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土屋輝雄の孝子伝説。
2013.03.21
養北小学校の正面玄関には、土屋輝雄さんが描いた孝子伝説の絵が飾られています。
土屋輝雄さんは、養老町高田出身の日本画家。
そのため、町内には、いくつか輝雄さんの絵が残されてはいるのですが・・
孝子伝説を描いた作品は、今のところ他では見た覚えがありません。
無断で校舎に入ることはできませんが、地区の行事など小学校に行く機会があれば、ぜひこちらもご覧になってみてください。
隼人神社のじょりぬぎ場。
2013.03.19
養老町上之郷の隼人神社には、じょりぬぎ場といわれる場所がありました。
じょりぬぎ場というのは、神社の前にあった草履を脱ぐ場所のこと。
どうも、隼人神社にお参りするときには、素足になっていたみたいですね。
今はもう、その場所は残っておらず、詳しいことは分かっていないのですが、私がお話を伺った82歳のおばあちゃんによると、最近まで、3m×2mくらいの島状の形で、神社の南の田んぼの中に残っていたようでした。
ただ、この方が物心ついたときには、すでにじょりぬぎ場で履き物を脱ぐ人はいなかったそうです。
さらに、その姿が往事のままであったかもはっきりしませんでした。
しかし、このじょりぬぎ場は、隼人神社だけでなく、その少し北の白山・御鍬神社にも、あったみたいです。
ひょっとしたら、ほかの地区の神社でも見つかるかもしれないので、ひき続き、情報収集を続けようと思います。
オイカワとカワムツ。
2013.03.18
先週、役場の北の、除川へ通じる水路で、魚捕りをしている少年を見かけました。
網一つでやっているので、どのくらい捕まるものかと、その成果を見せてもらったところ、10匹くらいバケツに入っていました。
なかなかやりますね。
しかし、それよりも印象に残ったのが、この少年がとても魚の名前に詳しかったこと。
見分けるのが難しいカワムツとオイカワも、体の厚みやヒレの色で説明してくれました。
ちなみに下の写真が、少年が捕まえたオイカワになります。
金草川などにも生息しているそうなので、機会があれば、ぜひ見分けられるか試してみてください。
ただ、水辺には、危ないところもあるので、気をつけてくださいね。
マイタケ生育状況1。
2013.03.15
先月23日のキノコワークショップで、マイタケ菌の接種をおこなった原木ですが、半月ほどで、順調に菌がまわりはじめました。
上の写真が、その様子を撮影したもの。
菌の培養を行っている段階で、マイタケ菌は雑菌に弱いため、栽培袋を使用しています。
ちなみに、原木の種類ですが、左からアラカシ、コナラ、ハゼとなっています。
アラカシやコナラと比べると、若干ハゼの菌のまわりが遅いですかね・・
何もかもがはじめてで、不安もありますが、ワークショップにご参加いただいた皆さんと、また笑顔で会うためにも、しっかり管理を続けていきたいと思います。
養老北小学校の春の遠足。
2013.03.14
先日、昭和39年に行われた養老北小学校の春の遠足の写真を見せていただきました。
象鼻山ですよね。
写真の右上に、当時1号墳の上にあった明治記念碑が写っているので、3号墳あたりでお弁当を食べているところを撮影したものだと思います。
ちなみに、沢田の養老北小学校から象鼻山へ行くためには、川を渡らなければならないのですが、どうやら上石津町乙坂と養老町沢田の間にあった小さな木造の橋を通ったみたいですね。
当時の地図で距離を測ってみると、3.7kmくらいの道中でした。
小学校1年生の足だと、2時間くらいですかね。
それにしても、バナナを食べている子が目立ちます。
50年程前は、特別な日のお弁当のデザートといえばバナナで、私もお昼をとても楽しみにしていたことを思い出しました。
下笠上市場のお地蔵さま。
2013.03.13
