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養老ナビ情報の追加11。
2012.01.31
タギゾウくんの養老ナビに、新しく「北尾春圃顕彰碑」と「北尾春圃の墓」の情報を登録しました。
分類は文化遺産で、文字検索や時代検索(近世~近代)でもヒットします。
北尾春圃は、江戸時代に活躍した養老町室原出身の名医で、父である玄圃(げんぽ)もまた医者であったと伝えられている人物です。
「北尾春圃の墓」は、養老町の史跡にも指定されています。
ぜひ、一度現地を訪れてみて下さい。
佐竹民弥の彫物下絵。
2012.01.30
今日、養老町の資料の中で、佐竹民弥の彫物下絵を見つけました。
30点程度の資料ですが、その中には、養老町の指定文化財になっているものの下絵もあり、貴重な発見になりそうです。
ちなみに、上の下絵に対応する、実際の彫物はこんなかんじ。
ほぼイメージ通りといったところでしょうか・・
ただ、彫物の方は、なぜか左手の小指を立てていますね。
第12回「家族の絆 愛の詩」発表会を開催します。
2012.01.27
今週の日曜日の午後1時30分から、「親孝行と生涯学習を進めるまち養老」町民会議推進大会及び、第12回「家族の絆 愛の詩」発表会を開催します。
会場は養老町民会館です。
当日は、受賞者自身による優秀作品の朗読が行われ、さらにシリーズ12作目となる「家族の絆 愛の詩3」も販売いたします。
どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
文化財の防火査察。
2012.01.26
今日は、第58回文化財防火デーです。
養老町では、これまで文化財防火デーに伴う取り組みは、防災訓練が中心でしたが、今回は文化財の防火査察が行われています。
上の写真は、その様子を撮影したもの。
文化財の管理状況や火気の取り扱い状況、電気配線の点検などについて、養老町消防本部による適切な指導がなされました。
査察は、明日も引き続き実施されます。
文化財所有者や管理者の方々は、ぜひこの機会に文化財周りの再点検をお願い致します。
イラストマップ。
2012.01.25
少し前にもご紹介しましたが、養老町教育委員会では、現在「タギゾウくんの自由研究」というコンテンツを制作しています。
上の写真は、その中の補助コンテンツの一つであるイラストマップと素材集を使用し、テストで作成したもの。
文化遺産を調べるときに、地図は欠かせないツールですよね。
このイラストマップは、町内全域を作成し、自由にダウンロードできるようにする予定です。
ぜひ、楽しみにお待ち下さい。
4つ目の芭蕉句碑。
2012.01.24
先々週に紹介した養老町の芭蕉句碑ですが、その後、養老町船附の生蓮寺境内にもあることが分かりました。
明治36年(1903)3月の建立で、句は「けふばかり人も年よれ初時雨」です。
さらに、未確認ですが、養老SAにもあるという噂が・・
とりあえず、新たにこの石碑を「タギゾウくんの養老ナビ」に登録しました。
ぜひ現地を訪ねてみて下さい。
粥占い(H24押越八幡神社)
2012.01.23
1月15日(日)に、押越八幡神社の境内で、粥占いが行われました。
当日は、朝3時頃から氏子さんたちが集まりはじめ、大きなお釜で小豆粥が炊かれました。
中には、占い用の竹筒が16本入れられています。
占いの結果は、この竹筒に入る粥の量で決められ、当日の昼頃にはみんなに知らされます。
上の写真は、そんな地元にあるお宅の台所の様子。
2年分の占いの結果が貼られ、これを見比べることによって、綿がよくなってるから去年より日照るとか、各季節の養蚕の結果からそれぞれの季節の野菜の出来を予想するそうです。
ちなみに、お米関係では、コシヒカリよりハツシモの方が、良い結果が得られていました。
秋の収穫が、今から楽しみですね。
朱付着土器。
2012.01.20
先々週紹介した「転用された土器」ですが、そうではなく、本来の形のまま使用された可能性があることが分かりました。
水銀朱の水溶液化に使用された可能性です。
ちょっと専門的になりますが・・
土器や木製品などに水銀朱を塗布するには、これを水溶液化する必要があり、常温では溶けにくいので煮沸します。
上の写真の土器は、高杯(たかつき)の脚部になりますが、よくみると外面に煤が付着しており、このことが用途を推定する根拠の一つになっています。
