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滝谷の南側に移された偕楽社の建物。
2013.06.25
昨年、紹介した昭和3年(1928)の偕楽社ですが、これは千歳楼の敷地内にあった偕楽社という建物が、大正12年(1913)に移築されたものを示していることが分かりました。
どうも、郡制の廃止に伴い、養老公園が県営に移管された際、県から売り払われた偕楽社の建物を、名古屋の畳屋さんが買い受け、写真の場所に移築したみたいですね。
ただ、その方が亡くなった後、次の所有者の代になってからは、維持管理がされなくなり、倒壊してしまったそうです。
温泉があり、涼台も設けてあったという偕楽社の建物。
どんな建物だったのか、一度見てみたかったです・・
養老改元1000年祭を探せ。
2013.06.24
養老町教育委員会では、夏休みを前に、「タギゾウくんの自由研究」に新しいおすすめテーマを公開しています。
上の画像は、そんな新しく追加したテーマの一つで、養老改元1000周年を取り上げたもの。
養老の滝周辺の開発・整備の機運が高まったきっかけが、養老改元1000周年にあるという仮説を立て、周辺の文化遺産から、それを検証していくという内容になっています。
実際には、そんなに簡単な問題ではなく、子ども達に向けて制作したコンテンツにしては、少し難しいものになってしまったかもしれませんが・・
養老町にとっては重要なテーマなので、夏休みの自由研究の参考してもらえるとうれしいです。
集中豪雨翌日の三ツ屋八幡神社。
2013.06.21
一昨日、昭和34年8月13日の集中豪雨翌日に撮影された、養老町下笠の三ツ屋にある八幡神社の写真を見せていただくことができました。
小倉の婦人会が昼食として配ったおにぎりをもらうため、舟で上多度小学校へ行った帰りに、撮影したものだそうです。
堤防が決壊するとは思っていなかったそうで、決壊してから30分ほどで、三ツ屋まで水が押し寄せたことに、大変驚かれていました。
そうした経験から、当時のことを忘れないようにと、この写真も撮影者のお店に掲示することにされたんですね。
この写真と、撮影者のお話を聞いて、改めて水害の怖さを認識できました。
養老薬師。
2013.06.20
養老の滝のすぐ近くに、養老薬師を祀る薬師堂が建っています。
このお薬師様、現在は、すぐそばの滝元館さんによって、大切にお守りされているのですが・・
最初からここにあったわけではなく、今の位置に落ち着くまでには、ずいぶんと紆余曲折があったそうです。
昭和29年(1954)に発行された冊子によると、このお薬師様は、岡本喜十郎が千歳楼を経営していた時代には、大正天皇御手植松があった付近に、お堂とともに安置されていたのですが、養老公園開設時に養老町小倉へ移り、さらにその後、関ヶ原町今須を経て、昭和6年(1931)に、養老へ戻ってくることになったみたいです。
冊子には、雪の中、養老から厨子を背負って、お薬師様を迎えにいったことも記述されていました。
現在の所有者からは、お薬師様の裏書に明和2年(1765)とあったという話を聞くこともできていますし、冊子も当事者が書いたものであることを考えると、この経緯は、かなり説得力があるような気がします。
みなさんも、養老の滝を訪れる機会がありましたら、ぜひ養老公園開発の礎を築いた岡本喜十郎が大切にしていたであろうお薬師様も訪ねてみてください。
押越のお不動さま。
2013.06.19
養老町押越の八幡神社の前に、不動明王を祀った不動堂があります。
この不動明王、元は八幡神社に祀られていたのですが、廃仏毀釈により押越にあった永丘寺に預けられ、八幡神社の前に戻ってきたのは、大正末期のことだったみたいですね。
300年以上の歴史があると伝えられていて、棟札などの資料もきちんと保管されているそうです。
ただ、残念なことに、話を聞くことができた当日は、それらの資料を見ることができませんでした。
養老から来たという話や、旅僧が当地に納めたいう話など、様々な言い伝えが残っている押越の不動明王。
次の機会をまって、少しずつ、情報の収集と、その整理をはじめたいと思います。
渋谷代衛さんのご先祖。
2013.06.18
昨年度、養老町教育委員会が冊子にまとめた、養老町大野出身の渋谷代衛さんですが、この渋谷家の由来が、渋谷金王丸という人物にあると伝わっていることを教えていただきました。
養老町で渋谷金王丸といえば、まず思い出すのが、平清盛に敗れ、落ちのびる源義朝とともに、養老町の源氏橋から舟に乗った人物ですよね。
