昭和5年(1930)頃、陸軍大演習が養老で行われた。本来兵隊は押越の宿営地(現押越八幡神社の社務所)に宿泊するが、一部の兵隊が橋爪に宿泊した。中隊長が「ここは管轄外であるから、皆礼節をわきまえて泊まるように」と兵隊に訓示していた。翌朝、象鼻山の山裾の道を、演習で使用された大砲を車で牽引して通って行った。この道は美濃の主街道で、その頃から車と兵隊が通れるくらい広かった。

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表示位置は象鼻山の山裾の道を示している。