分類

直江に2反(約1,983 ㎡)ほどの縄の内という地名があり、島田地区の飛地である。
江戸時代には直江の人々が水がつくのを避けて南から北に移り始めていた。杉野家では元々土地が高く整備されていたため移住はせず、南直江には地主4軒のみが残った。村はもとは全部南直江
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御井神社跡碑文の北、名神高速道路の高架下を通るトンネルのあたりに、馬に乗って池に入って行った人が出てこられなくなったという伝承が残るほど深い池があった。この池は昭和37年の土地改良と名神高速工事のために埋められたが、約500㎡の広さがあった。
金屋と安久や直
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蓮光寺(直江384)の西や直江469の東など、防火水槽代わりの池が多くあった。直江469の東の池は2面あったが、戦後道路を作る為に埋めた。
金屋と直江の境に河間があった。
金屋126の近くにある池には牧田川からの伏流水が湧いていた。

牧田川を改修する前は、毎年水害にあっていた。金屋・直江対飯積で水をめぐって争いがあった。飯積は土地が低く、飯積の水を直江より先に落とす為に定杭を立てたのではないか。
古代は津屋川に牧田川が流れていた。牧田川は伏流水の為、年の半分は水が流れていなかった。
飯
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飯積山光敬寺(いいづみさん こうきょうじ)といい、村の名前が山号に付いている寺は珍しいといわれるが、寺の由緒は不明である。
光敬寺の総代はほぼ各家で継承している。年行司は東組と西組で交代制としている。昔は御代本(おだいほん)を寺から各家に迎え、家で葬儀を行っ
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