養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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荻生徂徠の書。

2013.12.17

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養北小学校の校長室には、荻生徂徠の書が掲げられています。

 

これは、昭和10年頃に、飯田村出身で当時京都に在住していた若山一二(いちじ)さんから、母校であった小畑尋常高等小学校に寄贈されたものです。

 

ちなみに、書かれている内容は「鶴壽 茂卿(しげのり)」で、鶴壽には、鶴が千年の寿命を保つといわれるところから長寿の意味があり、茂卿は荻生徂徠の字(あざな)になります。

 

養老町に直接関係はありませんが、貴重なものなので、機会があればぜひご覧になってみてください。

竜泉。

2013.12.16

ryuusen42m.jpg

 

養老町竜泉寺の山中には、地名の由来になったともいわれる、長さ70m以上・内法約60cm四方の堅固な暗渠水道が残っています。

 

竜泉と呼ばれていて、町史などで、「大鐘乳洞の水を導いているようである。途中まで這って入ることができ、石積みの内部が鐘乳化していることから非常に古い時代のもので、おそらく竜泉寺創建の際に構築されたと思われる。」と紹介されていることから、ずっとその内部が気になっていたのですが・・

 

今日、ついに地元の方々の協力を得て、竜泉の内部確認を行うことができました。

ありがとうございます。

 

個人的には、これが中世竜泉寺の遺構である可能性を探ることが最大の目標でしたが、これについての手掛かりは得られませんでした。

 

そもそも、いつ、誰が、何のために、こんなものを必要としたんでしょうね。

 

分からないことばかりですが、水が流れ落ちる内部にカメラを持ち込むことができたことで、これまでになかった映像データを得ることができたと思います。 

また、鍾乳化した側壁や、内部が徐々に上がっていくこと、天井石に大きな一枚岩を使っていることなども確認できました。

 

上の写真は、その竜泉の内部を撮影したものの1枚で、撮影ポイントは出口から約40m中に入ったところ、狭い上、水が流れ落ちる中で、なんとか水滴に邪魔されずに撮影できた貴重なカットです。

ちなみに、地元の方によると、少し無理をすれば、まだここから奥に入っていけるそうですが、調査はここまでにさせていただきました。

 

一説には、全長200mにも及ぶとされる竜泉寺の暗渠水道。

その流路上にあたる地表面だけは、雪解けが早いという噂もあるので、今後の調査は地上からアプローチしていこうと思います。

猿のももひき。

2013.12.13

hikagenokazura.jpg

 

先週、養老山地の頂上近くで、「ヒカゲノカズラ」を見つけました。

 

天岩戸伝説で、アメノウズメが身につけたともされている蔓状の植物で、身につけるものに例えられて、いろいろな異名がついているみたいですね。

 

ちなみに、養老での異名は「サルノモモヒキ」になります。

 

モモヒキというところが、養老町らしいですかね・・

養老寺の隠れ小屋。

2013.12.12

kakuregoya.JPG

 

養老の滝の少し北に、「隠れ小屋」と呼ばれる石室が残っています。

 

永禄5年(1562)に、養老寺が信長の兵火に罹って建物が焼失したとき、ここに十一面千手観音不動明王釈迦如来などを避難させたと伝わることから、このような名称で呼ばれるようになったそうなのですが・・

 

幅が1mほどしかなく、それらを一度に隠すには、ちょっと狭いような気がしますよね。

 

とはいえ、養老寺周辺では、他にこうした場所は見つかっておらず、勢至寺跡や柏尾廃寺跡で見つかっている洞穴と同じような意味をもっていたかもしれないので、ひき続き調べてみようと思っています。

はりん子。

2013.12.11

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養老町子ども会は、「はりん子」という機関誌を発行しています。

 

これは、子ども会活動に対する地域の方々の理解を深めてもらうために実施しているもので、7・10・12・2月の年4回、町の広報「ようろう」とともに各家庭に配布されています。

 

その内容は、各単位子ども会による自分たちの活動紹介が中心ですが、はりん子を発行しはじめた当初は、保護者の中から選出された広報部員が、自分が住む地区とは別の子ども会にカメラを持って取材に行き、記事を書いていました。

 

ちなみに、機関紙を発行するまでは、町の広報が活動紹介の場だったそうですが、平成2年からは単独で機関紙を発行するようになりました。

機関紙の名称は町内から応募いただいた中から選ばれたもので、ハリヨという養老町を代表する魚が、巣を作って家庭を大切にする魚であり、さらに「はりんこ」という可愛い呼び方があったことが決め手になったみたいです。

