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高田町誌。
2012.06.26
今日、養老町高田の聞き取り調査の中で、「高田町誌」という冊子があることを教えていただきました。
なんと、養老郡史よりもさらに2年古い大正12年(1923)の発行です。
さらに、高田町誌の隣に写っている「高田人物誌」という冊子の発行は、大正11年(1922)でした。
こんな資料があったんですね。
まったく、知りませんでした・・
その内容については、まだ概観しただけですが、水害や大火の記録が、堤防の切れた位置や火元を含め、詳細に記載されているほか、娯楽などについても触れられていて、これまであまりよく分かっていなかった事実を明らかにできる貴重な資料になりそうです。
なんとか、この情報を多くの方々が共有できるようにしたいところですね。
竜泉寺古墳の採集遺物。
2012.06.25
現在、養老町教育委員会では竜泉寺廃寺跡の測量調査を進めていて、その調査の中で、竜泉寺古墳の周辺から、古墳時代の須恵器(すえき)を採集することができました。
いずれも小片で、数も少なかったのですが、幸運なことに、その中にある程度所属時期を推定できるものが混じっていました。
上の画像がその須恵器になります。
「杯(つき)」と呼ばれるものの口縁部分で、形や口径などの特徴から、たぶん6世紀後半から7世紀初頭くらいのものだと思います。
ただ、古墳の近くで拾えたということだけなので、必ずしもこの須恵器が竜泉寺古墳の所属時期を示しているとは言い切れません。
でも、これまで全く情報がなかったことを考えると、貴重な発見ですよね。
一昔前までは横穴式石室が残っていたという情報とも矛盾せず、竜泉寺古墳の所属時期が古墳時代後期である可能性が少し高まってきました。
4つ目の狛犬。
2012.06.22
今週の水曜日、今度は養老町高田の田代神社で、口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬を見つけました。
養老町では、これで4例目になります。
調査などではなく、たまたまそばを通りがかるなどして見つけた数なので、まだ町内には未発見のものがありそうですよね。
次の出会いが楽しみです。
お初夜講の阿弥陀さま。
2012.06.21
養老町田には、12の班がそれぞれ1ヶ月ずつ仏像をお守りし、次月になると仏像を次の班へ送る、お初夜講(おしょやこう)という講があります。
その内容については、2年前の聞き取り調査でお話しを聞くことができていて、タギゾウくんの養老ノートにも少しまとめておいたのですが、これまで仏像の実物を見る機会はありませんでした。
しかし、2日前、この養老町田が大切にしている仏像を見せていただくことができました!
上の画像が、その仏像です。
聞き取り調査のまとめでは、60cmくらいとしてしまっていましたが、実物は25cmくらいでしょうか。60cmというのは、厨子の大きさで、聞き違えをしていたみたいです。
また、この仏像の由来については、水害の時に流れついた仏像を、もったいないので村でお守りするようになったという話しを聞いていましたが、新たに、村で祀られていた阿弥陀さまを廃仏毀釈から守るため、集落全体で順番に回すようになったという話しも聞くことができました。
さらに、送るのは仏像だけではないみたいですね。
まだまだ分からないことが多いですが、お聞きした話の中に、養老町田の歴史を考えるヒントがたくさん含まれているような気がしました。
とりあえず、情報を整理して、養老ノートに追記するところから始めようと思います。
口ケ島の大神宮灯明。
2012.06.20
養老町口ケ島には、養老町で一番古くて、一番大きいといわれている灯明があります。
この灯明は、地元では大神宮灯明とも呼ばれ、口ケ島でも眺望がよく、伊勢皇大神宮の遙拝に適した場所に建てられているのですが・・
どうやら、建立した家の方によると、元は今よりも10mくらい北にあったみたいですね。
最初に建てられたのが享和元年(1801)で、現在地に移転されたのが大正2年(1913)のことだったみたいです。
さらに、この口ケ島は、伊勢神宮奉賛に熱心なところでもあり、現在でも毎年9月の第3日曜日になると、大神宮まつりを行っています。
私はこの口ケ島の隣村で育ったのですが、私の村には灯明さんがなく、口ケ島の大神宮まつりの賑やかな様子が、とても羨ましかったことを今でも覚えています。
この口ケ島の大神宮灯明は、「タギゾウくんの養老ナビ」にも登録してあります。
今も夜になると灯りがともり、辺りを照らしていますので、興味のある方は、ぜひ一度現地を訪れてみてください。
