Cultural Properties 文化財
高田祭曵軕
- ■指定:岐阜県指定文化財
- ■種別:民俗文化財
- ■種目:有形民俗文化財
- ■時代:江戸
高田の三輛の軕は何れも名古屋形式であって、車輪が静止したままでも屋台が回転できる珍らしいものです。
一 高田祭曵軕 猩々軕(西町)
猩々軕は宝暦12年(1762)にできたものです。寛政6年(1794)の高田町の大火で焼失し、現在の軕は10年かけ天保3年(1832)に完成しました。また13年かかって安政4年(1857)までに彫物一式、下勾欄の青貝塗、上勾欄の金具の取付等を行いました。特に彫物は優れているので彫刻として県が重要文化財に指定しています。
この軕の猩々人形は、謡曲に合せて、からくりで踊らせ、お囃を行います。軕の高さ6.5㍍、間口2.8㍍、奥行6㍍。
二 高田祭曵軕 林和靖軕(東町・中町)
林和靖軕は、高田町の本通りの中町から東町の住民に所属する軕です。この軕の始めは、宝暦12年(1762)に愛宕神社の祭を盛大にするために、東町に御旅所を建立してからです。(西町、東町・中町及び下河原の曳軕の始まりが下河原の永代記録にのっています)
軕はその後、町内の火災にあって、焼けています。現在の軕は名古屋市伝馬町の軕を購入したものと伝えます。
からくり人形の林和靖・唐子・鶴は名古屋で天保〜嘉永年間(1830~1854)に活躍した真守の作といいます。林和靖という仙人が読書している所へ鶴が一羽飛んで来て、菜の葉を啄んで林和靖に食べさせようとしている、その鶴を追い払おうとする動作を巧みに操るからくりは面白い。軕の高さ6.5㍍、間口2.9㍍、奥行4.2㍍。
三 高田祭曵軕 神楽獅子軕(下河原町)
神楽獅子軕の始まりは宝暦9年(1759)6月24日の愛宕神社祭礼に若衆が獅子にわかを奉納したことがきっかけとなって、同12年に獅子軕を求めました。この年には、愛宕神社の御旅所が東町に建立され、西町、東町・中町も軕を拵えて、三輛の軕を曳き、祭を盛大にしました。この三輛の軕が揃ったことは、下河原の神楽連中の「永代記録」の中に記してあります。
寛政6年(1794)高田の大火によって軕は焼失し、天保元年(1830)に長良北町の軕を九両一分で買い求めたとあります。また同記録には天保5年に大垣俵町で猩々緋幕を金二十三両で買い求めたとあります。軕の高さ6.15㍍、間口2.96㍍、奥行3.5㍍。
猩々軕(西町)
林和靖軕(東町・中町)
神楽獅子軕(下河原町)