 

そんな「はりん子」も、この12月で23年目。第84号を発行いたしました。

 

掲載された記事の数々は、子ども会活動への理解を深めるだけでなく、地域の方々が自分たちで調べまとめた記事でもあるので、きっと将来は貴重な歴史資料の一つになっていると思います。

 

ぜひ毎号、ご覧になってみてください。

千歳楼使用規程。

2013.12.10

senzairoushiyoukitei.JPG

 

先日、養老町の白石で、千歳楼使用規程を見せていただくことができました。

 

養老郡役所によって作成されたもので、明治33年(1900)5月から運用されたものみたいですね。

おそらく、郡制が実施され、多藝郡が養老郡に改まったことで、新しい使用規程がつくられたんだと思います。

 

内容としては、使用に際して事前に管理郡長の許可が必要であることなど、施設の使用規程としては一般的なものが中心なのですが・・

 

最後の条に、公園保存基本金として10円以上を寄附したものは特待員として登録し、特待員やその家族が千歳楼を使用する場合には、使用料が免除されることが記されていました。

 

養老公園開設時以降、年額10円以上の寄附をした偕楽社員には無料で開放されていた千歳楼。

きっと、偕楽社が解散し、多藝郡や養老郡に公園管理が移管された後にも、寄附をされる方はあったんでしょうね。

三方山スキー場跡。

2013.12.09

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先週の金曜日、三方山スキー場の現地確認に行ってきました。

 

三方山スキー場というのは、昨年「養老スキー場」として紹介したもので、その後、昭和6年(1931)の借地契約書が見つかり、三方山近くの笹原峠にあったことが明らかになっていました。

 

上の写真が、そのスキー場があった場所を撮影したものになります。

当時の写真と同じ視点から撮影してみました。

 

案内していただいた白石の方によると、昔はもっと笹が多かったようですが、今はアセビの方が目立つようになっていましたね。

ひょっとしたら、鹿が増えてきていることに因るのかもしれません・・

 

この他には、当時の休憩小屋跡なども確認することができました。

 

それにしても、養老の滝からスキー場まで登るのにかかった時間は、おおよそ1時間30分。

当時の人たちが、板を担いで登っていたことを思うと、なんとなくこのスキー場が長続きしなかった理由が分かるような気がしますね。

田中道麿翁歌碑建立への寄附金。

2013.12.06

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今週の火曜日、田中道麿翁の歌碑を建立するための寄附がありました。

ありがとうございます。

 

田中道麿翁とは、養老町飯ノ木出身の国学者で、万葉集を研究する傍ら、多くの歌を読まれた方なのですが・・

実は、これまで養老町には一つも道麿翁の歌碑が建てられたことがありませんでした。

 

ちなみに、刻まれる歌は、道麿翁が故郷を詠んだものの中から、「わが庵は 老を養う滝つせの 枕にひびく 多芸の野の原」が選ばれました。

 

年明けには建立される予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちください。

勢至の愛宕地蔵。

2013.12.05

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養老町勢至には、滋賀県長浜市の姉川から戻ってこられたお地蔵様がいます。

 

戻ってきたのは大正年間のことで、勢至から長浜へ養子にいかれた方の夢に出てきて、「帰りたい。帰りたい。」とおっしゃったため、その方が背中に背負い、10里(約40km)の道のりを歩いて、今の場所に戻したそうです。 

ちなみに、お地蔵様が姉川へ移ったのは、勢至が衰退する中世末期のことと伝わっているみたいですね。

 

なぜか、地元では愛宕地蔵と呼ばれているのですが、その理由はよく分かっていません。

 

ただ、当番によって、毎日御佛飯とお水がお供えされるなど、大切にお世話されていますし、お堂のある場所は見晴らしが大変素晴らしいので、お地蔵様もきっと今の場所に満足されていると思います。

やどりぎ。

2013.12.04

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養老町飯田の小畑川堤防で、やどりぎを見かけました。

 

やどりぎというのは、他の樹木の幹に根を食いこませ、栄養や水分をもらって成長する木のことです。

鳥によって運ばれるなどした種子が発芽し、50センチほどの球状に育つみたいですね。

 

養老町ではよく見かけるもので、どちらかというと、もとの木を枯らしてしまうなど悪いイメージを持っていましたが、鳥類に休憩や巣作りの場を提供したりするなど、自然環境に良い影響もあるんだそうです。

 

