白石村の先祖
白石村あたりは田中一族が半数を占めていた。藤塚一族は山から下りてきて養老村に入り、一時期20軒程あった。現大垣市上石津町打上(うちあげ)の多良の里山から山番の為に山越えをして養老に下りてきていたが、往来が大変なので仮宿を作ったのが始まりである。藤塚代蔵(ふじつ [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
その他
白石村あたりは田中一族が半数を占めていた。藤塚一族は山から下りてきて養老村に入り、一時期20軒程あった。現大垣市上石津町打上(うちあげ)の多良の里山から山番の為に山越えをして養老に下りてきていたが、往来が大変なので仮宿を作ったのが始まりである。藤塚代蔵(ふじつ [...]
白石に山田貞策翁が福島県越前から開拓者を入植させたことから通称越前と称されるようになった場所があった。耕地整理により、現在は越前と称される集落はない。 越前のことを、地元の人は「山田田」と言っている。
京ヶ脇では伊勢参りと静岡県浜松市の秋葉参りが行われており、年行司が代参する。昔は伊勢参りで津屋川を下った。
養老焼の最も古いものは幕末に遡る。養老焼の祖は大橋秋二(おおはし しゅうじ)氏という人物で、自身の還暦祝いとして野菊の紋と養老焼の印が入った茶碗を60個焼いたとのことである。 また、明治35年頃に養老郡牧田村(現上石津町牧田地内)の大工が名古屋に出稼ぎに行き [...]
久々美雄彦(くくみおひこ)神社は、現在は祭神を三柱祀るが、元々は四柱だった。何神様だったかは忘れたが、一柱は大垣市上石津町乙坂の神社に譲った。総代は年に数回の当番仕事がある位で特に権威がある訳ではない。 久々美雄彦神社の祭りでは、昭和7,8年頃は親戚をよんで [...]