多芸東部

飯積の干拓地は元、小字で小物成(こものなり)と呼ばれたように、作物が採れない土地であった。米以外の野菜で年貢を納めた。河間田(がまだ)という小字名もある。
飯積の干拓は、現在の大垣養老高校の北、飯積字小物成地区から土を運んだ。

明治の頃までは多芸橋は大きな橋ではなく、木造の小さな橋であった。

養老山の土地を白石、押越、島田、直江で争い、代官所で裁判が行われた。
養老山に直江の土地があり、その部分は小谷山(おたにやま)と呼ばれる。小谷山では、薪、牛馬の餌になる草などを採った。直江には鍛冶職人が多く住んでいたといわれ、燃料となる薪が直江の山から取れる
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金屋の春日神社では「どじょうまつり=土壌祭り」という行事が行われていた。

養老町直江は、以前は1月14日には左義長があった。前日にお粥に竹の筒を入れて炊く、粥占いも行っていた。2010年現在は、1月の第2日曜日に粥占いを10時から、左義長を14時から行い、占いの結果は集落内の各戸にFAXして伝えている。現在でもこれらの行事に50人程
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