瑞穂の左義長は今も続き、各部落の神社で行われている。瑞穂西では1月14日と17日の年に2回行われていたが、最近は1月14日に近い日曜日1回に変わった。
瑞穂は粥占いはやっていない。
瑞穂地区の行事は大代・西条(にしんじょ)・柳原・枠池・他領(たりょう)の5つに分けて運営しているが、祭礼などの年中行事はそのうちの4部落を中心に行っている。瑞穂の神明神社は瑞穂地区の西側にあり、秋祭りを10月10日に開催している。秋祭りでは横笛、太鼓、鐘などを演奏しながら枠池から大代の神明神社までねり歩く。太鼓の競演も4部落で行うが、お祭りには5部落全部が参加している。
祭礼の為に、4部落の中から宮総代1人、氏子総代を各部落1人ずつの計4人を選ぶ。昔は庄屋が宮総代を務めていたが、2010年現在ではそういった風習は無くなり、4~5年前に宮総代を選ぶ時などは中々なり手がみつからずに苦労した。
宮経費は一戸当たり年間1000円で200軒近くあるほぼ全戸から集め、祭礼の御祈祷の経費や大麻料として使われる。宮の修繕などが必要になれば別で集める。
瑞穂では10月の第2日曜日に、瑞穂小字西条(にしんじょう)の大神宮・秋葉神社のお祭りを西条地区だけで行う。
江戸時代に、多良の旗本三家(西高木、東高木、北高木)の内、西高木家家臣の水行奉行、中島黒右衛門(なかしま くろえもん)氏が、主従関係にあったと思われる星田家を伴って瑞穂の枠池に移住した。中島氏は最初に枠池の辺りを開拓した人物である。
星田家は枠池で7軒ある。
享保年代(1716-1735)の頃の中島氏の先祖代々の墓がある。
瑞穂の神明神社は江戸時代に根古地新田の八幡神社内から移動したのが始まりである。年中行事は正月、4月の野上がり、6月の種まき、10月の秋祭り、11月の感謝祭などがある。昔は10月11日~13日まで3日間の盛大なお祭りだったが段々と規模が小さくなってきた。
松永与三郎の三男、松永玄遊(まつなが げんゆう)という人物が、戸田家の前の大垣城主氏家卜全(うじいえ ぼくぜん)の所へ大場から養子に行った。職業は医者であった。その後松永与三郎家の子孫は途絶えた。