News 最新ニュース
共同洗場。
2012.03.29
養老町には、共同洗場(きょうどうあらいば)と呼ばれる水場がたくさんあります。
上の写真は、そんな共同洗場の一つで、場所は養老町鷲巣の専明寺の南側になります。
ちょうど、野菜を洗っている方がいたので、お話しを聞くと、
この共同洗場は、40年くらい前に井戸を掘ってつくったそうです。
上段は野菜を洗ったりするのに使い、下段は洗濯などに利用されているみたいですね。
また、紙オムツが普及する以前は、オムツを洗ったりするのにも使われていたようです。
ただ、最近は利用する人が少なくなってきており、維持管理に携わる人数が減ってきているとのことでした・・
こうした水場は、地域のコミュニケーションの場としても大切でしょうから、なんとか維持していってもらいたいところですね。
大巻仁保(おおまきにいほ)。
2012.03.28
養老町大巻には、仁保と呼ばれている地区があります。
前から、ちょっと読みにくくて、変わった地名だなとは思っていたのですが、最近その由来が、小字にあることを教えていただきました。
聞くところによると、仁保という地名は、大巻の小字が、イの割、ロの割、ハの割といったようにイロハで「カ」まで続くうち、「ニの割」と「ホの割」のカタカナを、それぞれ漢字の「仁」と「保」に充てて仁保としたそうです。
ウソみたいな話ですよね。
話を聞いたとき、すぐには信じませんでした。
ですが、複数の人に確認したところ、事実であるようです。
そして、まずは昭和35年頃から行われた土地改良によって、生まれた地名なのかと考えたのですが・・
すでに明治末期の「大巻土地台帳」に、その地名が出てくるみたいですね。
いったい、いつから大巻仁保なのか?
もう少し詳しく調べてみたいと思います。
第9回象鼻山古墳群調査整備委員会。
2012.03.27
今日、象鼻山古墳群調査整備委員会を開催しました。
これまでの発掘調査で得られた成果を踏まえ、今後どのように象鼻山古墳群を活用していくのかについて、先生方から指導や助言をいただくのが主な目的です。
会議では、今後養老町が取り組んでいかなければならない課題が明確にされ、解決の糸口についても、アドバイスをいただくことができました。
ありがとうございます。
なんとなくですが、古墳時代以降、今までずっと守られてきた象鼻山を、今後養老町も手伝って守っていくにはどうすればいいのか、といったことが、議論の中心にあったような気がします。
今年度も、あと4日。
少し不安もありますが、今日の指導や助言をもう一度よく検討し、新年度の計画を実現していきたいと思います。
タギゾウくんの自由研究のチラシ。
2012.03.26
来年度の「タギゾウくんの自由研究」公開にあわせて、チラシを作成しました。
主なターゲットである、小・中学生への周知用です。
チラシは、A3判二つ折りで、上の画像は、その中面になります。
子ども達に受け入れてもらうため、難しくならないように気をつけたのですが・・
興味をもってもらえるか、まだちょっと不安です。
来年度、町内小中学校の、全ての児童及び生徒に配布するほか、電子書庫のコーナーでもまもなく公開致しますので、ぜひ目を通してみてください。
3月の花嫁さん。
2012.03.23
養老町西岩道では、親が子の結婚を知らせるために、結婚相手の名前を書いた箱入りの紅白まんじゅうを配ります。
先々週も、隣の組で息子さんが結婚される家があり、名披露の紅白まんじゅうをいただきました。本巣のお店で作られたまんじゅうだったので、お嫁さんは本巣の出身で間違いなさそうです。
さらに、その翌週には、婚家にお嫁さんが来たので、お祝いにも行きました。新しく村の仲間入りをする人の、お披露目といったところですかね。
花嫁さんは、玄関ではなく、座敷の縁側から婚家に上がり、その後で式場に向かいました。
そして、二人を見送った後は、集まった人たちにお菓子も配られました。
最近は、直接式場へ行かれるケースも多くなってきているので、こうした光景は久しぶりです。
ただ、一番気になったのは、花嫁さんの髪型が、角隠し等がない新和装と呼ばれる現代的なスタイルだったこと。
