応順寺は享禄2年(1529)に小倉から移転し、宝暦4年(1754)に火災により御堂が焼失している。ご本尊は無事だった。「高樹山(こうじゅさん)」と山号がついたのは明治初期かそれ以降ではないかと思う。蓮如上人500回忌の折に作成された、由緒、沿革などをまとめた資料がある。 応順寺の本堂には欅製の龍の彫刻が施された欄間、親鸞の木像、先々代の住職直筆の鶴の襖絵がある。また、蓮如上人がムシロの上で書かれたのか藁の網目の跡がついている直筆の書があると伝えられている。 また、平成22年6月現在、近所の地蔵堂が改修中のため、地蔵を本堂で預かっている。 報恩講の際のお華束さん(おけぞくさん)は昔の様式のままに飾っている。 昭和の頃までは御代本を葬儀の際、門徒に貸していた。この御代本は応順寺が小倉にあった頃から使用しているものである。 相焼香(あいじょうこう)は念長寺(橋爪1242)で、どちらかの寺で葬式を執り行う際は片方の寺から住職を呼ぶ。どのような謂われで、念長寺相焼香を組んでいるかは分からない。 応順寺門徒は、中・豊・新宮・北野・仁位・宇田・小倉・乙坂(大垣市上石津町)に渡って広く存在する。 養老の掬水が応順寺門徒であったために、水取場前で撮影した写真が残っている。 浄土真宗で住職を受け継ぐ時には、東本願寺に総代らの承認印を押し、届出をする。門徒総代は3人以上等、宗憲といわれる大谷派の法律で定められている。代表である住職1名、責任役人2名、門徒総代3人以上の登録が必要であり、3年に一度は届出なければならない。御遠忌法要などは、その都度役員が選出される。

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養老郡史に応順寺の由緒に関して記述あり。養老郡史P.602、養老町史通史編下巻 P.391参照。 表示位置は応順寺を示している。