News 最新ニュース
水谷先生、ありがとう!
2010.06.03
養老町立上多度小学校には、読書好きの子どもがたくさんいます。
その理由のひとつが「水谷文庫」。
「水谷文庫」は養老町田出身の水谷三郎さんより寄贈された本のこと。
水谷さんは子どもの頃から読書好きで、上京して出版業界において活躍された方です。
また、国語審議会委員なども務め、文部大臣より感謝状、養老町からは地方自治功労賞がおくられました。
「読書を通じて豊かな心を育んでほしい」という思いを込めて、昭和25年より母校に毎月約10冊の本の寄贈を始めました。水谷さんが亡くなった現在でも、ご遺族がその意志を継いで毎年約40冊の本を寄贈され、その数は5000冊以上にのぼります。
上多度小学校では感謝の意味を込め、毎年「水谷賞読書感想文コンクール」を開催し、今年もその受賞式が11月に行われます。
図書館にお邪魔した時も、1年生が元気よくあいさつをして本をかりにきました。
ちなみに、ここは僕の母校。佳作に選ばれたのを覚えています。
白い田んぼ
2010.06.02
写真の白い部分が何かわかりますか?
実はこれ、田んぼなんです。
この田んぼでは、種籾の入った綿のシートを使っています。
思いついたのは寝具を取り扱っている養老町の方。
古くなった布団の再利用を考えていたところ、この方法にたどり着いたそうです。
この栽培方法には、雑草が生えないことや、綿が土に還るといったメリットがあるようです。
よく見ると小さな芽が出ているのがわかりました。今後どのように育つか楽しみです。
初夏の収穫。
2010.06.01
今日から6月。
養老町でも、小麦の穂が黄金色になり、収穫の時期が近づいてきました。
写真は、養老新橋の南から撮影した麦畑。
来週くらいから、収穫されるようなので、もう少しこの風景を楽しめそうです。
そして、小麦の収穫が終わるとやってくるのが雨の季節。
この快適な時期もあとわずかですね・・
象鼻山の麓に残る多良街道。
2010.05.31
象鼻山の麓、古墳群の入り口から道をはさんだ反対側に、多良街道(たらかいどう)が残っています。
多良街道は、大垣市上石津町多良と大垣市久瀬川を結ぶ古道であり、養老町を経由していました。
しかし、いつ頃から利用されていたのかは、あまり明らかになっていません・・
ただ、江戸時代の上石津町多良が、木曽三川流域の治水に大きな役割を果たした高木家の本拠地であり、同じ時代の大垣に戸田候の城下町が繁栄したことから、近世には多くの利用があったことは間違いなさそうです。
経由地の一つに養老町室原があることから、室原文楽が呑助連に興行にいった道もこれなんでしょうね。
多良街道の詳細が知りたい方は、電子書庫の「養老町の古道」をご覧ください。
幸せのラビットカー
2010.05.28
養老鉄道には、時々オレンジ色の電車が走っています。
名前はラビットカー。
めったにお目にかかれないことから、「見た人は幸せになる」といわれるようになりました。
その正体は、昔の車両の復刻版。
急行列車などの合間を縫って運行する様子が、ウサギを連想させることから、この名前がつけられました。
運良く目撃することがあれば、車両の側面に注目して下さい。
芸術家の岡本太郎さんがデザインしたウサギのマークがあしらわれています。
僕が見たのは朝の9時ごろ。今は心当たりがありませんが、夜までにはいいことがおきる予感がします。
パノラマで見る濃尾平野
2010.05.27
養老山地からは広大な濃尾平野を一望でき、天気や季節、時間によっていろんな景色を楽しむことができます。
上の写真は竜泉寺の東海自然歩道入口から撮影したもの。晴れの日には名古屋のビル群まで眺めることができるのですが、この日は曇り。それでも、濃尾平野の遠くまで広がる雲の波が印象的でした。
養老山地の吸血鬼。
2010.05.26
雨上がりの養老山地へ入るとき、もっとも気をつけてほしいのがヤマビルです。
