名所・旧跡

以前の正式名称は多芸郡金屋村太夫田(たゆうだ)だったが、合併により養老郡養老町金屋太夫田になった。金屋という地名が行政資料に現れるのは明治6年(1873)に記録された資料が最初だが、関ヶ原合戦時の合戦上の一つとして金屋川原の戦があることから、地名としてはかなり
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ヒビ(株)工場(直江613-1)の脇を流れる立出(たてだし)川は湧水が流れる川なので、水質がとてもきれいである。
大坪は基本的に兼業農家で、舟運など水辺に関する仕事や、養蚕業を行っている人がいた。造り酒屋もあった。自作農と小作農は半々だった。米が不作の年には
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段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。
戦国時代は
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飯田には一時、寺院が11箇寺あったが、なぜ多くの寺院が建てられたかは不明である。相順寺は庄屋の菩提寺のような存在であった。
かつて飯田に在住、現在は大垣市船町で八百屋を営む高木氏から梵鐘を寄進されているということを聞いたが、この高木氏は門徒ではない。高木氏の
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祖父江、大坪、飯田でそれぞれ弥生時代の遺物が出ている。
このあたりはまた交通の要所でもあった。古代より濃尾平野の玄関口と位置づけられる。
1400年頃には美濃の中道として栄え、1700年頃には美濃三湊が発展した土地でもある。