ずいぶん前のことなので、不確かな部分もあるでしょうが、養老町大野で庄屋を務めた渋谷家のご先祖様が、養老町に関わりのある渋谷金王丸かもしれないことを知って、なんだかうれしく思いました。
第14回「家族の絆 愛の詩」の全国募集を開始しました。
2013.06.17
養老町では、平成12年度から、親と子が心豊かにふれあう町を目指しており、その一環として、「家族」をテーマにした詩の募集を続けています。
今年度で、14回目を迎えました。
応募の詳細については、養老町のホームページに掲載していますので、みなさんも、この機会に、ぜひ、家族への素直な思いを詩に託してみてください。
皆さまからの、心温まる作品を、お待ちしています。
「タギゾウくんのクイズラリー」の準備。
2013.06.14
養老町教育委員会では、養老町の文化遺産をもっとよく知ってもらうために、今年度も「タギゾウくんのクイズラリー」の準備を進めています。
このイベントは、夏休み限定の企画で、期間中にいくつかの文化遺産を訪れクイズに答えると、タギゾウくん特別賞がもらえるというもの。
ちなみに、今年のタギゾウくん特別賞は、女神様をあしらったものにする予定です。
詳細については、夏休み前に、改めて当ホームページとチラシで広報いたします。
参加者に制限は設けませんので、ぜひ、楽しみにお待ちください。
養老町役場旧庁舎。
2013.06.13
昭和46年(1971)4月に、現在の養老町役場庁舎が竣工するまで、養老町の役場庁舎は、現在の役場南駐車場の位置に建っていました。
上の写真は、そんな養老町役場旧庁舎が写っている貴重な写真。
昭和39年(1964)に、町制10周年記念行事として行われた鼓笛隊パレードを撮影したものですが、後ろの木造2階建の建物が旧庁舎になります。
火の見櫓や、玉泉堂酒造の塀など、思ったほど、今と変わりませんね・・
山田貞策さんの情報収集4。
2013.06.12
今日、山田貞策さんについて、ご子孫の方から、新たにお話を聞く機会が得られました。
ありがとうございます。
福島に長く住まわれていた貞策さんの長女の血筋に連なるお家だったので、八沢浦干拓の話や、それに伴う写真をたくさん見せていただくことができたのですが・・
そんな中に、1枚だけ養老町内で撮影された写真が混じっていました。
上の写真が、その1枚になります。
養老町大巻の山田貞策さんの屋敷で、撮影されたものでしょうね。
詳しいことは分かりませんが、現在、大巻薩摩工事役館跡にある平田靱負像と、現在、神奈川県にある灯籠が、いずれも昭和9年(1934)9月に建立されていたことを思うと、そのとき記念に撮影されたもののような気がします。
といっても、この写真を見てはじめて、平田靱負像と灯籠がセットで建立された可能性に気づいたので、他に見落としがないか、もう少し時間をかけて調べてみようと思います。
養老町発足10周年記念式典。
2013.06.11
今日、養老町発足10周年記念式典のアルバムを見る機会がありました。
当然、昭和39年(1964)に行われているのですが、式典の日が11月17日になっていました。
養老改元の日に行われたということですよね。
上の写真は、そんなアルバムの中にあったうちの1枚。
平安・鎌倉・元禄の3つの時代に分かれて行った仮装行列の様子を撮影したもののようなのですが・・
よく見ると、右隅に、先週紹介した、元位置のよく分からなかった道標が写りこんでいます。
貴重な手掛かりですよね。
さっそく、この写真がどこを撮影したものなのかを確認し、道標の正確な元位置を明らかにしたいと思います。
不老ヶ池のホタル。
2013.06.10
養老公園の千歳楼のそばにある不老ヶ池で、ホタルが見頃を迎えています。
地元の方から、6月になるとホタルがでるとは聞いていたのですが、思ったよりもたくさんいますね。
ちなみに、上の写真を撮るために、3度現地に足を運んだ経験からは、20時くらいが一番きれいな気がします。
このホタルの情報は、まだ「タギゾウくんの養老ナビ」に未登録ですが、不老ヶ池は登録してあります。
ぜひ、天気が良いうちに、見に行ってみてください。
金草川のヒメコウホネ。
2013.06.07
金草川のヒメコウホネがキレイに咲きはじめましたので、この情報を「タギゾウくんの養老ナビ」に公開しました。
まだ見たことがない方は、ぜひ行ってみてください。
あと、未確認ですが、津屋川にも、ヒメコウホネが咲いているとの情報が・・
近いうちに、こちらも確認に行こうと思っています。
かえる草。
2013.06.06
この時期、養老町の田んぼの畦には、「かえるぐさ」と呼ばれる草がたくさん生えています。
