経済

飯積の干拓地は元、小字で小物成(こものなり)と呼ばれたように、作物が採れない土地であった。米以外の野菜で年貢を納めた。河間田(がまだ)という小字名もある。
飯積の干拓は、現在の大垣養老高校の北、飯積字小物成地区から土を運んだ。

養老山の土地を白石、押越、島田、直江で争い、代官所で裁判が行われた。
養老山に直江の土地があり、その部分は小谷山(おたにやま)と呼ばれる。小谷山では、薪、牛馬の餌になる草などを採った。直江には鍛冶職人が多く住んでいたといわれ、燃料となる薪が直江の山から取れる
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向野には最初に移住して来た細川栄一氏が建てた向野神社がある。
細川栄一氏が猿田彦神を勧請して、向野(むかいの)神社を飯積輪中堤の上に建立した。輪中堤は県有地のため、金額は不明であるが借地料を納めているのではないかと思う。昭和20年代は現在ほど管理が厳しくなか
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若宮では、昭和の中頃までは大竹の節を抜いてパイプを作り、若宮の八幡神社の辺りから水を引いていた。水が涸れたことは一度も無い。同じ水路を周囲の4~5軒が利用していた。また、八幡神社の近くの大きな池を溜池にして、防火用水として使っていた。昔は子供がそこで泳いでいた
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北小倉では、女門徒は五日市の林覚寺、男門徒は鷲巣の専明寺と、分かれている。女性が亡くなったら女門徒の寺で葬式を行う。
北小倉ではお寺関係の行事はほとんどなく、地元のお寺とのつながりは薄い。
小倉の人では地主はいなかった。