割れ口に付いた朱についても、粘土紐の継ぎ目に朱がしみこむ事例が、他にあるみたいですね。
ただ、こうした朱の精製に使用される器種は、高杯よりも鉢の方が一般的なようです。
とりあえず、次の段階として、この赤色顔料が水銀朱かどうかを確認する必要がありそうです。
ギリギリ跡
2012.01.19
多芸七坊の一つである小倉山光明寺には、元亀年間(1570~1573)に織田信長によって焼かれたという言い伝えとともに、そのとき本尊である薬師如来を避難させるときに起きた不思議な出来事が言い伝えられています。
それは、薬師如来を乗せた荷車が、養老町の小倉と鷲巣の境にある交差点にさしかかった時、左の小倉へ行こうとするとギリギリと鳴って進まず、右の鷲巣に行こうとすると、軽く動いたという言い伝えです。
「これは、仏様が鷲巣に行きたいと仰っているのだ」として、薬師如来は鷲巣に運ばれることになりました。
ただ、現在は鷲巣白山神社に薬師堂が残るのみで、仏像は焼失してしまっています。
この話で気になるのが、光明寺跡に比定されている薬師山遺跡のほとんどが、養老町鷲巣の飛地であること。
実際に、本尊を避難させる事態になったならば、迷わず鷲巣へ運んだのではないかとも思います。ただ、交差点の場所は、薬師山遺跡と養老町鷲巣の位置関係と整合的で、この話には事実も含まれているんじゃないかと思えるところがあります。
現在、この交差点は「ギリギリ跡」や「ギリギリ峠」と呼ばれており、地元で小学生などを対象にした歴史探訪が行われると、地域の旧跡として紹介されています。位置など興味のある方は、ぜひ「タギゾウくんの養老ナビ」で検索してみて下さい。
大跡の六社神社跡。
2012.01.18
養老町大跡(おおあと)の六社神社は、伊勢湾台風後、区画整理により現在の位置に遷宮されました。
そのため、現在の位置から南600mにある跡地には、六社神社跡と刻まれた石碑が建てられています。
ここで一つ気になるのが、この石碑の周囲で採集できる中世の遺物。
少量なのですが、土器皿や山茶碗と呼ばれる無釉の陶器が確認されていて、周囲は遺跡にも登録されています。
さらに、養老町史資料編上に掲載されている足利義満袖判御教書案(1403)には、「多藝庄内大跡」の記述も。
そのため、この位置が、中世の大跡であった可能性が高いような気がしますが・・
今のところ、未確認です。
この石碑は、「タギゾウくんの養老ナビ」にも登録してあります。
気になった方は、ぜひ現地を訪れてみて下さい。
ただ、石碑は畦道沿いに建てられているため、ルート案内は近くの道路で終了してしまいます。
残りの300~400mは自力ということになりますので、ご注意下さい。
日本のあそびを紹介しました。
2012.01.17
養老国際交流協会では、町内在住の外国人を対象に日本語学習教室を開催しているのですが、その一環として、1月15日(日)に、独楽やけん玉、お手玉、だるま落とし、凧揚げなど、日本の遊びを紹介しました。
ただ、中国にも独楽やお手玉など、だいたいの遊びはあるそうで、日本独自のものではなかったみたいです・・
空高く上がる凧をみていて、小さい頃、刈り入れの終わった田んぼで、友達と凧を揚げたことを思い出しました。
土屋輝雄展をみてきました。
2012.01.16
1月13日からはじまった「土屋輝雄展」に行ってきました。
展示室には、病床日記とともに、生き物の素描などが展示されていて、土屋輝雄の作品の魅力だけでなく、その人柄にも触れることができました。
日記には、高田祭りに出かけたことがわかる記述もあって、面白かったです。
また、素描につけられたたくさんの注釈は圧巻で、ものをみることに妥協がない様子から、イメージしていた人物像を修正することもできました。
この展覧会は、2月12日まで。
ぜひ、ご覧下さい。
養老町の芭蕉句碑。
2012.01.13
養老町には、松尾芭蕉の句碑が3つあります。
一つ目は、養老町高田の即心山乾崇寺(旧即心寺)境内の「蓑虫の音を聞に来よ艸の庵」
二つ目は、養老町橋爪の象鼻山ふもとにある「杜鵑声横たふや水の上」
三つ目は、養老町養老公園の千歳楼にある「名にひゞく泉や徳のとこしなへ」
です。
いずれも、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してありますので、ぜひ一度現地を訪れてみて下さい。
書き初め大会
2012.01.12
