっていることがあった。当時は、ウナギがたくさんいたので、良く食べていた。
今は岸をコンクリートで固めてしまっているが、当時の川は石垣が多かったので、うろ(石垣の間にできた穴)を外から付いて、ウナギ、小魚、カニなどが出てきた所を捕まえた。
終戦後は、その頃日本に入ってきた雷魚を捕った。雷魚は、木綿糸でカエルをエサにして釣った。噛みつくと怖いと言われていた。最初は美味しいので刺身でも食べていたが、腹に虫が湧くという理由で、やがて生では食べなくなった。

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表示位置は除川を示している。