土屋輝雄の松鷲。
2012.06.19
今日、養老町郷土資料館の収蔵庫を整理していて、土屋輝雄氏の描いた絵を見つけました。
まさか、こんなところで見ることができると思わなかったので、びっくりしました。
裏面を確認したところ、どうも旧高田町役場が所有していたもののようです。
土屋輝雄氏は、養老町高田出身の日本画家で、養老町の名誉町民である土屋禮一氏の父親にあたる方です。
身近な生き物の精緻な素描を数多く描かれた方なので、この松と鷲を描いた作品も、とても土屋氏らしいものだと感じました。
近くで、ゆっくり見ることができて、幸運でした。
「タギゾウくんのクイズラリー」準備中。
2012.06.18
養老町教育委員会では、養老町の文化遺産をもっとよく知ってもらうために、「タギゾウくんのクイズラリー」というイベントを計画しています。
このイベントは、夏休み限定(7/21~8/31)の企画で、期間中にいくつかの文化遺産を訪れクイズに答えると、タギゾウくん特別賞がもらえるというものです。
ちなみに、タギゾウくん特別賞は、先着順で、100名様限定になります。
どんなものかについては、上の画像から想像してみてくださいね。
初のタギゾウくんオリジナルグッズになると思います。
このイベントの詳細については、夏休み前に、改めて当ホームページとチラシで広報いたします。
参加者に制限は設けませんので、ぜひ、楽しみにお待ちください。
第13回「家族の絆 愛の詩」の募集を始めました。
2012.06.15
養老町では、親と子が心豊かにふれあうふるさとづくりを目指しており、その一環として、「家族」をテーマとする詩の全国募集を続けています。
今年で13回目を迎えました。
さらに、この募集では、今年から2017年までの間、新たに「養老改元1300年記念賞」を設けました。この賞は、応募された作品の中から「親孝行」を題材にした優秀な作品に対して贈られるものです。
このほか、第1回目から数えて、20,000篇目にあたる応募作品にも記念品を用意しています。
応募の詳細については、養老町のホームページでご確認ください。
ぜひ、この機会に、家族への素直な思いを詩に託してみませんか。
皆さまの応募を心からお待ちしております。
赤いアジサイ。
2012.06.14
梅雨に入り、アジサイの花が見頃を迎えました。
養老町でも、あちこちで見ることができますが、やはり青色が主流でしょうか。
ただ、養老山麓だけは、赤色が多いようです。
どうもこれは、アジサイの花の色が土壌に大きく影響を受け、酸性の土壌からは青色の花が咲き、アルカリ性の土壌からは赤色の花が咲く傾向があることによるみたいですね。
私が確認したのは、上方・竜泉寺・勢至の辺りですが、本当に赤色のアジサイが沢山咲いていました!
ただ、中には青色のアジサイもいくつか咲いていたので、アジサイの花の色を決める要因は、土壌だけではなさそうですね。
しかしそれでも、「酸性の土からは青、アルカリ性の土からは赤」という目安は、参考にはなるようです。
この辺りでは、大垣市の金生山なども石灰岩帯なので、時間を見て、あちらも確認しに行こうかなと思っています。
吉田神社前のゲンジボタル。
2012.06.13
昨日、去年の12月に、養老町豊の農業用水路に放流したゲンジボタルを見に行ってきました。
地元の方によると、6月初めには、200匹くらいのホタルが飛んでいたらしいのですが、昨日は20匹くらいしか確認できませんでした。
ちょっと来るのが遅すぎましたね・・
とはいえ、一応この情報をタギゾウくんの養老ナビに登録しました。
今週末までは、ぎりぎり見ることができると思いますので、よろしければ行ってみてください。
ただ、捕まえたりはせず、そっと見るだけにしておいてくださいね。
昭和13年の滝谷決壊。
2012.06.12
今日、養老町教育委員会が進めている聞き取り調査の中で、昭和13年(1938)の大雨で起きた、滝谷決壊のお話しを聞くことができました。
これまで、あまり詳しいことを知らなかったのですが、養老町鷲巣をはじめ、滝谷周辺の被害は甚大だったみたいですね。
養老線は砂で埋まり、畑は河原に変わり、養老町大跡の畑には鮒が泳いでいたそうです。
また、こうしたお話しの一方で、明治24年(1891)の濃尾震災による養老町鷲巣の家屋倒壊件数は、ゼロだったことも教えていただきました。
やはり、その土地をよく知ることは、災害の予防には欠かせませんね。
この他、滝谷決壊の被災範囲は、複数の文化財に恵まれた場所でもあるので、こうした情報は、養老町の地形環境の変化を探る上でも有効に活用できそうです。
3つ目の狛犬。
2012.06.11