山のいたるところにいて、知らない間に服や靴の中に入ってきます。
養老町教育委員会では、養老山地に所在する中世山岳寺院跡の調査を継続して実施しているのですが、雨上がりの調査はヤマビルが気になって仕方ありません・・・
象鼻山ではほとんど見かけないことから、石灰岩帯に多く分布しているような気がするのですが、いかがでしょうか。
インターネットを検索し、対策もそれなりに講じているのですが、なかなか手強いです。踏んでも簡単にはつぶれません。
地元の方に、山中の古墳の案内をお願いしたときも、「この時期に地元で山に入る人はあんまりいない」と、かなり難色を示されていました。
中世にもいただろうと思うのですが、当時の人がどのように対処していたのかも気になるところです。
タギゾウくんシール
2010.05.25
「養老町の歴史文化資源」には、携帯電話で閲覧できるモバイルサイトがあります。
史跡や、祭りといった屋外にある歴史文化資源の情報を、現地で閲覧していただくためです。
今日は養老町の池辺地区を中心に、「宝暦治水」のモバイルサイトを閲覧するための、タギゾウくんシールを掲示しました。QRコードを活用したデザインになっています。
まだまだ掲示場所は少ないですが、目にとまる機会があれば、一度試してみてください。
また、掲示場所を提供してもよいという方があれば、ぜひお願いいたします。
薩摩義士の故郷、鹿児島へ。
2010.05.24
明日、鹿児島市で行われる鹿児島県薩摩義士頌徳慰霊祭に参列するため、中学生4名を含む11名が養老町を出発しました。
薩摩義士とは、養老町を含む木曽三川流域の治水問題の解決に大きな功績を残した薩摩藩士のことで、明日はその総奉行を務めた平田靱負(ゆきえ)翁の命日にあたります。
そして、この宝暦治水の本部である大巻薩摩工事役館跡が養老町に所在し、まさにその場所で平田靱負翁が自刃したと伝えられていることから、毎年町の代表が、この慰霊祭にあわせて鹿児島を訪れています。
今年は、天気もよさそうですし、鹿児島は岐阜よりもずっと暑いんでしょうね・・慰霊祭だけでなく、前夜祭への参加や、地元中学校との交流会など、過密なスケジュールが続きますが、体調には気をつけて2日間を過ごしていただきたいです。
薩摩義士の詳細が知りたい方は宝暦治水もあわせてご覧ください。
未来の考古学者。
2010.05.21
先週の出前講座を聞いてくれた養老小学校6年生の松本くん。
「身近にある田んぼや畑にも、昔のものが落ちていることがある」といったぼくの言葉を確かめに行ってくれたんですね。
見事におばあさんの畑から、弥生時代の矢じりを見つけてきてくれました。とてもうれしかったです。
3つの矢じりはいずれも石でできていて、石の種類はチャート2、下呂石1です。弥生時代の中期の・・ 後半・・といったところでしょうか。紀元前1世紀ごろですよね。
ただ、おばあさんの畑は養老ではなく、美濃加茂なのかな・・
養老町の弥生時代中期の資料は、まだわずか。松本くんに負けないよう、ぼくも頑張ります。
また、どこかで会えたらうれしいなぁ・・
めずらしいカタツムリ。
2010.05.20
養老山地で、オオケマイマイというカタツムリに出会いました。
このカタツムリの特徴は、なんといっても殻の周りの太い毛。一度見たら忘れられない存在感でした。
実は、養老山地は石灰岩帯であり、多様なカタツムリを観察できる場所でもあります。また、養老山地に位置する後期古墳から人骨の発見報告があるのも、このためでしょうね。
カタツムリの季節はまだまだこれから。次の出会いが楽しみです。
雨の日に見かけた花
2010.05.19
田んぼに水をはる5月の後半、カラーというサトイモ科の花が咲きます。
この花の名が「カラー」であることを私が知ったのは、大人になってから。幼い頃は「らっぱそう」だと信じていました。近所のおばちゃん達がそう呼んでいたからです。
雨の日に見るこの花は、晴れているときより、ずっと瑞々しく、絶妙なカーブを描く白い花も魅力的に映ります。
