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高田祭が2年ぶりに開催されました。
2022.05.24
去る5月21・22日(土・日)に、高田祭が開催されました。
高田祭は、江戸時代から続く愛宕神社(あたごじんじゃ)の例祭で、岐阜県有形民俗文化財に指定されている三輌の曳やま(車偏に山)が、高田の町を巡ることで有名です。
ただ、コロナ禍ということもあり昨年と一昨年は中止だったため、今年が2年ぶりの開催となりました。
とは言っても、感染防止のため、出店や曳やまの巡行はなく、少し残念でしたが、日曜日の本楽では、各やまが愛宕神社前で奉芸を行い、その様子を地元の方々がうれしそうに見ている様子が印象的でした。
久しぶりの高田祭を見て、徐々にコロナ禍前の日常が戻りつつあることを感じることができ、うれしく思いました。
高田祭のように、他の地区のお祭りや行事も、開催されていくといいですね。
何か情報があれば、このホームページでも宣伝したいと思いますので、是非チェックしてください。
獅子連中の心意気。
2017.10.24
10月1日(日)、養老町栗笠の福地神社祭礼において、栗笠の獅子舞の奉納がありました。
栗笠の獅子舞は、養老町唯一の岐阜県指定無形民俗文化財で、福地神社の祭礼において毎年奉納されています。
今年の奉納では、昨年から獅子舞の練習をはじめた地元の小学生2人が、「大廻り」という基本の舞をはじめて披露しました。
先輩たちの舞にくらべると、まだまだ・・・といった感じではありますが、先輩たちの隣で最後までひたむきに舞う2人の姿勢を見ていると、栗笠の獅子連中の心意気が次の世代に受け継がれていく様子を見るようで、胸が熱くなりました。
来年の奉納では、この2人がどんな舞を披露してくれるのかとても楽しみになる反面、わたしもこの2人のがんばりに負けないようもっとがんばろうと思いました。
H28栗笠の獅子舞奉納予定。
2016.09.29
10月1日、2日に養老町栗笠にある福地神社で祭礼が行われ、その中で栗笠の獅子舞の奉納が行われます。
ちなみに栗笠の獅子舞は、養老町唯一の岐阜県重要無形民俗文化財です。
今年の福地神社祭礼スケジュールは少し変則的となっており、栗笠の獅子舞が見られる時間は以下のとおりです。
【10月1日(試楽)】
午後2時頃~ 市神神社・須賀神社前において奉納(ともに養老町栗笠地内)
午後4時頃~ 福地神社境内の特設ステージにおいて奉納
【10月2日(本楽)】
午前8時頃~ 福地神社本殿にて奉納
雨天の場合等、獅子舞奉納が中止になることもあるので、ご注意ください。
写真は、獅子舞練習風景を撮影した写真です。
今年度、養老町教育委員会ではこの獅子舞をはじめとする栗笠の郷土芸能の保存、活用を目的とした事業を進めていて、その中で撮影したものです。
祭り当日も、もちろん撮影に向かいますが、お天気が気になりますよね。
連日雨降りの日が続いていますが、なんとか晴れてほしいです。
今回撮影をしている記録は、年度末までにまとめて当ホームページに追加予定。
楽しみにしていてくださいね!
多岐神社の節分祭。
2014.02.12
2月2日の日曜日に、養老町三神町にある多岐神社で、節分祭が行われました。
毎年2月の第1日曜日に実施しているそうで、少なくとも50年くらい前から続いているみたいですね。
拝殿で神事を執り行った後は、開運招福、家内安全を願って、1000袋もの豆がまかれ、参拝者たちは、みんな両手いっぱいに豆を抱えていました。
また、少数ですが、厄払いされている方もいましたね。
そんな、節分祭ですが、現在、私たちが知る範囲では、町内の寺社でこの神事を執り行っているのは多岐神社のみ。
どうして、多岐神社だけがこの神事を行っているのか、次の機会に氏子さんたちに尋ねてみようと思います。
大野の初地蔵。
2014.01.28
養老町には、地蔵盆だけでなく、初地蔵も行う地区がいくつかあります。
養老町大野も、そうした地区の一つで、先週の金曜日の夜7時から初地蔵が行われました。
ちなみに、初地蔵(はつじぞう)というのは、お地蔵さまにゆかりがある24日を、1年で最初に迎える1月24日に行う地蔵祭のことで、お盆の月である8月の24日に行う地蔵祭が地蔵盆です。
それほど長い時間ではありませんでしたが、提灯を飾り付けた一夜地蔵の前では、覚林寺のご住職により阿弥陀経が唱えられ、大野の人たちは一年間を健康に過ごせるようにお祈りされていました。
ただ、集まった方々の中に子どもの姿はなく、夏の地蔵盆で見かけるような子どもにお菓子を渡す風景を見ることはできませんでした。
お菓子は用意されていましたが、冬の寒い夜ではちょっとお参りしにくいですかね。
こうした初地蔵は、大野の他にも、養老町田や瑞穂などで行われているそうなので、来年以降も1年に1つずつおじゃまして、地区ごとでの違いなども引き続き調べてみたいと思います。
