段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。
戦国時代は地形を利用して築城した。墨俣築城の3年前には既に段海城は河川の利を取り入れて、信長の家臣の祖父江氏が段海城を築き、美濃攻略の前線とした。
段海周辺は川が網の目のように走っており、その中に砦のようなものを建てたのが淡海城であると思われる。また、伝承による地名として城屋敷という字名も残っている。その後秀吉が美濃を平定し、信長は京に上って本能寺の変で自刃した。その際の信長の武将の名簿の中にも祖父江姓の武将が何人もいた。祖父江国舎の子供が戻ってきて、祖父江に国舎の御霊を弔うために菩提所を作り、それが祖父江八幡神社の前身となった。墓石の代わりに植えた松の大木が1900年頃まであった。

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墨俣城のあった墨俣(大垣市墨俣町)と段海の地形が似ているため、天正4年(1576)秀吉が信長の戦略を参考にしたとも言われる。養老郡史古代人物(p.767)に関連資料あり。 養老郡史p.492に史料あり。 祖父江孫左衛門国舎=養老町史 通史編下巻(P.234)に資料あり。 表示位置は淡海城跡を示している。