角田と杉本の比較
現在、角田の三宅家では蓮沢寺を手次ぎ寺とし、了覚寺、正覚寺に参る。角田の高木家は了覚寺を手次ぎ寺とし、蓮沢寺、応順寺に参る。同じ地区で手次ぎ寺が別々になった経緯は不明である。 角田、杉本には三宅代三(みやけ だいぞう)という日吉村長を務めた人がいた。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
先人
現在、角田の三宅家では蓮沢寺を手次ぎ寺とし、了覚寺、正覚寺に参る。角田の高木家は了覚寺を手次ぎ寺とし、蓮沢寺、応順寺に参る。同じ地区で手次ぎ寺が別々になった経緯は不明である。 角田、杉本には三宅代三(みやけ だいぞう)という日吉村長を務めた人がいた。
正覚寺は洪水により流れている。大矢玉秀の絵なども保管されていたが流失してしまった。 正覚寺が流れたとき金屋82番地の裏の竹やぶから地蔵が上がった。垂井街道ができたときに道路に面した正覚寺の敷地の東端に安置された。 正覚寺の報恩講は11月の第2土日に執り行わ [...]
室原は滋賀県江州(ごうしゅう)、滋賀県米原、垂井町などとの関わりが強かったため、それらの土地の文化として文楽や車山が入ってきている。 特に室原文楽に関しては、近江からの薬売りが室原文楽の発祥ではないか(人寄せの為に芸を披露していた)という説と、土佐の薬売りが [...]
室原には「七箇寺八三昧」という言い方があったと聞いているが、現存する五箇寺(安福寺、正海寺、長願寺、蓮沢寺、福源寺)と廃寺になった東光寺を合わせても6箇寺にしかならず、残りの一箇寺が不明である。 また、室原には七人(七人の偉人)、七寺、七三昧(7か所の火葬場 [...]
蓮如上人が、平民賎民の区別なく助かる、と説いて歩いた教化の折りに、室原付近も来ており、養老町内にいくつか上人直筆の書がある。