船附民謡。
2013.10.10
先週の土・日曜日に、船附八幡神社の例祭におじゃまし、船附民謡を見学してきました。
船附民謡とは、鼠々森と六羽野、寺屋敷の自慢の太鼓とともに踊られる「でんがらかし踊り」「白川踊り」「どじょう踊り」の3つの踊りのことで、養老町の重要無形民俗文化財にも指定されています。
ちなみに、例祭での船附民謡は、太鼓の叩き手の気分に合わせて、でんがらかし踊り・白川踊りの2種類を交互に踊り、最後に、どじょう踊りで締めるというもの。
中でも、どじょう踊りは、日頃恵みを与えてくれる土への感謝を込めて、太鼓をわざわざ櫓から下ろし、足を地面に擦りながら踊られるもので、たいへん厳かなものと聞いていたため、とても楽しみにしていたのですが・・
今回はタイミングが合わず、どじょう踊りだけ見ることができませんでした。
来年は万障繰り合わせて見に行き、その厳かな雰囲気を皆さんにお伝えしたいと思います。
南小倉の灯明さん祭り。
2013.09.27
先週の日曜日、養老町の南小倉で、お伊勢さんをお祀りする灯明さん祭りが行われました。
毎年、9月の第4日曜日に実施されていて、南小倉の5つの班が、1年交替で当番をしているそうです。
6時半頃から、役員が太鼓を鳴らし、早く来た人から順番にお参りして帰っていくという流れでした。
ちなみに、灯明の場所は、津屋川のそばなので、伊勢へ向かう川湊に建てられたんでしょうね。
そんな灯明さん祭りですが、養老町ではポピュラーなものである反面、大神宮祭りと呼ぶところがあったり、お社で行うところがあったりと、内容に少しバラツキがあるのが気になります。
中でも、特に気になるのが実施している時期。
9月に行っているところが多いなかで、4月に行っているところもあるようです。
祭りの時期には、何か祭りの本質に関わるような理由があると思いますので、今後も情報収集を続けていきたいと思います。
上方白鳥神社の曳軕。
2013.09.26
先日、養老町上方の白鳥神社に伺った際、社殿の南側に木製の車輪が置かれているのを見つけました。
ちょうど、氏子の方とご一緒だったので、お話を聞いてみたところ、やはり昔に曳軕があったそうです。
あまり詳しいことは、ご存知ありませんでしたが、どうも祭りが終わると分解して、それぞれの氏子の家で保管していたみたいですね。
どんな曳軕だったのか、ひき続き情報収集を続けたいと思います。
常盤町の子ども歌舞伎。
2013.09.17
先日、高田祭の照鱗閣軕で、子ども歌舞伎を行っている写真を見つけました。
照鱗閣軕(しょうりんかくやま)というのは、常盤町が所有する曳軕で、子ども歌舞伎用の舞台を備えたものなのですが、昭和36年(1961)を最後に、子ども歌舞伎を披露することはなくなりました。
そのため、 この写真は、それ以前に撮影されたものだと思います。
どのような外題があったかなど、あまり詳しいことを知らなかったのですが、この写真のおかげで、少なくとも石童丸(いしどうまる)物語を奉芸していたということが分かりました。
おそらく、向かって左側の男の子が石童丸役でしょうね。
できることなら、一度、見てみたかったです。
高田の天神祭。
2013.08.05
昨日、朝8時から養老町高田の愛宕神社境内にある天満宮の例祭におじゃましてきました。
初めて伺ったのですが、天満宮があるのは、高田西町だけではなかったんですね・・
当日になって、高田西町以外に、高田東町、高田常盤町、高田中町でも天神様がお祀りされていることを知りました。
ちなみに、10年位前まではこれに高田夏祭りが一体となったものが「天神祭り」と呼ばれていたみたいで、どうやら、開催日が毎年8月4日に固定されていることが、天神祭りから夏祭りを分離させる原因の一つになったようです。
そんな理由で、現在の天神祭りは、それぞれ4ヶ所での祭事のみですが、参列者の中には子どもの姿も目立ちました。
学業の神様ですもんね。
夏休みの宿題、しっかり頑張って下さい。
来週は天神まつりです。
2013.07.25
来週、養老町高田で、天神まつりと、商店街の夏祭りが開催されます。
天神まつりというのは、愛宕神社の境内に祀られている天満宮の例祭のことで、毎年8月4日に執り行われているのですが、一昔前までは、曳やまがでる愛宕神社の春祭や、冬の専念寺の報恩講とともに、高田の三大行事の一つに数えられていました。
上の写真は、そんな40年くらい前の天神まつりの様子を撮影したものです。
大きなくす玉は、一宮の七夕飾りのものをわけてもらったそうです。
また、各戸には笹竹が配られ、夜には紙製の赤い提灯にロウソクが灯されていました。
出店も多く、5月の愛宕神社の春祭と同じくらいの人出があったみたいですね。
そんな天神まつりですが、今年もこの時期にあわせ、高田商店街で、8月2日(金)「夏まつり」が行われます。
夕刻には大通りが歩行者天国になり、道路わきにはたくさん出店がならびますので、ぜひ、来週の週末は高田商店街に遊びに来てください。