養老町下笠字上市場に、個人でお守りされているお地蔵さまがいます。
このお地蔵さまは、今から100年ほど前に、現在の管理者の祖母にあたる方の産後の身体状態が思わしくなく、その回復を祈って建てられました。
その後、お地蔵さまの御利益で、おばあさんの体調も戻り、現在も家族で大切にお守りを続けられているそうです。
そんな下笠字上市場のお地蔵さまですが、私が初めてお参りしたときには、野球の試合の勝利祈願として、息子さんがお供えしたボールがありました。
当初の目的とは違うかたちですが、今もこのお地蔵さまが家族の心の拠り所となっているんですね。
養老ナビ情報の追加17。
2013.03.12
先月末、「タギゾウくんの養老ナビ」に、新たに210件の文化遺産情報を登録しました。
養老町文化遺産情報活用実行委員会が今年度に進めてきた事業の成果です。
これにより、これまであまり注目されてこなかったような文化遺産についても、その内容や位置をご紹介できるようになりました。
歩いてすぐの距離にも、これまで知らなかった文化遺産がたくさんあると思いますので、ぜひ一度、試してみてください。
昭和3年の花火大会。
2013.03.11
昭和3年(1928)の7月、養老観光協会の前身である養老保勝会は、養老の滝が二十五勝(名勝)のうちの一つに選出されたことをきっかけに、「養老瀧守護不動尊夏祭りの余興」の名称を「養老瀧夏祭り余興」に変更し、西濃独得の花火に三河花火を組合せた花火大会を開催しました。
上の写真は、そのときのメインである三尺玉の前で撮影された記念写真。
前列に腰掛けている2人が主催者代表です。
笑顔で写っているわけではありませんが、なんとなくお祭り気分で浮かれている様子が伝わってきますよね。
この養老公園の花火大会については、町史にも少し詳しく記述されており、どうやら花火大会の予算には、大会当日の養老鉄道の利用客の増収分が充てられたみたいです。
けっこうお客さんが入ったということなんでしょうね。
そして、この花火大会は、その後支那事変が拡大する昭和12年(1937)まで、9年間続けられました。
いろいろ工夫したようで、全国煙火競技大会を開催した年もあったみたいです。
それにしても、古来より西濃地方に伝承する民俗的花火と三河花火が共演する花火大会とは、一体どんなものだったんでしょうね・・
水仙の花。
2013.03.08
先週、西岩道の田んぼの土手で、水仙の花を見つけました。
12月くらいから見かけるようになる花ですが、この辺りでは、温かくなりはじめてからのほうがよく見かけるような気がします。
温かくなると、茎が長く伸びるので、目立つのかもしれませんね。
ちなみに、上の写真の水仙は、八重という晩生の品種。
花の少ないこの時期に、いい香りのする水仙は貴重で、わが家でも、家の中に飾ることが多いです。
とはいえ、もうそろそろ、いろいろな花が咲きはじめるので、水仙を楽しめるのもあとわずかですね。
「渋谷代衛さん」PDFデータの公開。
2013.03.07
『郷土のために骨身を惜しまなかった渋谷代衛さん』のPDFデータを電子書庫に公開しました。
代々の庄屋の家に生まれながら、養老町のために全ての財産を投げ打ち、粗末な家でその生涯を閉じた渋谷代衛さん。
この本の中の、目次の6「逸話集より」には、そんな代衛さんが長年の病気暮らしの中で語ったことを、息子である理兵衛さんがまとめた記録が掲載されています。
代衛さんの四男である孝次さんは、この逸話集のまえがきの中で、「世の役に立つものではなく、ただお世話になった方だけに見てもらいたいと思います」と綴られたようですが・・
できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと思っています。
少し、耳の痛いものが多いですが、きっと世の役に立つものばかりですので、ぜひ一度目を通してみてください。
