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象鼻山古墳群調査整備委員会を開催しました。
2010.08.25
平成22年8月25日(水)13:30より、象鼻山古墳群調査整備委員会を開催しました。
今回は、現在進めている象鼻山12・14号墳の発掘調査について、有識者から指導や助言をいただくのが主な目的です。
この暑い中、現地で1時間、会議室でさらに1時間程度の指導・助言をいただくことができ、これまでの課題の整理や、今後の調査方針を固めることができました。
ただ、新たな課題も浮き彫りになり、今後の調査が一層大変なものになっていきそうです・・
お地蔵さん祭り(西岩道)
2010.08.24
8月24日(火)17時より、養老町西岩道の六地蔵の前でお地蔵さん祭りが行われ、大勢の方がお参りされました。
西岩道の墓地にある六地蔵の前には、花や菓子が供えられ、大きな提灯も飾られていました。
お坊さんがお経をあげた後は、子どもをはじめ全ての参列者にお菓子が配られます。
西岩道では、毎年8月24日に行われるこの行事を「お地蔵さん祭り」と呼んでいます。
子どもを守ってくれているお地蔵さんのところに、浴衣を着せてもらい、近所の子とお参りしました。その帰りにたくさんのお菓子をもらったことを覚えています。
子どもの頃の私にとっては、楽しみな夏休みの行事でした。
子どもの時には気づきませんでしたが、今日みた提灯の箱には「明治三十年」と書かれていました。
110年以上も続いているのでしょうか・・・
象鼻山発掘状況6
2010.08.23
象鼻山古墳群の発掘調査は5週目に入り、14号墳についても掘り下げを始めました。
14号墳は12号墳に隣接しており、全長約15mの円墳と考えられています。
写真は14号墳の西端に設定した調査区の土層断面です
まだ、あまり掘り進んでいませんが、溝がでてきました。
そして、その下層にはどうも岩盤を掘削して形成した溝がありそうです。
調査はまだこれからですが、12号墳と14号墳にはいくつか共通点がありそうです。
造られた時期も近いのかもしれませんね・・
ほかに、先週金曜日の夕方、象鼻山山頂でイモムシを捕獲したオオモンクロベッコウを見つけました。
同じくらいの大きさがあるイモムシをすごいスピードで巣に運ぶ姿は圧巻でした・・
象鼻山発掘状況5
2010.08.20
今日も酷暑の中、発掘調査を実施しました。
写真は、象鼻山12号墳の墳丘断面です。
ここ数日の土層の観察から、12号墳は整地後、外側から盛土をして墳丘を完成させたことがわかってきました。
また、異なる性質の土を交互に盛り上げていったことも明らかになりつつあります。
あいかわらず、築造時期を知る手がかりとなる遺物の出土はなく、こうした墳丘の情報が築造時期を絞り込む重要な要素になっていきそうです・・
象鼻山発掘状況4
2010.08.19
現在調査を進めている象鼻山12号墳は、全長約18mの方墳です。
今日までの発掘調査から、墳丘の周囲に溝があることがわかってきました。
写真は、墳丘東側の溝の断面です。
みていただくと、墳丘に伴う溝の下層に、もう一つ岩盤を掘削して溝を形成していることがわかります。こうした状況は、墳丘の西側でも確認できています。
その一方北側の溝は、岩盤を掘削して形成するのではなく、周囲の土を盛り上げて構築した可能性が高くなってきました。
溝の深さも様々なようです。
なぜ、こんな違いがあるのでしょうか・・
今後の調査で、少しでも多くの事実を明らかにしていきたいところです。
押越のひまわり畑
2010.08.18
養老町押越(おしこし)の田んぼに、ひまわりが咲いています。
これは、平成19年度からはじまった「農地・水・環境保全向上対策事業」での取り組みの一つで、遊休農地にひまわりなどを植えて、農用地の荒廃を防ぐためのものです。
残暑の中、いつまで咲いていてくれるかな・・・
象鼻山に住む生き物3
2010.08.17
相変わらずの暑さの中、象鼻山古墳群の発掘調査は4週目に入りました。