第4の高田祭曳軕。
2013.05.22
養老町の高田祭には、猩々軕、林和靖軕、神楽獅子軕の他に、もう1輌曳軕があります。
名前は、照鱗閣軕(しょうりんかくやま)。
常盤町が所有する曳軕で、子ども歌舞伎用の舞台を備えたものなのですが・・
昭和36年(1961)を最後に、子ども歌舞伎を披露することはなくなり、さらに昭和49年(1974)頃からは、祭りに曳き出されることもなくなっていきました。
そんな経緯で、最近では幻の曳軕となってしまっていた照鱗閣軕ですが、先週の金曜日、軕倉を開けて見せていただく機会が得られました。
ありがとうございます。
これまで白黒写真でしか見たことがなかったので、色が分かっただけでも収穫でした。
ただ、どうやら常盤町は、やむなくこの曳軕と軕倉を取り壊すことを決断されたみたいですね。
今更ですが、もし、昭和50年に他の軕と一緒に、文化財指定されていたならなどと考えてしまいます。
平成25年の高田祭が終わりました。
2013.05.20
昨日、無事に高田祭が終わりました。
心配された天気ですが、やはり本楽の日の午後からは、雨が降りはじめてしまいましたね。
そのため、楽しみにしていた午後の奉芸を見ることはできませんでした。
とはいえ、予想通りの雨に対し、大切な見送り幕や人形を手際よく外し、さっさと倉へ戻った前の2輌と、本楽の午後には常に最後尾から出発するため、シートを掛けてから倉に戻った神楽獅子車山の違いは印象的でした。
前の2輌が1年毎に順番を変えるのに対して、神楽獅子車山の順番は最後尾に固定されているので、やむを得なかったんでしょうね。
晴れているときには気づかないことでした。
ただ、来年は、天気のいい高田祭を楽しみたいです。
笠郷音頭。
2013.04.12
先月、養老町の子ども会活動と三世代交流の発展を目的として行われた「子ども会フェスティバル」で、笠郷音頭に触れる機会に恵まれました。
とっても楽しい歌詞が印象的で、振り付けもわかりやすく、親しみがもてるものだったので、後日、地元の方に、もう少しお話を聞いてみたところ、新たに笠郷音頭の原本が、水害で流れてしまったことを教えていただきました。
いつのことなのか、まだはっきりしてはいないのですが、集中豪雨で牧田川堤防が決壊した昭和34年8月13日の夜に、笠郷地区の婦人会が盆踊りの稽古をしていたことを思い出しました。
ちなみに、笠郷音頭の作詞作曲は、大垣市上石津町出身の江口夜詩(よし)先生で、振り付けは糸井川益一さんという方だそうです。
思わず一緒に輪の中に入りたくなるような楽しい曲なので、興味がある方は、写真の踊り方を参照の上、ぜひ夏の笠郷地区盆踊りにでかけてみてください。
H25養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭。
2013.04.10
今日は、大巻薩摩工事役館跡で、養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭が行われました。
風が強く、少し肌寒い一日でしたが、約250名の方々にご参列頂きました。
ありがとうございます。
最後には、顕彰会の副会長から、池辺小学校の児童にむけて、薩摩義士の功績がそれほど鹿児島で知られていない理由を考えてみてほしいという宿題もでていました。
あわてて答えを出す必要はないということでしたので、ぜひゆっくりと時間をかけて、自分なりの答えを探してみてください。
篠塚神社の年乞祭。
2013.03.06
昨日、養老町橋爪にある篠塚神社の、年乞祭(としごいまつり)におじゃましてきました。
この祭りは、毎年3月5日に行われている篠塚神社の春祭で、その年の五穀豊穣と、生活全般の幸福を祈るためのものです。
ちなみに、祭りの進行や規模などは、前回おじゃました12月の新嘗祭によく似ていました。
そんな橋爪の篠塚神社ですが、実はご祭神の使いはウサギ。
そのため、拝殿にはウサギの彫刻も奉納されていて、さらに「ウサギの肉を食べるとその家は必ず災害を受ける」という言い伝えも残っているのですが・・・
どうしてウサギなのかはよく分かりません。
何か理由があるんでしょうね。
皆さんも、もし象鼻山でウサギを見かけることがあったら、大切にあつかってくださいね。
篠塚神社の新嘗祭。
2012.12.07
今週の水曜日、養老町橋爪にある篠塚神社で、収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が行われました。
土日に移動される祭りも多い中、この祭りは、昔から毎年12月5日と決まっているそうです。
当日は、氏子総代さんをはじめ、15名の方々が参加され、地元で収穫された稲穂をお供えし、今年の豊作を感謝しました。
ちなみに、神事の前には「呼び出し太鼓」と呼ばれる、地域に神事の始まりを告げる太鼓がたたかれるのですが、とても上手で驚きました!