篠塚神社の年乞祭。
2013.03.06
昨日、養老町橋爪にある篠塚神社の、年乞祭(としごいまつり)におじゃましてきました。
この祭りは、毎年3月5日に行われている篠塚神社の春祭で、その年の五穀豊穣と、生活全般の幸福を祈るためのものです。
ちなみに、祭りの進行や規模などは、前回おじゃました12月の新嘗祭によく似ていました。
そんな橋爪の篠塚神社ですが、実はご祭神の使いはウサギ。
そのため、拝殿にはウサギの彫刻も奉納されていて、さらに「ウサギの肉を食べるとその家は必ず災害を受ける」という言い伝えも残っているのですが・・・
どうしてウサギなのかはよく分かりません。
何か理由があるんでしょうね。
皆さんも、もし象鼻山でウサギを見かけることがあったら、大切にあつかってくださいね。
養老公園の梅林。
2013.03.05
昔の養老公園には、見事な梅林がありました。
上の写真は、その当時の様子を撮影した貴重なもの。
白黒ですが、それでもすばらしい景観であったことが伝わってきますよね。
そんな梅林ですが、今はもう無く、現在は、養老公園の駐車場(養老寺東隣)になっています。
ただ、駐車場の周辺を、よく見ると、生き残った梅の木がポツリポツリ・・
今日確認したところでは、まだ小さなつぼみでしたが、もう間もなくきれいな花を咲かせてくれると思いますので、ぜひ養老公園にお越しの際には、こちらもご覧になってください。
橋爪神明神社の鳥居。
2013.03.04
象鼻山のふもとにある神明神社の鳥居ですが、腐食が著しいため、建替えの準備が進められています。
上の写真は、そんな神明神社に、新しく組み上げられるのを待つ、鳥居の様子。
象鼻山のヒノキを使って作られています。
いつ建て替えられるのか、まだハッキリと決まっていないようですが、きっと10月の秋祭りまでには新しくなりますよね。
今からその日が楽しみです。
養老神社の木製鳥居。
2013.03.01
先日、養老神社の鳥居がまだ木製だった頃の写真を、見せていただくことができました。
養老神社の鳥居が昔は木製だったいうお話は何度か聞いていましたが、こんな様子だったんですね。
現在の石製の鳥居も悪くないですが、木製もすてきです。
ただ、いろいろお話しを聞いていると、どうも養老神社の鳥居がどこにあるのか知らない人も、けっこういるみたいですね。
たしかに、駐車場から、まっすぐ神社本殿を目指すと、ここは通らないかもしれませんが・・
養老神社の参道にぴったりの道ですので、養老神社にお参りされる際には、ぜひ千歳楼旅館の通りから、鳥居をくぐって行ってみてください。
おすすめテーマの追加準備2。
2013.02.28
養老町教育委員会では、「タギゾウくんの自由研究」に追加するおすすめテーマの第2弾として、「養老小学校の歴史」の作成を進めています。
これは、去年の夏休みに、養老小学校2年生の男子が提出したくれた作品を基にしたもの。
学校統合の過程を知るための調査方法が適切で、さらにその成果がとても分かりやすくまとめられていたので、本人とその保護者にお願いして、許可をいただきました。
ありがとうございます。
まもなく公開できると思いますので、ぜひ今年の夏の参考にしてみてください。
西岩道と東岩道。
2013.02.27
江戸時代の初め頃、養老町には、西岩道村の隣に、東岩道村がありました。
この二つの村は、どちらも同じような石高で、昔は仲良く名前を並べていたのですが・・
このうち、東岩道の地名は、今の養老町に見当たりませんよね。
これは東岩道村が、後に東の文字を取って、岩道村に名前を変えてしまったためで、現在の岩道が、昔の東岩道村にあたります。
その理由については、どうやら、江戸時代の初め頃、西岩道村が尾張藩領で、東岩道村が高須藩領であったため、西岩道が東岩道を見下してきていたのですが、17世紀に入る頃、東岩道村が天領(幕府領)に変わり、両村の立場が逆転し、東岩道村が「わしら天領や。尾張さまのご本家やで。」となって、本家らしく東をとって、岩道村になったと考えられているみたいです。
