室原

1920年頃、第一回の耕地整理の折に高低差を利用し、室原旧字柳原地区に池を作り、鯉を放流して釣り堀にした。4月10日から20日間程は魚釣り大会などが催され、露店が出るなどにぎわっていた。12~13町の釣り堀の広さがあった。区で運営しており、収入は区の経費や神社
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未婚の女子で構成される処女会という会があった。華道や和裁を習ったり、敬老会のボランティアなど自主的に行っていた。
どこで活動を行っていたかは不明である。

養老室原の色目には水車小屋があったようである。

新宮(しんぐう)東は荒れた土地だった。
桜の里辺りは墓地などがあり、牧田川の決壊の影響か瓦礫だらけだった。

寺子屋では作法習字読み方等を教えてもらった。そういう点で、寺は宗教的な意味以上の存在であった。
A氏は郡境である安福寺東の南北に走る通りよりも栗原側に居住していた為、近くの神社に本籍を移して室原の学校に通っていた。昭和16、7年ころまでの話である。