先週、養老町下笠の早戸神社にある狛犬の口の中にも、コロコロと動く玉が入っていることに気づきました。
こうした狛犬の発見は、養老町では、船著神社や久々美雄彦神社に続いて、これで3例目になります。
さらに、早戸神社の狛犬は、前脚が置かれる鞠も透かし彫りになっていて、とても凝った造りでした。
しかし、それにしても、口の中に動く玉が入っている狛犬は、珍しいと聞いていたのですが・・
どうなんでしょうね。
なんだか、これだけよく見かけると、まだ他にもあるんじゃないかと思ってしまいます。
金草川のヒメコウホネ。
2012.06.08
今年も、金草川のヒメコウホネが、きれいに咲き始めています。
確認はしていませんが、色目川でも咲いているみたいですね。
ちなみに、このことを教えてくれた方は、金草川より色目川のコウホネの方が、茎が細いような気がするとおっしゃっていました。
どうなんでしょうね・・
まだ、しばらくは咲いていてくれるでしょうから、機会を見て、色目川の方も確認してみようと思います。
とりあえず、金草川のヒメコウホネについては、タギゾウくんの養老ナビで情報を公開しました。
まだ、その目で見たことがない方は、ぜひ一度見に行ってみてください。
修道館の屋根の色。
2012.06.07
養老町教育委員会では、今年も、養老町の歴史や文化に関する情報の聞き取り調査を行っていて、今日は、お二人の方にご協力いただくことができました。
ゆっくりとお付き合いいただけたことで、たくさんのお話しを聞くことができ、本当に充実した時間になりました。
ありがとうございます。
中でも、山田貞策が大正初期に建設した修道館の屋根の色の話は、とても印象的でした。
真っ青な空色だったんですね。
上の画像のように、これまで白黒写真でしか見たことがなかったので、すごく意外でした。
この他、伺った多くの内容は、整理し、なるべく早く養老ノートで公開していきます。
ぜひ、楽しみにお待ちください。
※平成25年1月30日に訂正記事掲載。
飯積八幡神社で見つかった定杭。
2012.06.06
養老町の指定文化財の中に、土地改良で直江・飯積間の除(よげ)を取り壊した際に発見された4本の定杭(じょうぐい)があります。
ただ、実際に土地改良で発見された定杭の数は、実は5本で、残りの1本は、ずっと行方不明でした。
ちなみに、定杭というのは、輪中間などで取り決めた堤防の高さを、現地で杭を打って示したもののことで、除というのは、輪中内の村々の内水処理のために設けられた堤防のことです。
ところが最近、ある定杭が、残りの1本の候補として急浮上してきました。
それが、上の画像の定杭です。
平成22年度の文化財調査の際に、飯積八幡神社の境内で発見されました。
上部が欠損していて、判読しづらい部分がありますが、どうも下記のような内容が刻まれているようです。
(除)川南田面ヨリ髙二尺五寸萬一
(田)床髙ニ相成時ハ其田面ヨリ量出シ
(馬)踏二間
※括弧内の文字は、確実ではありません。
出土状況も踏まえると、下図のようなイメージですかね。
ただ、指定した4本のうちの2本に刻まれていた内容は、いずれも
除 川南田面ヨリ髙三尺八寸萬一田
床髙ニ相成時ハ其田面ヨリ量出シ馬踏九尺
というもので、残りの1本の定杭とは少し数字が異なっています。
やはり、それぞれがどこで見つかったかを、なるべく正確に把握することが大事ですよね。
とりあえず、飯積で、この定杭についての情報収集をするところからはじめようと思います。
養老公園の方位石。
2012.06.05
養老公園にある養老の滝のすぐそばに、方位石と呼ばれる石があります。
方位石とは、方位を見定める石のことで、一般的には、船乗りが気象予測や安全祈願のために設置するものが、よく知られています。
ただ、どうも、養老の滝の方位石は、それらとは違うようで、大阪探勝わらじ会という会が、登山記念に設置したものみたいですね。
大正2年(1913)のことだったようです。
しかし、どうして方位石なんでしょうね・・
ひきつづき、もう少し、情報収集を続けたいと思います。
田植え団子。
2012.06.04
養老町では、田植えが終わって農作業が一息つくと、田植え団子を作って食べる習慣があります。
この田植え団子は、野上がり団子とも呼ばれ、田植えでお世話になった人に配ったり、お仏壇に供えたりするのですが・・
よく聞いているうちに、どうやら養老町には様々な田植え団子があることが分かってきました。
聞いた範囲の話ですが、西岩道や押越、高田、石畑などでは、小麦粉を熱湯で練って粒あんを包み、サンキライ(サルトリイバラ)の葉で、はさんで蒸すのが主流で、飯田は葉っぱを使わず、その代わりに食紅を付けた餅米を使い、大巻では同じ葉っぱでもミョウガを使うようです。
