タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 41
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経済

直江の小谷山

養老山の土地を白石、押越、島田、直江で争い、代官所で裁判が行われた。 養老山に直江の土地があり、その部分は小谷山(おたにやま)と呼ばれる。小谷山では、薪、牛馬の餌になる草などを採った。直江には鍛冶職人が多く住んでいたといわれ、燃料となる薪が直江の山から取れる [...]

向野神社(直江)

向野には最初に移住して来た細川栄一氏が建てた向野神社がある。 細川栄一氏が猿田彦神を勧請して、向野(むかいの)神社を飯積輪中堤の上に建立した。輪中堤は県有地のため、金額は不明であるが借地料を納めているのではないかと思う。昭和20年代は現在ほど管理が厳しくなか [...]

若宮村

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若宮では、昭和の中頃までは大竹の節を抜いてパイプを作り、若宮の八幡神社の辺りから水を引いていた。水が涸れたことは一度も無い。同じ水路を周囲の4~5軒が利用していた。また、八幡神社の近くの大きな池を溜池にして、防火用水として使っていた。昔は子供がそこで泳いでいた [...]

北小倉の門徒

北小倉では、女門徒は五日市の林覚寺、男門徒は鷲巣の専明寺と、分かれている。女性が亡くなったら女門徒の寺で葬式を行う。 北小倉ではお寺関係の行事はほとんどなく、地元のお寺とのつながりは薄い。 小倉の人では地主はいなかった。

一色のくらし

一色で火葬がはじまったのは終戦後、養老町の斎場ができてからである。それまでは胴藁で友焼きをしていた。一色の辺りの土には岩が混じりあまり棺が大きいと棺を埋める穴を掘るのが大変だった。穴の深さは50~60cmと、できるだけ浅くしていた。 一色村の庄屋はずっと襲名 [...]