しかし、12・14号墳の築造時期の手がかりは未だ得られていません・・
そんな中、山頂の休憩所でナナフシに出会うことができました。
初めてじっくりみましたが、ちゃんと頭があるんですね。
雰囲気は笹によく似ていて、草むらに入るとどこにいるのか全くわからなくなりました。
しかし、そろそろ生き物だけでなく、発掘調査の成果についてもお知らせしたいところです。
今週からは天気も良いようなので、来週にはもう少し と思っています・・
立川勇次郎氏顕彰祭
2010.08.16
平成22年8月16日(月)、養老駅北の顕彰碑前において、立川勇次郎氏顕彰祭を執行しました。
厳しい暑さの中、地元住民だけでなく、養老鉄道関係者や沿線市町の方々、さらには遠方より、立川氏のご遺族にも出席していただきました。
ご遺族代表のあいさつでは、立川氏にまつわる貴重なお話を聞かせて頂き、改めてその業績の素晴らしさを実感しました。
立川勇次郎氏について詳しく知りたい方は「郷土の先人」をご覧下さい。
薩摩義士夏季慰霊法要を執行しました。
2010.08.13
平成22年8月13日(金)9時より、根古地薩摩工事義歿者墓において、養老町薩摩義士顕彰会主催による薩摩義士夏季慰霊法要が執行されました。
暑い中ではありましたが、約150人の出席があり、義士の慰霊を行うとともに、改めて当地域の治水の重要性を認識することができました。
週明けの月曜日には、立川勇次郎氏顕彰祭もあります。会場は近鉄養老線養老駅前で、10時から始まります。
こちらも参加は自由ですので、多数のご参列をお待ちしてます。
薩摩義士夏季慰霊法要のお知らせ。
2010.08.12
明日9時より、根古地薩摩工事義歿者墓において、薩摩義士夏季慰霊法要が執行されます。
根古地薩摩工事義歿者墓は地元では浄土三昧とも呼ばれており、宝暦治水で亡くなった24名の薩摩義士が埋葬されています。
岐阜県の史跡でもあります。
ただし、雨天の場合、会場は天照寺に変更になります。
多数のご参加をお待ちしています。
姥石物語
2010.08.11
養老町高田にある荘福寺(しょうふくじ)の境内に入ると、本堂とは反対の左奥に、頭の部分が刃物で割られたような、高さ60cmくらいの石があります。
この石は、「姥石(うばいし)」と呼ばれており、次の様な話が残っています。
ある日、一人の女がこの石のそばで苦しみながら死んでしまいました。
それからというもの、石は人肌のように温かくなり、夜になると一晩中奇声を発しだしたのです。
人々は、石の傍で悶死した女の霊魂が石にのりうつったのだと恐れました。
これを聞いた荘福寺のお坊さんは、歌を詠み、刀を抜いて石に向かって「成仏せよ!」と喝を入れました。
不思議なことにそれ以来、石は冷たくなり、奇声を発することもなくなりました。
本当に不思議な話です。
山口俊郎先生盆供養
2010.08.10
8月10日(火)、高田墓地内において、山口俊郎先生の盆供養が執り行われました。
山口俊郎先生は、養老町高田常磐町に生まれた作曲家です。
昭和30年(1955)に、三橋美智也が歌った「女船頭歌」がヒットしたことをきっかけに、山口先生も作曲家として名前が知られる様になりました。
昭和56年(1981)11月25日、80歳でその生涯に幕を閉じました。
今日は、あいにくの雨模様でしたが、多くの顕彰会員の方々が参列していました。
山口俊郎先生について知りたい方は、「郷土の先人」をご覧下さい。
象鼻山発掘状況3
2010.08.09
象鼻山古墳群の発掘調査も3週目に入り、やっと念願の土器が出土しました。
ただ小さいので、12号墳の築造時期を探る手がかりにはなりそうにありません・・
しかし、出土地点が岩盤の直上であったことから、この12号墳も旧地形を掘削した後、墳丘を盛土で構築した可能性がでてきました。
このことは、土木量の増加よりも、12号墳を造る位置のほうがより重視されたことを示しているような気がしますが、いかがでしょうか・・
いずれにせよ調査はまだこれから。
次の遺物が楽しみです。
象鼻山に住む生き物2
2010.08.06