私の時は、文金高島田でしたけどね・・
タギゾウくんの絵本シリーズ第6弾。
2012.03.22
今年度、進めてきたタギゾウくんの絵本シリーズ第6弾が、おおよそ完成しました。
今回の絵本のタイトルは「タギゾウくんと、トサの国の人形劇団」
テーマは、養老町の室原文楽です。
お話のベースは、病気で養老町室原に住み着いた土佐(現在の高知県)の住人が、地元に文楽を伝授したという室原文楽の由来。
タギゾウくんには、ちょっぴり悲しい別れが待っています。
間もなく、公開いたしますので、もう少しだけお待ちください。
若水取りが開催されました。
2012.03.21
3月20日(火・祝)、養老神社の菊水泉で開催された「若水取り」にお邪魔してきました。
良い天気でしたね。
この行事は、昭和52年(1977)に養老町観光協会の前身である「養老観光協会」が、2月4日の立春に水を汲み、奈良市内の元正天皇御陵に献水したことが始まりで、昭和58年(1983)から、立春では積雪があり実施が困難であるという理由で、日程が現在の春分の日に変更されました。
見所は、源丞内に扮した女性が菊水を汲み取る場面。訪れていた多くの観光客がカメラを向けていました。
ちなみに、この源丞内役は町内在住・在勤の方から募集されるそうです。
汲み取られた水は、春の観光シーズン中の安全祈願として、奈良市の元正天皇御陵と、養老寺内の「滝守り不動」に献水されます。
奈良の方は、今日行くみたいですね。
帰り際、養老公園の桜の様子も見てきました。
こちらはまだ、もう少し時間が必要なようです…。
大跡輪中のあほ除(よげ)。
2012.03.19
養老町大跡の集落の北側に、大跡輪中を金草川の水害から守るために造られた輪中堤防の一部が残っています。
この輪中堤、なぜか地元では「あほ除(あほよげ)」という変わった呼ばれ方をしていて、これまでその由来がはっきりしていなかったのですが・・
今年、養老町文化遺産情報活用実行委員会が進めた事業の中で、地元の方から、「ここには、江戸時代から出水の度に除番が置かれていたが、輪中に入水することはなく、その役目を果たすことがなかったのであほ除と呼ばれるようになった」という話を聞くことができました。
町史にも書かれていない話ですよね・・
話を伺えて、幸運でした。
ちなみに、この除は昭和36年(1961)の土地改良で、輪中内の堀の埋め立てに土が使われ、一部を除いてその姿を消すことになりました。
それまでは、除に松の大木の並木があったそうです。
この情報は、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあります。
ぜひ、一度現地を訪れてみてください。
養老ナビ情報の整理。
2012.03.16
「タギゾウくんの養老ナビ」で提供している情報量の増加に伴い、養老町でよく知られた項目を「おすすめ」のカテゴリーにまとめました。
ただ、交通機関や公共施設など、明確な目的を持って利用される情報はそのままです。
これにより、なんとなく使ってみるときは、最初に起動する設定画面で、「おすすめ」だけを選択していただければ、一度に大量の情報が表示される煩雑さを、緩和できるようになりました。
とはいえ・・
本当にオススメしたいのは、身近にありながら、普段なかなか顧みられることがなくなっていく文化遺産たち。
身の周りにある歴史を再発見するツールとしても活用いただけるとうれしいです・・
H24若水取り。
2012.03.15
来週火曜日の春分の日に、養老神社内にある菊水泉で、「若水取り」が開催されます。
これは、養老町観光協会が主催しているもので、春の観光シーズンの幕開けに、期間中の安全を祈願するのが主な目的です。
開始時間は午前10時で、雨天決行です。
先着100名様へのひょうたんプレゼントや、孝行息子との記念撮影会なども企画されているそうなので、ぜひ春分の日には養老公園へお出かけください。
なお、当日は「タギゾウくんの養老ナビ」でも情報検索が可能です。
場所がいまいちよく分からないという人は、こちらも参考にしてみてください。