しかし、この白いらっぱの部分、本当は花じゃなくて苞(ほう)という、つぼみを包む葉なんですね。ホントの花はその奥の黄色いところ。原産国が南アフリカだということも初めて知りました。
こんな発見もあり、雨の日も結構楽しいですよね。
五月晴れの養老山地を望む。
2010.05.18
5月に入り天候が不安定でしたが、数日前から爽やかな晴天に恵まれています。
養老町有尾の交差点から眺めた山の新緑はまぶしく、風は爽やかです。
養老町は総面積の30%が水田。田起こしが終わった田んぼには、もうすぐ水がはられ、田植えの準備が始まります。風にゆれる水田の波紋を眺めるのが、今から楽しみです。
ヒトツバタゴの花が咲きました
2010.05.17
日吉小学校の校庭に、綿帽子のような白い花。この花は「ヒトツバタゴ」という名前で、モクセイ科の落葉高木です。花は新枝の先に多くつき、長さ10cmくらいの花房にまとまって咲きます。その様子はまるで雪化粧のような清らかさがあります。
花弁をよく見ると、プロペラの形をしています。
このかわいらしい花をつける木を子どもたちは「なんじゃもんじゃ」と親しみを込めて呼んでいます。
日吉保育園の駐車場からも見ることができます。この先、一週間くらいは咲いててくれるかな。
祭の終わり。
2010.05.16
高田祭もいよいよ還幸の儀となりました。
「大垣祭が晴れると、高田祭は雨が降る」そんなジンクスをふきとばす2日間でしたね。
祭を支えた方々、本当にお疲れ様でした。
祭が終わり、明日からは日常。気持ちの切り替えに苦労しそうですが、ひきつづき頑張っていきましょう。
高田祭がはじまる。
2010.05.15
高田祭りがはじまりました。
本当にいい天気になりました。
今日は試楽なので、奉芸は下川原の小神楽だけ。 獅子に頭を噛んでもらった幸運な男の子、次のテストはきっと楽勝だ。 ちなみに、頭を噛んだ獅子は、お歯黒してるので女の子。 優しく噛んでくれてましたね。
明日は本楽、各車山の奉芸が楽しみです。
いよいよ明日から高田祭りです。
2010.05.14
高田祭りはいよいよ明日からです。
心配された天気も、今年は大丈夫そうですね。
過去2年にわたって、天候不順にみまわれた高田祭り。
かれこれ、2年にわたって曳き出されることのなかった車山も、今年はみることができそうです。
土・日のどちらで見に行こうか迷ってる方は日曜日がお勧め。
最寄り駅は養老鉄道美濃高田駅、駐車場は養老町役場が利用できます。
前田慶次郎と養老町祖父江
2010.05.13
養老町祖父江には戦国時代に活躍した前田慶次郎の子孫が住んでいたと伝えられています。
言い伝えでは、慶次郎は関ヶ原合戦の後、この地で村役人を務めていた川瀬彦兵衛の家を訪ね、息子である吉兵衛を預けて旅立ったそうです。
確かな話かどうかわかりませんが、地元である祖父江は誇りに思い、石碑を建てて、毎年1月15日に慰霊祭を行っています。
小学校への出前講座
2010.05.12
養老町教育委員会では、考古学の出前講座を無料で実施しています。
今日は、養老小学校の6年生を対象に、お話をさせていただく機会を得ました。
今から1800年前の養老町にも人が住んでいたことを分かってもらえたでしょうか。
こういう機会を得ると、いつもこの中から考古学に興味をもつ子がでないかと期待してしまいます。
小学校に限らず、町内であればどちらでも伺いますので、さらなる注文をお待ちしています。
岐阜県で唯一の横綱の手
2010.05.11
岐阜県で唯一の横綱は、養老町鷲巣の出身です。
しこ名は「鬼面山谷五郎」第13代の横綱です。 写真は、その横綱の手形です。その大きさは、23.5cmで、女性の足と同じくらいの大きさがあります。 ちなみに、横の手のひらは、養老町役場の男性職員のもので18.0cm。 これだけでも、横綱鬼面山の強さを想像できます。
詳細が知りたい方は、郷土の先人もあわせてご覧下さい。