本来の名称は「かずのこ草」なのですが、穂の先端部分だけを少し残し、それをカエルの前にちらつかせると、カエルがエサと勘違いして食いつくことから、この名前がついたみたいですね。
ちなみに、私がお話しを伺った方は、少しなまって、「げえるぐさ」と呼んでいました。
おもしろそうだったので、さっそく試してみたところ、思いのほか、よく食いつくので、ビックリしました。
・青いかえる草を選ぶこと
・穂の先を小さくすること
・カエルの目にあわせ、少し横からアピールすること
・小刻みに震わせること
・アマガエルを狙うこと
以上の5点を大切にすると、成功率があがります。
最近は、この遊びをする子どもはいないみたいですが、とっても面白いので、ぜひ試してみてください。
養老公園道の道標。
2013.06.05
養老町役場の西側、電話ボックスのそばに、「右 養老公園道、左 岐阜大垣道、すぐ西京道、明治14年巳8月建立 河野佐七 田中長次 渋谷孫平 川口宇兵衛 多賀太兵衛」と刻まれた道標が建っています。
養老公園開設の翌年に建立されているので、この養老公園道とは、たぶん飯田から直江渡しを経て、高田へ入る養老街道のことでしょうね。
ただ、この道標の詳しい元位置の情報はなく、いつから役場の横にあるのかも分かっていません。
さらに、建立した人たちの名前にも、ちょっと覚えがないです・・
とりあえず、いろんな人に、話しを聞いて、手掛かりを探したいと思います。
大跡のすいれん。
2013.06.04
養老町大跡のすいれんが、きれいな花を咲かせています。
地元の方に場所を教えていただいたのですが、現地を訪ねてみて、村の中の水路に咲いていることに驚きました。
池のそばなどでは、なかなかこんなに間近でみることはできませんよね。
なぜ、ここに、こんなにたくさん咲いているのか不思議に思ったので、さらにたずねてみると、昔、ここが大跡城の堀だったということを教えていただきました。
それで、すいれんの生育に適していたんですね。
まだしばらくは見頃が続きそうなので、この情報を「タギゾウくんの養老ナビ」に登録しました。
ぜひ、近くで見てください。
田んぼのドジョウ。
2013.06.03
今日、遺跡の調査をしている田んぼで、体長が8cmほどの小さなドジョウを見つけました。
ちょうど今が、産卵の最盛期ですし、孵化してからそんなに経っていないでしょうね・・
ちょっとサギが多いですが、このあたりの田んぼは、水はけがあまりよくないので、ドジョウにはよい環境なんだと思います。
ただ、この田んぼには、もうじき建物が建つので、放すのは、隣の田んぼにしました。
唐谷のオオバアサガラ。
2013.05.31
養老公園の唐谷沿いで、オオバアサガラ(大葉麻殻)という花を見つけました。
房になって咲いているので、はじめは藤の花かと思ったのですが、なんだか、花の形が違いますよね。
谷や渓流などを好むようなので、年間を通して水量が安定している唐谷は、生息しやすいのかもしれません。
ちなみに上の写真は、今週の月曜日のものです。
もうそろそろ見頃になっていると思いますので、養老公園に行かれた際には、ぜひこちらも探してみてください。
吉田神社入り口の石仏。
2013.05.30
養老町豊にある吉田神社の入り口に、頭部の欠けた石仏があります。
前から、不思議に思っていたので、地元の方にお話を伺ったところ、元は境内の井戸のそばにあったものを、現在の位置に移したことは分かったのですが・・
正確な元位置や、ここに移された時期など、詳しいことはわかりませんでした。
このあたりは遺跡なので、ひょっとしたら地中から出土したのかもしれませんね。
吉田神社周辺は、これからホタルが姿を見せるようになるので、ホタル狩りがてら、もう少し、聞き取りを続けようと思います。
渋谷深平さんのお墓。
2013.05.29
養老町大野の覚林寺が管理する墓地に、渋谷代衛さんの三男である理兵衛さんや、かもさん(理兵衛の妻)、深平さん(理兵衛の長男)、そのさん(深平の妻)、おあささん(深平の娘)の名が刻まれたお墓があります。
集中豪雨が起きた、昭和34年(1969)8月に建立されたもので、「父理兵衛」と刻まれていることや、深平さんが亡くなられた年が昭和36年であることから、建てたのは深平さんでしょうね。
あまり詳しいことは分かりませんが、元は、覚林寺の境内にあり、平成16年頃に現在の場所に移されたそうです。
深平さんは、渋谷の家を承けておらず、代衛さんをはじめとする渋谷家代々の墓は、名古屋市の八事霊園にありますが、この深平さんのお墓についての情報も「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあります。
ぜひ、一度お参りに訪れてみてください。