象鼻山では、1日の発掘調査を終えると、掘っている場所にブルーシートを掛けておきます。
雨などで、調査地点が傷まないようにするのが主な目的です。
このブルーシートの中は空気が籠もりやすいのですが、それが虫たちには良いようです。
そのため、朝、発掘調査を始める前にブルーシートを外すと、いろいろな虫に出会えます。
昨日の朝は、ノコギリクワガタのメスが隠れていました。
カブトムシも時々いて、作業員さんの孫のために下山することがあります。
象鼻山に住む生き物。
2010.08.05
今週もひきつづき象鼻山古墳群の発掘調査を進めています。
今日は、午前中の天気が定まらず、雨に濡れながらの調査でしたが、雨上がりの直後に写真のヒキガエルに出会うことができました。
ヒキガエルのさわり心地は、意外にも気持ちよく、人肌に触れているようでした。ヌルヌル感やヒンヤリ感はなかったです。
体調は15cmくらいありました。
象鼻山は蚊が多いので、もっともっと捕食して大きくなってもらいたいです。
日本文化体験
2010.08.04
養老町は、ドイツのバッドゾーデン アム タウヌス市(Bad Soden am Taunes)との交流を22年続けています。
今年は、7月26日からスポーツ交流団の9名を受け入れています。団員は高校生と大学生で、養老町内にホームステイし、スポーツを通しながら交流を深めています。
さらに、8月4日は日本文化を知るために書道・華道・茶道を体験しました。
畳の上での正座は難しいようでしたが、お抹茶の味は美味しかったそうです。
わずかな時間でしたが、日本文化に触れてもらうことができました。
帰国してからも興味を持ち続けてもらいたいです。
小栗栖(おぐりす)神社と蛇神昇天
2010.08.03
養老町室原にある小栗栖神社の由緒には、ある伝説が残っています。
小栗栖の神様は昔、南宮神社(垂井町)に祀られていましたが、洪水によって室原まで流されてしましました。
不憫に思った室原の村人達は、小栗栖の神様を南宮神社にかえしてあげようとしました。
ところが、小栗栖の神様は
「室原の人々はとてもやさしい。どうか、私をここに住ませてくれないか。」
と仰いました。
感激した村人達は社を造り、そこにお祀りすることにしました。
これが、小栗栖神社の始まりと伝えられています。
またその時、境内の池に住んでいて、守り神であった大蛇が木に昇って天に帰っていき、小栗栖の神様と入れ替わったとも言われています。
西岩道の土堤跡
2010.08.02
金草川は牧田川の支流で、栗笠の付近で合流しており、かつて濃州三湊と高田町とを結ぶ舟路として利用されていました。
九里半街道沿いに岩道・西岩道・口ヶ島・下高田の四箇所に土場があり、荷物の揚げ降ろしが行われ、三湊が衰亡した後も利用されていました。
大正の初め頃、西岩道の土場から立派なお嫁入り道具が陸揚げされたそうです。
この写真は、広幡橋の南詰の東方、堤防が大きくカーブした辺りです。
堤内の法面一面にくり石と呼ばれる10~15cmほどの石が敷き詰められています。
先人の涙ぐましい水防の努力の跡がみられます。
九里半街道の詳細が知りたい方は、電子書庫の「養老町の古道」をご覧ください。
象鼻山発掘状況2
2010.07.30
昨日はだめでしたが、今日は調査をすることができました。
12号墳の表土と流土の除去がすすみ、墳丘の北端に黒色土層を確認できています。
ただ、これが何であるかを解明するのは、来週に持ちこしになりました。
溝の埋土かな・・
タギゾウくんのおはなし。
2010.07.29
当HPでは、養老町の歴史や文化にもっと気軽に触れていただくため、タギゾウくんというキャラクターを使用しています。
モデルは、養老町橋爪にある象鼻山1号墳。
岐阜県でも早くに造られた古墳の一つです。
このイラストは、タギゾウくんが養老町の伝統や文化にふれるお話の下書きの一部です。
小さな子どもに養老町のことを知ってもらうために制作しており、理解しやすい内容を心掛けています。
ただ、完成までには、もう少し時間が必要で、公開はまだ先になりそうです・・