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昭和39年度の養老北小学校入学式。
2013.02.20
昨日、昭和39年度の養老北小学校の入学式の写真を見る機会に恵まれました。
児童数の減少により、まもなく統合されてしまう直前の入学式の写真だけあって、さすがに人数が少ないですよね。
町史によると、昭和39年度の養老北小学校は、教職員の配置定数が1名減になった為に、学校とPTAが児童の学力低下を憂慮し、わざわざPTA側から経費を負担してまで1人の先生を雇い入れ、複式学級になるのを回避したそうです。
そんな昭和39年の養老北小学校の入学児童数は、男子11名、女子9名。
天気が悪かったため、校舎玄関でなく、裁縫室での撮影になったみたいですが、貴重な資料となりました。
それにしても、どの先生が、新しく採用された先生なんでしょうね。
ネコヤナギの花。
2013.02.19
先週、お墓参りにいくと、お地蔵様にネコヤナギが供えられていました。
1月頃から、養老町のあちこちで見かけるようになるネコヤナギですが、花の少ないこの時期には、切り花として重宝しますよね。
わが家でも、お墓やお仏壇に飾っていて、母もよく使っていました。
そんなネコヤナギの出番も、もうあと少し・・
そろそろ、梅の季節に変わりますね。
養老公園にあった群霊塔。
2013.02.18
明治の終わりから昭和18年までの間、養老公園の妙見堂の北東あたりの位置に、濃尾震災の犠牲者と、日清戦争の戦没者を祀った群霊塔が建っていました。
ただ、この群霊塔は銅製であったために、昭和18年に第2時世界大戦に伴う金属回収で供出され、建立後50年足らずで、その姿を消してしまったそうです。
上の写真は、そんな群霊塔が、まだ養老公園にあったころの様子を撮影した貴重な写真。
これだけでは、よく分かりませんが、塔の上部三方には、まるで下を睨んでいるように仏像が取り付けられ、怖いもののように感じる方もいたみたいですね。
どんな仏像だったのか・・
引き続き、情報の収集を続けたいと思います。
船附の7つの秋葉神社。
2013.02.15
養老町船附には、火伏せの神様として知られる秋葉神社が7社もあります。
小さいものが多いものの、ごく狭い範囲に集中しているため、その由緒がずっと気になっていたのですが、先日、これらの秋葉神社に関わる情報を教えていただく機会に恵まれました。
お話によると、
今から300年程前に、養老町船附の生蓮寺(しょうれんじ)が、一時無住になり、村人が境内にゴミを置きはじめました。そして、ゴミが山のように溜まった頃、ゴミの中から火の玉が浮かび、ゴミを捨てた人の元へ飛んでいきました。その結果、村の至る場所で火事がおこり、「六羽野乞食(ろっぱのこじき)」といわれるほど家を失う人が続出したため、火伏せの神様である秋葉神社を村中に祀るようになったそうです。
ちなみに、7社のうち3社は、明治初期に再建されたという記録が町史に残っています。
この火事の記録など、まだ調べ足りないことはたくさんありますが、少しすっきりしました。
おすすめテーマの追加準備。
2013.02.14
養老町教育委員会では、「タギゾウくんの自由研究」におすすめテーマを追加する準備を進めています。
追加するおすすめテーマは全部で3つで、その第1弾は、昨年の夏に実施した火打石ワークショップを基にしています。
公開まで、もう少し時間が必要ですが、きっと参考になると思いますので、ぜひ楽しみにお待ちください。
多芸小学校の建築資材。
2013.02.13
先日、養老町飯田の方から、多芸小学校の校舎は、養老町直江・飯積・金屋の人々が共同で、直江が所有している小谷山から、木を切り出して建てたものであることを教えていただきました。
ちなみに、多芸小学校は、大正10年(1921)に、将来を担う村の子ども達があちこちばらばらに小学校に通う現状を憂いて設立された学校で、それだけでも、多芸の人々の教育に対する自立意識の高さが伺えるのですが・・
今回新たに、校舎の建築資材を、自分たちの持ち山から提供したことを知り、改めて多芸の人々の絆に対する思いの深さを感じることができました。
小谷山と多芸小学校は、直線距離でも約5km。
高低差や道中の不便も考えると、建築資材の搬出・運搬は、大変な作業だったでしょうね。
象鼻山の眺望回復作業が完了しました。
2013.02.12
先月から進めていた象鼻山の眺望回復作業が終了しました。
これにより、象鼻山からの眺めはずいぶんよくなりましたが・・
それでもまだ象鼻山1号墳の被葬者が見たであろう眺望に近づくには、しばらく時間がかかりそうですね。
ただ、登る価値は十分にあると思います。
春も近づいて、少し温かくなってきましたので、ぜひ一度、象鼻山に登ってみてください。
妙見堂への道標。
2013.02.08
