交通

小坪に渡船場があった。小坪の神明神社拝殿前に、この付近に船着場があったことを示す道標があり、「南 いせ舟■ ■たにぐみ■」と書かれている。

津島街道の渡船場が、旧今尾橋の辺りにあった。津島街道は、枠池に上がり、根古地湊の渡船場へ通って大場へ抜けた。途中に根古地の道標があった。

養老、高田道道標は、明治13年4月に建立された。旧養老街道にあったものを移動したものである。養老と御井神社への道しるべだった。現在、道標の下方部分は埋まっている。「すぐ 養老 高田 道(以下不明)」「すぐ大垣(垣の字の半分以下不明)」「右 御井神社 せきが原(
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第二次世界大戦の終戦から2年間、三神町で作ったスポンジの毬をリュックサックいっぱいに詰め込んで、汽車に乗り京都や大阪に売りに行った。京都駅には取り締まりの警官がいたため、山科付近で窓から投げ捨てた。当時の鉄道の状況は、大垣に戻ってくる切符は一週間に一度しか売ら
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西光寺の跡付近に旧多芸橋、さらに南に旧高田橋があり、2本の橋を渡ることによって高田に入れた。旧高田橋の近くには今も燈明が建っている。
大正天皇が皇太子の頃、高田小学校に巡幸されたときにも旧多芸橋から旧高田橋を通り、千歳楼に宿泊された。
牧田川を旧高田橋の近
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