今は葉が落ちて、やどりぎの存在を見つけやすい時期なので、紅葉が終わった後の樹木にもぜひ注目してみてください。

旧いせ道道標。

2013.12.03

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養老町竜泉寺の六社神社の北東隅に、「旧いせ道」と彫られた自然石の道標が建っています。

 

伊勢街道に面した場所に建っていて、これまでここにあることに特に違和感を感じたことはなかったのですが・・

これが、もともとは養老町柏尾の伊勢街道と養老街道の交差点にあり、平成7年に発行された「養老町の古道」で行方不明の道標とされていたものであることが分かりました。

 

ちなみに、元位置に建立したのは4代前の養老町長である成瀬信行さんで、昭和40年5月のことだったみたいです。

 

その後、何かの理由で、伊勢街道沿いに代替地を探した結果、行方不明になったんでしょうね・・

新しい文化遺産カード。

2013.12.02

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昨日から、養老町の文化遺産カードに新しく千歳楼が追加されました。

 

これで、養老町の文化遺産カードは、千歳楼を加えて全部で5種類。

他には、「高田祭」「養老の滝」「象鼻山古墳群」「大巻薩摩工事役館跡」がカードになっています。

 

ちなみに、文化遺産カードとは、指定された文化遺産を訪ねると無料でその文化遺産の情報を掲載したカードがもらえるというもので、NPO法人ニワ里ねっと(理事長赤塚次郎氏)さんが、地域に残された文化遺産にもっと気軽に触れてもらうことを目的に、実施している事業です。

 

今日現在で、配布が開始されているカードは、全部で90種類あり、その中には、大垣市や海津市など隣接する市町の文化遺産も対象になっています。

 

配布場所などの、詳しい情報はこちらのHPに掲載されていますので、ぜひ挑戦してみて下さい。

「読書百遍」の石碑。

2013.11.29

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上多度小学校の中庭に、「読書百遍」と刻まれた石碑があります。

 

これは、上多度小学校図書館の設立15周年となる昭和40年10月に、当時の親御さんたちが、水谷三郎さんに感謝を込めて建立したもの。

 

当初は、上多度小学校の校庭側の校門を入ったところに建てられ、児童達は毎朝この碑を目にしながら登校していましたが、新校舎が整備された昭和55年頃に現在の場所に移されました。

 

それにしても、「読書百遍」という言葉で、いかに水谷三郎さんが母校の子ども達の読書習慣の定着を願っていたかが分かりますよね。

 

そして、その願いは、昭和53年7月に三郎さんが亡くなられてからは、長男の和郎さんによって引き継がれました。

 

ただ、和郎さんにとって水谷賞の継続は、先行きに不安がある中での大きな決断だったようで、50回を記念して発行された冊子の中で、当時のことを「取敢えず可能なところまで続けようと心に決めて父の遺志を引き継いだ」と振り返っておられます。

 

しかし、そんな和郎さんの水谷賞は今年で36回目を迎え、三郎さんの14回をはるかに上回る回数となりました。

 

上の写真は、そんな思いがこもった「読書百遍」の碑が建立されたときに、石碑の前で、水谷三郎さん(左)と水谷賞創設を提案した安福彦七校長(右)を撮影したもの。

 

二人にも水谷賞が50回目を迎えたことを伝えたいですね。

勢至のイチョウの紅葉時期。

2013.11.28

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11月も終わりに近づき、養老町でも紅葉の季節が終わろうとしています。

 

そんな中、未だに青々とした葉をつけているのが、養老町勢至の大イチョウ

上の写真は2日前に撮影したものですが、見頃になるまでには、もう1週間くらいかかりそうです。

 

こうしたことは、今年だけのことではなく、毎年のことなので、いつも不思議に思っていたのですが・・

 

堆肥などを用いて、大切に育てられたイチョウは、葉のはたらきが弱まるのが緩やかなので、紅葉が遅れるということを知りました。

ギンナンのなる木が、紅葉が遅いのも、こうした理由が多いみたいですね。

 

毎年、紅葉の季節になると、あわてて会いに行く木だったのですが、来年からはもう少し余裕をもって会いに行こうと思います。

飯ノ木の文化財案内看板が新しくなりました。

2013.11.27

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経年劣化に伴い、養老町飯ノ木の田中道麿翁顕彰碑前の文化財案内看板を新しくしました。

 

解説している文化財は、「田中道麿翁顕彰碑」「源氏橋」「鎧掛けの榎」「芦塚」の4つ。

もし、この中によく知らない文化財があるようなら、ぜひ足を止めて、内容を確認してみて下さい。

山口俊郎先生の三十三回忌法要。

2013.11.26

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昨日、養老町高田出身の音楽家である山口俊郎先生の三十三回忌法要が専念寺で行われました。