H23子ども会フェスティバル
2012.03.14
3月11日の日曜日に、養老町民会館で「子ども会フェスティバル」が開催されました。
この行事は、養老町の子ども会活動と三世代交流の発展を目的として行っているもので、今年も各地区の子ども会の一年間の取り組みなどが発表されました。
中でも印象的だったのが、飯積八幡神社に浄瑠璃人形の頭や、曳車山幕が保管されていることを知った地元子ども会の発表と、下河原地区子ども会がアトラクションとして披露した下河原車山の神楽。
発表者には、そんなつもりはなかったでしょうが、同じ養老町でも曳車山が失われていった地区と、今でも継承されている地区があることを印象づけるものになっていました。
それにしても、飯積の曳車山が、どんなものだったかが、改めて気になります。
とくに先週、お話しを伺うことができた、知立市の山車文楽・・
まさかとは思いますが、一応可能性は考えておいたほうが良さそうですね。
境松。
2012.03.13
養老町の伊勢街道沿いには、「境松(傘松)跡地」と刻まれた石碑が建っています。
この石碑は、平成17年9月に、柏尾と白石、鷲巣(松栄町)の3村の境界を確定していた松の跡地を示すものとして建てられました。
境松は、枝を張り出した姿から「唐傘松」とも呼ばれていたそうです。
ちなみに、この石碑は2代目で、初代は木柱だったみたいですね。
境松の資料は、町史の資料編に掲載されていて、白石村と柏尾村の境で、両村が山の資源を争い、その境に松を1本植えたのが、そもそものようです。
松が植えられたのが元禄4年(1691)、枯れたのは昭和40年(1965)くらいですから、境松は約300年間、この場所で、境でありつづけたということですよね・・
なんとなく、跡地に木柱や石碑を建てる気持ちが分かる気がします。
ただ、どの時期に鷲巣(松栄町)が関わってくるのかは、ちょっとよく分かりませんでした。
この境松跡地の情報は、「タギゾウくんの養老ナビ」にも登録してあります。
ぜひ、伊勢街道のウォーキングを兼ねて、現地を訪ねてみてください。
象鼻山のサヌカイト製旧石器。
2012.03.12
古墳でよく知られる象鼻山古墳群ですが、発掘調査では、古墳時代以前の遺物もたくさん出土しています。
中でも、特に数が多いのが旧石器時代に属する石器。
墳墓群築造工事で土ごと移動されてはいますが、いろいろな場所から見つかっています。
左の画像は、そんな象鼻山古墳群から出土した片刃のナイフ。
サヌカイトと呼ばれる安山岩の一種で作られていて、国府(こう)型ナイフ形石器と呼ばれています。
気になるのは、このサヌカイトと呼ばれる石材を採取できる場所が限られていること。
一番近い場所でも、奈良県ですよね。
このあたりでもチャートと呼ばれる石器石材は採れるので、何か理由があるのでしょうが、ちょっとよく分かりません・・
ただ、昨年度の調査でも、同じくらい風化したサヌカイト製の石器が出土しています。
これを手掛かりに、新しい事実を突き止めたいところです。
第2回養老町文化遺産情報活用実行委員会。
2012.03.09
今日、平成23年度第2回養老町文化遺産情報活用実行委員会を開催しました。
今年度進めてきた、「タギゾウくんの養老ナビ」で提供する情報の充実についての報告と、その結果を踏まえた今後の方向性の確認が主な目的です。
会議では、こうした事業の緊急性や、記録方法についてもご意見をいただくことができました。
ありがとうございます。
以降の計画は、まだ確かなものではありませんが、ひきつづき、歴史文化資源の掘り起こしと、情報提供環境の向上を目指して頑張りますので、ぜひご助力をお願いします。
養老山妙見堂。
2012.03.08
養老公園内にある「養老山妙見堂」は、江戸時代初期、当地に干ばつが続いたとき、雨乞いの霊場として開かれました。
その後、堂宇と妙見様(開運北辰大菩薩)は、明治の養老公園設立に伴い建立・勧請され、お釈迦様(立像釈迦牟尼佛)は大正9年(1920)から祀られるようになったそうです。
