島田の用水
島田の用水は五日市川や湧水によりまかなわれていた。 新川は1番圦(ゆり・突堤のこと)から4番圦、そして横除(よこよげ)まで水を流しており、1番圦のみ現存している。江戸時代に新川の定杭があった。 昭和以降操業している高田排水機場がなかった頃は、字丑墳(うしづ [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
高田
島田の用水は五日市川や湧水によりまかなわれていた。 新川は1番圦(ゆり・突堤のこと)から4番圦、そして横除(よこよげ)まで水を流しており、1番圦のみ現存している。江戸時代に新川の定杭があった。 昭和以降操業している高田排水機場がなかった頃は、字丑墳(うしづ [...]
昭和34年8月13日の集中豪雨で堤防が決壊し、ミズノ養老工場の下にあった家は土砂に埋まった。現在、決壊部分は拡張されてミズノ養老工場の駐車場になっている。 昔は島田住民全員が水防団員を努めたが、2011年現在は15人程である。消防員終了後5~6年のうちに水防 [...]
島田の伊勢参りは昭和30年頃まで行われていた。昔は金草川沿いの湊跡、字楽地から船で参った。この地は、中世には楽市楽座が開かれていた場所であると伝えられている。 島田の痘瘡送りは昭和30年代頃まで行われていた。 島田の虫送りは昭和34年以前まで誘蛾灯(ゆうが [...]
島田に鬼河間と呼ばれる河間があった。水もとても冷たく深く、馬が吸いこまれたという話が残っており、そばに地蔵が安置されている。現在鬼河間は残っていないが、浸み出しが北側の一間幅の新川に流れている。
現在島田八幡神社前に置かれている馬頭観音は、昔江月村の吹原和平(ふきはら わへい)氏により牧田川の堤防の上に建てられていたものである。