また、同じ田植えをする家でも、作って配る家ともらうだけの家があったり、田植えの合間におやつとして振る舞われたりするところもあるみたいですね。
色々な人に話を聞くうちに、何が本来なのか、よくわからなくなっちゃいました。
ちなみに、下のレシピが石畑版の田植え団子です。
沸騰したお湯をかけた小麦粉を、手早く混ぜるコツさえつかめば、あとは簡単ですので、ぜひお試しください。
【材料(50個分)】
小麦粉(薄力粉) 1kg
片栗粉 150g
塩 小さじ1.5
熱湯 2600cc
サンキライの葉 100枚(1つにつき、2枚)
粒あん 1kg
【作り方】
① 大きなボールに、小麦粉・片栗粉・塩を入れてよく混ぜる。
② ①に熱湯を2000cc入れ、手早く混ぜる。
③ 生地の硬さを確認しながら、残りの熱湯を少しずつ入れて良くこねる。
④ ③と粒あんを50個に分けて丸めておく。
⑤ 丸めた③を直径10cmくらいに広げて粒あんを包み、サンキライの葉で挟む。
⑥ ⑤を蒸し器に並べ、10分強ほど蒸す。
⑦ 蒸し器から取り出し、冷ましてできあがり。
「タギゾウくんの養老ノート」の公開。
2012.06.01
今日から「タギゾウくんの養老ノート」を公開しています。
このコンテンツは、当ホームページの根幹をなすもので、その主な内容は、平成22年度から進めてきた養老町の文化財調査の成果です。
養老町で見聞きした歴史文化に関わる様々な情報を、 文章・画像・位置をもとに収集・記録しておき、インターネットにつながりさえすれば、誰でも、いつでも、どこでも これらの情報を利用できる環境の実現を目指しました。
ただ、収集した情報の多くは、 見聞きした内容をそのまま掲載したものなので、中には内容が矛盾したものもあります。今後さらに調査を深めていく中で、 新たな事実が明らかになり、その真偽が明確になった場合は、情報の追記や修正を行いますので、ご注意下さい。
まだまだ、課題も多いですが、たくさんの方々のご協力を得て、この日を迎えました。
本当にありがとうございます。
ぜひ、みなさんも養老町の記憶に触れてみて下さい。
直江のお地蔵様。
2012.05.31
養老町直江の旧牧田川堤防には、不思議な言い伝えが残るお地蔵さまがいらっしゃいます。
その話は、以下のようなものです。
むかし、直江に、たいそう忠義者の番頭さんがいました。
ある日、番頭さんが近くの蛇池で草を刈っていると、間違って草と一緒に白蛇の頭を切り落としてしまいました。
あわてた番頭さんは手を合わせ、蛇に何度も謝りました。しかし、急にのどが渇き、水が飲みたくてたまらなくなったので、蛇池のほとりで水を飲んだところ、今度はおなかが痛くてたまらなくなってしまいます。
番頭さんは、意識が薄れていく中で、水を飲もうとした蛇を殺してしまったことに気づき、蛇を殺してしまったことを悔やみましたが、そのまま亡くなってしまいました。
そして、このことを知り、番頭さんを哀れんだ主人は、この場所にお地蔵さまを建てたそうです。
とても興味深い話ですよね。
そのため、もう少し詳しく知りたいと思い、現地でお話しを聞いてみると、このお地蔵さまの場所は江戸時代から変わっておらず、さらにこの地域では「首から上の部分を健康に導くお地蔵さま」と伝えられていることも分かりました。
また、蛇池と呼ばれた池は、このお地蔵さまのすぐ西側にあったそうです。
最後にお地蔵さまを調べてみると、その足下の石に「寛政十一未年 法名釈暁圓 五月十九日」という銘を見つけることもできました。
この方が、昔話の番頭さんなのかもしれませんね。
この情報は、タギゾウくんの養老ナビにも登録しました。
興味のある方は、ぜひ現地を訪ねてみてください。
今年のニワ里ねっと(NPO法人)さんとの企画。
2012.05.30
昨年に引き続き、今年も養老町の歴史文化資源の普及を図るための活動を
特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク(NPO法人ニワ里ねっと)
にお願いしました。
具体的な内容については、現在打ち合わせ中ですが、
・養老町歴史講座の実施。
・養老町文化遺産ウォーキングの開催。
・養老町産火打石を用いたワークショップや、象鼻山でのきのこを栽培するワークショップの開催。
などを計画しています。
ちなみに、歴史講座では、象鼻山古墳群の次の時代から、元正・聖武天皇の養老行幸くらいまで。
文化遺産ウォーキングは、勢至南谷を中心として、勢至寺跡や勢至の鉄座、喜勢古墳群、柏尾廃寺跡、戸関遺跡などを巡る企画を計画中です。
詳細が決まりましたら、また当ホームページや、町広報などでお知らせいたしますので、ぜひご参加ください。