タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

高田 | タギゾウくんの養老ノート | Page 16
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

高田

五日市の代参

五日市では伊勢参りを一時行っていたことはあるが、2010年現在は行われていない。一括で田代神社に12月7日の新嘗祭の時に800円で大麻を注文し、後に当番が配る。高田駅で正装をして伊勢迎えをしている人を見た事はある。

戦前戦後の様子(多芸東部)

No Image

第二次世界大戦の終戦から2年間、三神町で作ったスポンジの毬をリュックサックいっぱいに詰め込んで、汽車に乗り京都や大阪に売りに行った。京都駅には取り締まりの警官がいたため、山科付近で窓から投げ捨てた。当時の鉄道の状況は、大垣に戻ってくる切符は一週間に一度しか売ら [...]

南直江の道

西光寺の跡付近に旧多芸橋、さらに南に旧高田橋があり、2本の橋を渡ることによって高田に入れた。旧高田橋の近くには今も燈明が建っている。 大正天皇が皇太子の頃、高田小学校に巡幸されたときにも旧多芸橋から旧高田橋を通り、千歳楼に宿泊された。 牧田川を旧高田橋の近 [...]

直江の小谷山

養老山の土地を白石、押越、島田、直江で争い、代官所で裁判が行われた。 養老山に直江の土地があり、その部分は小谷山(おたにやま)と呼ばれる。小谷山では、薪、牛馬の餌になる草などを採った。直江には鍛冶職人が多く住んでいたといわれ、燃料となる薪が直江の山から取れる [...]

金草川

金草川はコンクリートの水路になってしまったため、蛍がいなくなった。 島田に比べて押越は禄高が低くて堤防が高くできなかったため水に浸かりやすい。特に押越の西部の土地は低い。伊勢湾台風の時は養老鉄道まで水に浸かった為、金草川に樋門を作った。 昭和30年代に、水 [...]