分類

神社本庁が奨励する祝詞の文体様式は全て統一されている。研究者等が書いた文例集を現神官が利用している。厄除け、地鎮祭、七五三等個人の祭りの祝詞は自作する。祝詞の内容は神社の名前、神様を迎え、誰が何を行うので宜しくお願いします、といった内容になる。家、井戸、伐採、
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直江の元庄屋である杉野家では明治以降に駕籠の使用を許可された。他にも4軒だけ駕籠の使用許可が下りた家がある。
南直江から五日市あたりまでの牧田川跡地は杉野家の土地であり、戦時中には飛行機の滑走路として使用されていた。杉野家の屋号は大柳(おおやなぎ)で、近所の
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現在の宇田の北、御霊神社を中心とした安久の辺りは、昔は金屋の金入(かないり)という地名だった。そこに鋳物の生産地があったが、関ヶ原の合戦の時には既に金屋の鋳物師たちは、この地にはいなかった。なお、名神高速工事の際に鉄滓が出たのはこの安久の付近である。
谷汲山
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南直江のあたりには欅(けやき)の巨木がたくさん生えていた。多芸橋周辺にはたぶの木が多かった。
たぶの木は成長が早く、どんどん水を吸って大きくなる。年数と木の大きさは無関係である。

以前の正式名称は多芸郡金屋村太夫田(たゆうだ)だったが、合併により養老郡養老町金屋太夫田になった。金屋という地名が行政資料に現れるのは明治6年(1873)に記録された資料が最初だが、関ヶ原合戦時の合戦上の一つとして金屋川原の戦があることから、地名としてはかなり
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