養老公園の妙見堂の登り口と、渡月橋の北詰には、それぞれ同時期に、ほぼ同じ内容で建てられた2つの道標があります。
書かれている内容は、それぞれ以下のようなものなので、妙見堂までの道を示すものであることは間違いないと思いますが・・
妙見堂登り口
「(正面)左 妙見山 本堂より瀧へ三丁(右側面)鳳明代 大正九年四月 施主 日比野寅吉」
渡月橋北詰
「(正面)妙見山 本堂より瀧へ三丁 左(右側面)鳳明代 大正九年四月 施主 鈴木利太」
鈴木利太がどのような人物で、養老サイダーの生みの親である日比野寅吉とどういう関係にあったのかが、ちょっと気になっています。
寅吉の出身地である大垣の人のようなので、単に二人は仲のいい友達だっただけかもしれませんが、せっかくなのでもう少し調べてみたいと思います。
大正2年の時刻表。
2013.02.07
先日、開業当時の養老鉄道の時刻表を見せていただくことができました。
ちょうど100年前の、大正2年(1913)のものです。
ちなみに、当初の養老鉄道は汽車で、まずは池田町から養老町までの区間で営業を開始したのですが・・
この資料を見せていただいて、新たに、当初の養老鉄道の大垣養老間には、西大垣・友江・美濃高田の3つしか駅がなかったことや、それにも関わらず大垣養老間の移動に38分もの時間を要したことなどを知りました。
どうやら、現在のように大垣養老間を25分で結ぶようになったのは、養老鉄道が電化される大正12年(1923)からみたいですね。
それにしても、私が最寄り駅として利用している烏江駅が、開業当時の養老鉄道に見当たらないことには驚きました。
いったいいつできたのか・・
少し調べてみたいと思います。
ホームページのリニューアル準備中。
2013.02.06
養老町教育委員会では、現在「養老町の歴史文化資源」ホームページのリニューアルを進めています。
タギゾウくんの養老ノートなど、主要なコンテンツにアクセスしやすい環境をつくるのが主な目的です。
それほど、大きな変更にはなりませんが、これまでより少し、使い勝手が向上すると思いますので、いましばらくお待ちください。
養老町郷土料理の記録ノート。
2013.02.05
現在、養老町教育委員会では、情報収集した5つの郷土料理の記録を公開する準備を進めています。
公開の方法は、「タギゾウくんの養老ノート」と「iBooks用の電子書籍」の2種類。
とくに、後者の電子書籍は、動画や3D画像などを直感的に操作できるため、子どもでも楽しめるものになると思います。
1~2ヶ月中には公開できると思いますので、ぜひ楽しみにお待ちください。
不老ヶ池の噴水。
2013.02.04
養老公園の千歳楼の東側に、「不老ヶ池」と呼ばれている池があります。
この不老ヶ池、まだまだ情報不足で、その由来など、よく分かっていないことも多いのですが・・
最近の聞き取り調査で、元はもっと小さな池だったことや、現在の姿に整備した際には、噴水も設けられていたことが分かってきました。
その当時の様子を撮影したものが、上の写真になります。
左下に、かなりの高さまで、水を噴き上げる噴水が写っていますよね。
唐谷の水を利用しているんだと思います。
現在も、四季を通して、カメラをもった方達がたくさん訪れる不老ヶ池。
引き続き、情報収集を続け、名前の由来や、整備した人物が誰なのかを調べていきたいと思います。
橋爪のヨノキ。
2013.02.01
養老町橋爪には、「ヨノキ」と呼ばれているエノキがあります。
樹齢は300年ほどで、邪霊を退けるため、民家の北西(戌亥)隅にしっかりと立っているのですが・・
ここが、狭い道路脇にもあたっているため、ちょっと迷惑そうにする車もあるみたいですね。
しかし、地元では、「ヨノキの方が先にここにいたんだから」といって、なるべく邪魔に思わないようにしているそうです。
今はすっかり葉が落ちていますが、春を迎えると大きく広がった枝に葉が生い茂り、秋には5~7mmくらいの赤い実を付けるので、ぜひ一度会いに行ってみてください。
ただ、車で進入するのはやめておいた方がいいと思います。
丁石(4・10)の復元。
2013.01.31
今日は、倒れたままになっていた四丁の丁石と、大部分が土に埋もれていた十丁の丁石の復元作業を行いました。
ちなみに、丁石というのは、滝までの距離を示す道標のことで、1丁は約109メートルになります。
どちらも大変な作業でしたが、地元の方々のご助力を得て、手際よく終了することができました。
道具までご提供いただき、本当にありがとうございます。
元通りになった丁石は、どちらも立派なもので、雰囲気も以前よりずいぶんよくなりました。
養老神社の境内を通る、たき道沿いに建てられていますので、養老の滝を訪れる際には、ぜひこちらの丁石もご覧になってみてください。
山田貞策さんの情報収集2。
2013.01.30
先月に引き続き、今月も山田貞策について、ご子孫の方から、お話を伺う機会が得られました。