この次の篠塚神社のお祭りは、1月18日の武佐祭り。
私はまだ一度もおじゃましたことがないので、来月がとても楽しみです。
昭和15年の神明神社秋祭り。
2012.11.08
今日、仕事の打ち合わせ中に、以前は養老町泉町にあった神明神社の秋祭りの写真を見せていただくことができました。
よく見ると、左下の男性の胸に、「紀元二千六百年」と書かれているので、どうやら、この写真は、昭和15年(1940)に、神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝ったときのものみたいですね。
ちなみに、写真の化粧をした男性たちは、当時の神明神社のお世話をしていた、地元の青年団の方たち。
顔に化粧をしたり、鉢巻きに日の丸の扇子をさしたり、とっても楽しそうです。
話しをお聞きしていると、どうやら、神明神社の相撲大会を始めたのも、彼らだったようで、最初の頃は、子どもだけでなく、大人も参加していたみたいです。
さらに、今日のお話では、この他にも、神明神社の由来が、当時このあたりが大墳村(おおつかむら)と呼ばれていたころに、上流から水害で流されてきた神様をお祀りしたことにあると、地元に伝わっていることも教えていただきました。
そういえば、神明神社の元位置は、牧田川の南岸でしたね。
橋爪神明神社の秋祭り。
2012.10.22
10月14日(日)、養老町橋爪にある神明神社の秋祭りにおじゃましてきました。
この橋爪の神明神社は、寛文5年(1665)に起きた「ヤロカの大水」と呼ばれる大洪水で流出した篠塚神社の跡地に、山田用水に関係のあった橋爪、宇田、中、豊、金屋、大坪、室原の七カ村が、新たに勧進したと伝えられる神社です。
その後、何度か再建されたようですが、場所は変わっていないみたいです。
そんな神明神社の秋祭りですが、今年は、橋爪区と別所区から合わせて20人ほどが参加されていました。昔は、七カ村からの参詣者も多く、盛大だったことを考えると、小祭りになっているのは、ちょっとさみしい気もしますね。
しかし、それにしても、この神明神社、橋爪地内にありながら七カ村で勧進されていたり、篠塚神社の跡地を選んで建立されていたりするなど、いろいろと気になる点があります。
何か背景があるんでしょうね。
まずは、山田用水を手掛かりに、もう少し調べてみようと思います。
根古地八幡神社の秋祭り。
2012.10.17
養老町を南北に走る国道258線ですが、根古地交差点から約150mほど南に、ガードレールではなく、チェーンで塞がれている箇所があります。
これは、今から48年前、国道258号線が、根古地八幡神社の参道を横切ったことが原因で生まれました。
つまりは、お祭りの時に、太鼓などが国道を通過できるようにしておくという条件で、当時の根古地の人たちは、国道建設に賛成したみたいですね。
そして、これ以降、養老町根古地では、1年に1回、お祭りの日だけ、太鼓や提灯が、国道を通過する車を止めて、練り歩く光景が見られるようになったそうです。
下の写真が、その様子を撮影したものになります。
撮影したのは、10月7日(日)の夜7時過ぎ、警察官や消防団員の誘導の元、無事に太鼓と提灯が国道を渡っていきました。
しかし、それにしても、国道を走っていて、突然この光景に遭遇した人は、みんなおどろくでしょうね・・