確認はできていませんが、実際に、正保郷帳では、西岩道村・東岩道村となっているのに対し、天保郷帳では西岩道村・岩道村と変わっているので、説得力はあるような気がしますよね。
ただ、どうも西岩道の人たちの中には、未だに岩道のことを東岩道と呼ぶ人がけっこういるみたいです。
岩道村が名前を変えてから、少なくとも150年は経っているはずですが、まだしばらくは東岩道の地名は養老町に保存されていきそうですね。
角田のお地蔵さま。
2013.02.26
養老町宇田の角田(すまだ)には、北東に隣接する杉本から移されてきたお地蔵さまがいます。
地元の方によると、杉本に流れ着いた地蔵を、その後、角田に移したそうで、83歳の方が物心ついたときには、既に角田にあったらしいのですが・・
あまり詳しい経緯は分かっていません。
ちなみに、現在は、角田・杉本が共同でお守りをしていて、60~70年程前には、現在地より2mほど北東にあった小さなお堂を、現在のような立派なお堂に建て直したそうです。
そんな一つのお地蔵様を、共同でお守りする角田と杉本ですが、実はこの二つの村はもともとは一つの村。
本村は杉本だったようですが、今後も仲良くお地蔵さまをお守りしていってほしいです。
きのこワークショップが終了しました。
2013.02.25
一昨日の土曜日、朝9時から、きのこワークショップを開催しました。
少し寒い日になりましたが、定員一杯の方々にご参加頂くことができました。
ありがとうございます。
当日は、岐阜県立森林文化アカデミーの津田先生に講演もいただき、きのこの作り方だけでなく、きのこの生活の仕方などについても教えていただくことができました。
きのこの多くにまだ名前がないことや、「きのこ」と「かび」の違いなど、いろいろ大変勉強になりましたね。
また、実習では、比較的簡単につくれるシイタケやムキタケの菌の接種だけでなく、マイタケ菌の接種作業にも挑戦していただきました。
そんな手間暇かけてきたきのこですが、収穫するまでには、まだ、いくつかクリアしなければならない工程が残っています。
なんとか、それらも上手くこなし、秋に美味しいきのこを食べたいですね。
明日は、キノコワークショップです。
2013.02.22
今日は、明日のキノコワークショップのための、事前準備を行いました。
朝早くから始めたにもかかわらず、岐阜県立森林文化アカデミー、NPO法人ニワ里ねっと、養老町橋爪区の、多くの方々にご協力いただきました。
本当にありがとうございます。
作業のほとんどが初めての経験だったため、少し時間がかかりましたが、なんとか無事に、明日のワークショップを迎える準備が整いました。
特に、8時間にも及ぶマイタケ原木の煮沸殺菌は大変でしたね。
そんな明日のワークショップ「キノコをつくろう!」は、午前9時からのスタート。
天気の心配もなさそうですし、どんなワークショップになるか、今からとても楽しみです。
結婚式のたびに隠されるお地蔵さま。
2013.02.21
養老町の瑞穂西には、地元で結婚式があるたびに、どこかに隠されてしまうお地蔵さまがいました。
地元の方に伺ったところによると、昭和の初め頃までの話みたいですが、地域で結婚式があると、村人が地蔵を持ち出して、村内外のどこかに隠し、隠された地蔵を新郎新婦の親族が探し出して、もとの御堂に戻すという慣わしがあったそうです。
遠いときには、3km以上離れた小坪に隠されていたこともあったみたいですね。
ただ、新婦がお地蔵に触れると、この地には住みつけなくなると考えられていたようで、お嫁さんだけは、決して触らないように気をつけていたそうです。
ちなみに、当時こうした行事を取り仕切っていたのは、村の若者たち。
きっと、楽しんでやっていたんでしょうね。