 

山口先生は、昭和56年に80歳で他界されるまで1000曲以上の作品を手掛けた人物。

亡くなられる直前には作品の著作権を養老町に寄贈したり、山口記念会館を建設したりされていて、地元の方々はたいへん喜んだそうです。

しかし、ご本人は「生まれ故郷の土に帰るための置き土産」と淡々と語られたみたいです。

そして、そんな山口先生が亡くなられた2年後、養老町には山口俊郎先生顕彰会が設立されました。

下の写真は、そんな顕彰会が設立した年の11月25日に行われた慰霊祭の様子です。

たくさんの参列者の中には、三橋美智也さんの姿も見え、改めて山口先生の人柄が偲ばれますね。

引き続き、功績の顕彰に勤め、50回忌も大勢の方に参列していただけたらと思います。

 

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「養老公園タイムトラベル」追加準備。

2013.11.25

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養老町教育委員会では、「タギゾウくんの自由研究」に新しいおすすめテーマを追加する準備を進めています。

 

新しく追加するおすすめテーマは「養老公園タイムトラベル」

 

開設(明治13年)から終戦(昭和20年)までの養老公園の変化を、観光などの目的で作られた案内絵図の変化から読み解いていこうという内容です。

 

公開まで、もう少し時間が必要ですが、絵図の間違い探しといった簡単な作業を基にしていて、そんなに難しいものにならないと思いますので、ぜひ楽しみにお待ちください。

象鼻山の景観回復作業が終了しました。

2013.11.22

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今週の月曜日からはじめた象鼻山の景観回復作業が終了しました。

 

これにより、また少し象鼻山の景観がよくなったと思います。

お手伝い下さった方々、本当にありがとうございました。

 

ちなみに、この5日間で山から下ろした倒木の総重量は7,690kg。

しかし、目指す姿になるまでには、まだずいぶん時間がかかりそうです・・

 

それでも、登る価値は十分にあると思いますので、本当に寒くなる前に、ぜひ一度、象鼻山に上がってみて下さい。

幼い者に知慧の場を。

2013.11.21

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昭和25年(1950)に水谷三郎さんが母校である上多度小学校へ本の寄贈をはじめたことをきっかけに、昭和39年(1964)に創設された水谷賞の授賞式が、今年で50回目を迎えました。

 

ちなみに、水谷賞とは、上多度小学校の全児童が参加する読書感想文コンクールのことです。

上多度小学校では、これを記念して冊子も作成されており、その中には、昭和29年(1954)1月21日に上多度小学校図書館が東海三県学校図書館コンクールに入賞した際に、水谷三郎さんから寄せられた原稿が再掲載されていました。

 

そのタイトルが「幼い者に知慧の場を」です。

 

少し長いので、全ては引用しませんが、「私は幼い者たちが、大人になって世の荒波にもまれるまでに、できるだけ多くの文学や歴史や絵、そしてできれば美しい音楽に親しみ、科学的教養とともに、文化的教養を積み重ねられるような素地をつくっておいてほしい」という水谷三郎さんの言葉がとても印象に残りました。

また、最後は、「内容や外観をもっと整えて、次の機会にも輝かしい栄誉を荷い続けることも大切でしょうが、本当に幼い人たちに、知識とともに、知識でない知慧になるような役割を、此の図書館が果たすことを切に祈ります」という言葉で締めくくられていました。

 

こうした学校独自の取り組みが50年間続くことが、まずすごいと思いますが、ひき続き、上多度小学校には、水谷三郎さんの願いを大切に守っていっていただきたいです。

鼬川の清泉。

2013.11.20

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養老町橋爪には、養老郡史の編纂者である大久保休吾さんが選んだ橋爪八景があり、その中の一つに、「鼬川(いたちがわ)の清泉」があります。

 

この鼬川は橋爪の別庄区を流れていた小さな川のことで、その清泉は別庄区にとって貴重な水源だったのですが・・

いつの頃からか、水が濁るようになり、現在では墓地で利用されています。

 

ちなみに、その現在の様子を撮影したものが下の写真。

 

大久保休吾さんのメモには、この鼬川の清泉の紹介として「神代より 絶えず流るる いたち川 鏡の如き 澄み渡りけり」という歌が添えられていましたが・・

かろうじて、石塔物に面影が残っていますかね。

 

ひきつづき情報収集を続け、その当時の写真などを探してみようと思います。

 

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