先人

応順寺は享禄2年(1529)に小倉から移転し、宝暦4年(1754)に火災により御堂が焼失している。ご本尊は無事だった。「高樹山(こうじゅさん)」と山号がついたのは明治初期かそれ以降ではないかと思う。蓮如上人500回忌の折に作成された、由緒、沿革などをまとめた資
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徳願寺は蓮如上人の弟子であった伊豆の伊東彦重郎(いとう ひこじゅうろう)氏が夢のお告げで安久に移ってきて、応仁2年(1468)に創建されたといわれている。徳願寺の近所に住むA氏の先祖も伊豆から伊東彦重郎とともに移ってきた。徳願寺は江戸時代には寺子屋として使われ
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橋爪の金比羅の燈明は現在地ではなく、牧田川堤防の上にあった。

西勝寺は宇田で開基され移転することなく現在に至っている。西勝寺建立本山許可書が保存されている。天台宗に属していた頃は実相院と称されていた。天台宗から浄土真宗へ改宗したのは観応元年(1350)である。天台宗から浄土真宗への改修は蓮如上人の影響力が大きく、この辺り
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現在、角田の三宅家では蓮沢寺を手次ぎ寺とし、了覚寺、正覚寺に参る。角田の高木家は了覚寺を手次ぎ寺とし、蓮沢寺、応順寺に参る。同じ地区で手次ぎ寺が別々になった経緯は不明である。
角田、杉本には三宅代三(みやけ だいぞう)という日吉村長を務めた人がいた。