ただ、堂宇は昭和37年(1962)に一度倒壊したようで、昭和53年に都市公園法をクリアして本堂の再建がなされるまでの間、堂宇がなかった時期があるみたいですね。
そんな、妙見堂では、毎月8日の10時30分から、お釈迦様、妙見様のお開帳の後、唱題修行・法話が行われています。
また、来月の8日、午前10時30分からは「花祭り」も開催されますので、ぜひ妙見様とお釈迦様の参拝に、養老公園を訪れてみてください。
平成23年度の公民館まつり。
2012.03.07
養老町内の各地区では、2月26日(日)から、公民館まつりが開催されています。
僕がお邪魔した、先週日曜日の小畑公民館まつりでは、キッズエアロビや健康体操などの発表や、生花や手芸作品の展示が行われていました。
また、屋外では各団体によるバザーの、豚汁や焼きそばが、とてもおいしそうでした。
これで、残る公民館祭りは、今週日曜日の広幡公民館春祭りのみ。
様々なイベントもさることながら、おいしいおでんやうどん、フランクフルトが、お値打ちに振る舞われるそうなので、ぜひお出かけください。
なお、広幡公民館の位置は、「タギゾウくんの養老ナビ」にも登録してあります。
大悲閣(大菩提寺)の梅の花。
2012.03.06
啓蟄(けいちつ)が過ぎ、養老公園の近くにある、大悲閣(大菩提寺)でも、白梅や小梅、薄桃色の梅十数本が、これから見頃を迎えます。
そのため、「タギゾウくんの養老ナビ」に、この情報を登録しました。
3月中頃までは楽しめそうなので、養老公園に遊びに来た際には、ぜひこちらもご覧になって下さい。
養老ナビ情報の追加14。
2012.03.05
先週、「タギゾウくんの養老ナビ」に、新たに71件の文化遺産情報を登録しました。
養老町文化遺産情報活用実行委員会が進めている事業の成果です。
これにより、以前よりも、もっと皆さんの身近にある文化遺産を紹介できるようになりました。
ただ、祭りなどのイベント情報については、開催が近くなり、日程等が決定してから公開していく予定です。
歩いて10分くらいの範囲にも、たくさんありますので、スマートフォンをお持ちの方は、ぜひ一度体験してみて下さい。
田代神社の跡地
2012.03.02
養老鉄道「美濃高田駅」の線路東、やや南側に小さな祠があり、ここにかつての田代神社があったとされています。
小字が「古宮(ふるみや)」なのも、このためだと考えている人が多いみたいですね。
このことについては、田代神社誌にも触れられていて、この位置から現在地に遷座したのは、慶長6年(1601)12月26日のことで、度重なる水害に耐えかねたことが契機だったようです。遷座に際し、ご神体を背負って運んだのですね。
さらに、新たに遷座した場所は、現在摂社になっている神明神社の境内だったみたいです。
もっと、詳しいことが知りたい方は、電子書庫で「田代神社誌」を公開していますので、そちらを参照して下さい。
また、田代神社跡地については、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあります。
よろしければ一度現地を訪ねてみて下さい。
名神高速ができる前の養老町橋爪。
2012.03.01
上の画像は、名神高速道路ができる前の養老町橋爪の様子を、地元の人が思い出しながら描いたものです。
地元の子ども会に、ふるさとを知ってもらうための作業だったみたいですね。
上が南になります。
この覚書を見て、まず気になるのが、名神高速道路北の道路の位置に、むかし堤防があったこと。
今は残っていませんよね。
地元の人によると、削られて、名神高速道路工事に使用されたそうです。
この他にも、名神高速道路下り線SAの喫茶店あたりに牛の爪切り場があったことや、堤防沿いに火ノ見櫓が建っていたことなどがわかります。
ちなみに、下の2枚が、この頃の橋爪の様子を知ることができる貴重な写真。
上が火ノ見櫓からみた橋爪で、下が堤防の様子です。
下の写真もたぶん、火ノ見櫓あたりで撮られたものだと思います。
この覚書の大きい画像は、タギゾウくんの収蔵庫に保管してあります。
もっとよく見たい方は、そちらをご利用下さい。