ご協力ありがとうございます。
調査では、先月に得られていた情報を再確認できたほか、お葬式の様子や、これまで知られていなかった会社設立の情報など、新たにたくさんの情報を収集することができました。
また、これまで青色と誤解していた、山田貞策が建てた教会の屋根の色が赤色だったことや、建物の名称が修道館ではなく、修徳館であったことも教えていただきました。
さらに、お庭では、養老町大巻の山田貞策邸から移された灯籠を見せていただくことも・・
こんな立派な灯籠があった山田貞策邸の庭は、きっと素晴らしいものだったんでしょうね。
この他、伺った多くの内容は、整理し、なるべく早く養老ノートで公開していきます。
ぜひ、楽しみにお待ちください。
象鼻山の爆弾投下跡。
2013.01.29
養老町橋爪の象鼻山には、第2次世界大戦中にB29によって爆弾が投下された痕跡が残っています。
投下されたのは、クラスター爆弾と呼ばれる、本体から多数の子弾を散布して、広範囲の目標を破壊するタイプのもの。
昭和20年6月26日の午前10時頃、田植え休みのまっただ中に、象鼻山西南部の斜面一帯から牧田川の河原までの広い範囲に投下されたため、総出で田植えをしていた村中の家族は、爆弾が破裂する轟音と、飛んでくる破片に驚き、そのまま逃げるようにして家に戻ったそうです。
ちなみに、爆弾が投下された理由として、飛行機の重量を軽くするためであったとか、象鼻山山頂の明治記念碑が大砲に見えたためなどといわれていますが、あまりはっきりしていません。
また、投下された子弾のうち3つは、象鼻山3号墳に命中し、今も大穴が3つ残っています。ただ、土で埋まって当時よりは小さくなっているみたいですね。
象鼻山山頂にある休憩所の西側を少し下ったあたりに、爆弾跡を示す標柱がたっていますので、興味のある方は、ぜひ天気の良い日を選んで探しに行ってみてください。
終戦後の映画大会。
2013.01.28
養老町教育委員会では、今年度も引き続き、町内の様々な方から、昔の話を伺い、記録化する作業を進めています。
そんな中、今回少し気をつけて伺うようにしているのが、養老町の昔の娯楽についてのお話。
意識していないと聞きそびれてしまいますが、意外に重要な情報を含んでいて、さらに、聞いていても楽しいものが多いです。
そういったお話の中で、最近少し気になっているのが、終戦後、養老町の島田や押越など、あちこちで行われていた映画大会の実態。
どうも屋外に枠を組み、幕を張って上映するシンプルなもので、神社を会場にすることが多かったようなんですが・・
どのように運営されていたのかが、よく分かっていません。
ちなみに入場は無料だったそうです。
ただ、会場の後ろで自転車の荷台に乗って映画を観ていて、亡くなってしまった人もいるくらい賑わっていたそうなので、きっとまだ記憶のある方もお見えになると思います。
引き続き、情報収集を続け、できれば当時の写真などを発見したいところです。
第13回「家族の絆愛の詩」発表会を開催します。
2013.01.25
明後日の日曜日、午後1時30分から、「親孝行と生涯学習を進めるまち養老」町民会議推進大会及び、第13回「家族の絆愛の詩」発表会を開催します。
会場は養老町民会館です。
当日は、シリーズ13作目となる「家族の絆 愛の詩4」の販売を開始するほか、一般の部や小中学生の部の入賞者による朗読も予定しています。
今回もすばらしい作品がたくさん寄せられていますので、ぜひご参加ください。
寒い日になりそうですが、きっと心は温まると思います。
1月26日は文化財防火デーです。
2013.01.24
1月26日の文化財防火デーにあわせ、養老町でも、今日、養老公園の養老寺で防火訓練が行われました。
訓練は「養老寺宝物殿より出火、養老保育園の先生が119番通報、避難の際、養老保育園園児及び保育士が負傷」という想定で行われ、養老保育園の園児やその保護者など約80名が参加しました。
養老公園は、貴重な木造建築物をはじめ、たくさんの文化遺産があり、さらに大勢の方々が観光に訪れる場所なので、ここで訓練が行われることは、大切なことですよね。
1時間ほどの訓練でしたが、園児の保護者を対象とした初期消火訓練なども、文化財の防火・防犯意識を高める良い機会となっていました。
養老公園以外の文化財所有者や管理者の方々も、ぜひこの機会に文化財周りの再点検をよろしくお願いします。
象鼻山眺望回復の進捗状況。
2013.01.23
先週から続けている象鼻山の眺望回復作業ですが、ようやく終わりが見えてきました。
ご助力いただいている皆さま、本当にありがとうございます。
象鼻山1号墳からの眺望も、ずいぶん良くなりました。
作業完了後には、その写真を掲載する予定ですが、自身の目で見るほうがオススメです。
きっと素晴らしい時間になると思いますので、ぜひ一度、新しい象鼻山からの眺望を見に来てください。