タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

小畑 | タギゾウくんの養老ノート | Page 2
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小畑

美濃の中道

美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。 沢田から乙坂に渡って [...]

押越の住民とお寺さん

高田地区押越在住のA氏の家は、鷲巣の専明寺の門徒である。専明寺は、元は勢至にあったそうである。一時は勢至が栄えていたので、A家も昔は勢至に居たのではないだろうかと思う。 押越には正覚寺(安久)の門徒も多いが、専明寺の門徒も何軒かある。 他には願林寺(垂井町 [...]

飯田の住民とお寺

飯田の人で、相順寺の門徒は少ない。飯田の住民の、A家は飯田の相順寺、B家は橋爪の念長寺と直江の蓮光寺、C家は大垣市十六町の光照寺の門徒である。

飯田と飯積

飯田と飯積は、名前は似ているが、領主が異なった。「小畑川の新堤築に関する村取替証文」によると、宝永6年(1709)に水争いで多良の水行奉行、高木五郎左衛門氏が来た時は、飯積は天領、飯田は尾張藩領だった。同証文によれば、小畑川の新堤の高さは飯田側の方は2尺(約6 [...]

飯田の消防団

昭和年代初めの頃、飯田に消防団があった。青年団や消防団の年齢制限は良く分からないが、中学校を卒業すると誘われて、消防団か青年団のどちらかに入った。専業農家は、両方入らなければならなかったので一番大変な立場であった。A氏は11年間か12年間消防団に入っていた。養 [...]