養老町立池辺小学校では、1月11日と12日の2日間にかけて、書き初め大会が行われました。
場所は給食棟で、1・2年生は硬筆、3~6年生は毛筆です。
各学年の課題は、冬休み前に与えられていて、児童達は冬休み中に練習を重ねて、この日を迎えます。
ぼくがお邪魔した11日には、4年生が「美しい空」の課題に取り組んでいるところでした。
大胆で力強い筆使いからは、年始にふさわしい作品がたくさん生まれていました。
どの子も、ちゃんと練習を重ねた成果を発揮できていましたね。
「ぞうびさん」の最終チェック。
2012.01.11
今年度、3つのペーパービジョン追加を進めてきた「ぞうびさん-3Dアニメーション-」ですが、おおよその作業が完了しました。
メインステージも、象鼻山が南宮山の一部であることがわかるように、表現を修正しています。
公開まで、あともう少し。
ぜひ、楽しみにお待ち下さい。
平成24年成人式
2012.01.10
1月9日(月・祝)、養老町民会館で「平成24年成人式」を開催しました。
今年の対象は、平成3年4月2日から平成4年1月までに生まれた人で、養老町では363名(男性174名、女性189名)が該当します。
式典では、新成人代表2名が成人としての抱負や家族への感謝、社会の一員としての生きることを力強く宣誓してくれました。
また、式典終了後に開催された、恩師を囲んでの茶話会では、思い出話や近況報告などに花が咲きました。5年前に自分宛に書いた手紙を受けとって、懐かしそうにしている場面もありましたね。
さらに今年は、終了後の後片付けを手伝う新成人もけっこういて、次の世代の頼もしさを感じることもできました。
土屋輝雄展が開催されます。
2012.01.06
来週の金曜日から2月12日まで、中山道広重美術館(恵那市大井町)で、「土屋輝雄展」が開催されます。
第36回岐阜県移動美術館として、(財)中山道広重美術館と岐阜県美術館が主催するもので、入場は無料です。
土屋輝雄は、養老町高田出身の日本画家で、昭和37年(1962)に57歳で亡くなるまでに、身近な生き物の、精緻な素描を数多く描いた人物。また、昨年養老町の名誉町民章を受賞された土屋禮一氏の父親でもあります。
会場が恵那市で、養老町からはちょっと遠い感じもしますが・・
おそらく、土屋輝雄の作品を一度に見ることができるはじめての展覧会だと思います。
養老町でも、心待ちにしていた人が多いのではないでしょうか。
1月14日(土)には、長男である土屋禮一氏による記念講演会も予定されているので、ぜひこの機会に土屋輝雄の世界に触れてみて下さい。
詳細はこちらからどうぞ。
転用された土器。
2012.01.05
弥生時代後期から古墳時代初頭の遺跡を調査していると、赤い顔料で飾った土器に出会うことがあります。
そうした赤色顔料が塗られた土器は、養老町を含む東海地方では、パレススタイル土器と呼ばれていて、それほど珍しくもないのですが、日吉遺跡で出土した上の写真の土器は、それとはちょっと様子が違いました。
色が薄くて分かりにくいですが、よく見ると、頭のあたりだけ赤い顔料が付着していて、さらに割れ口まで赤くなっているのが分かります。
土器が割れてしまった後に、赤い顔料が付いたということですよね。
おそらく、割れて器としては使用できなくなった土器を、赤色顔料用の道具か何かに使い回した結果、本来付着するはずのない割れ口に赤い顔料が付いたのだと思います。
ただ、どうしてわざわざ壊れている土器を使うのか、他にそれ専用の道具は無かったのかなど、いろいろと気になる点があります。
想像は膨らみますが・・
よくわかりません。
新年、おめでとうございます。
2012.01.04
新年、おめでとうございます。
昨年は町中が雪に包まれましたが、今年は天候もよく、穏やかなお正月となりました。
わが家では、今年も、おかがみさんを神棚やお仏壇の他、台所、お風呂、トイレなど12ヶ所に飾りました。
私が子どもの頃や、子どもが小さかった頃には、20飾りくらい作り、勉強机などにも飾っていましたが、今では徐々に数が減り、12飾りに落ち着いています。
しかし、それでも数が多いので、今日から少しずつ食べていく予定です。
ただ、トイレに飾られたおかがみさんを誰が食べるのかが、家族内でまだ決まっていません・・
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