養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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絵本作成中。

2013.09.19

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養老町教育委員会では、タギゾウくん絵本シリーズ第7弾の準備を進めています。

 

今回のテーマは「養老断層」

現在、ストーリーと絵コンテを作成しているところですが、養老町の根幹をなす要素であるだけに、少し手間取っています・・

 

完成するまでには、まだ時間がかかりそうですが、ぜひ楽しみにお待ち下さい。

昭和40年代の竜泉寺古墳。

2013.09.18

ryuusenjikohunkoshashinn.jpg

 

養老町竜泉寺には、石材目的で破壊される以前は、横穴式石室が開口していたと伝えられている古墳があります。

 

上の写真は、そんな竜泉寺古墳の墳頂部を東から撮影したもの。

散乱している石が、石室石材です。

 

昭和49年(1974)に、既に養老町文化財保護協会が、竜泉寺古墳が破壊されている状態であることを報告しているので、おそらくはその少し前に行った調査時に撮影されたものでしょうね。

現在も、ほとんどこのままの状態で、付近からは、最近の竜泉寺廃寺跡の調査によって、ようやく少し古墳時代の須恵器を発見することができるようになっています。

 

とはいえ、相変わらず、ほとんど情報のない竜泉寺古墳。

どこかに、破壊したときの記録などが、残っていないですかね・・

常盤町の子ども歌舞伎。

2013.09.17

tokiwamatiishidoumaru.jpg

 

先日、高田祭の照鱗閣軕で、子ども歌舞伎を行っている写真を見つけました。

 

照鱗閣軕(しょうりんかくやま)というのは、常盤町が所有する曳軕で、子ども歌舞伎用の舞台を備えたものなのですが、昭和36年(1961)を最後に、子ども歌舞伎を披露することはなくなりました。

そのため、 この写真は、それ以前に撮影されたものだと思います。

 

どのような外題があったかなど、あまり詳しいことを知らなかったのですが、この写真のおかげで、少なくとも石童丸(いしどうまる)物語を奉芸していたということが分かりました。

おそらく、向かって左側の男の子が石童丸役でしょうね。

 

できることなら、一度、見てみたかったです。

岡本喜十郎懸賞文。

2013.09.13

okamotokensyobun.JPG

 

昭和4年(1929)、まだ養老町高田に小学校があった頃に、小学校6年生が岡本喜十郎について書いた作文を見る機会がありました。

 

 岡本喜十郎は、千歳楼の創始者で養老公園開設の礎を築いた人物ですが、養老町高田の出身だったので、高田尋常小学校で、その功績を詳しく教えていたんでしょうね。
58名もの応募があり、中には原稿用紙4枚にもわたって、岡本喜十郎の功績をまとめている子もいました。

 

内容としては、岡本喜十郎が、いかに養老町の発展に貢献したかということや、その生涯について熱心に書いたものがほとんどでしたが、一部に、「牧田川堤防に忠魂碑と相対して」「元文五年高田町の水害地なる島田裏の乗越堤上」「北河原」「高田尋常小学校の教室から北方を望めば忠魂碑の西に見える」といった、昭和3年(1928)に高田町青年団によって建てられた、岡本喜十郎翁顕彰碑の元位置に関する情報もありました。

 

岡本喜十郎翁顕彰碑の元位置が、高田の旧牧田川堤防上であったことは間違いないと思いますが、その正確な場所がよく分かっていないので、ひき続きこうした情報も手掛かりにして、調べていきたいと思います。

たき道沿いの水引草。

2013.09.12

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今週、養老公園内のたき道沿いで、水引草(みずひきそう)を見つけました。

 

水引草は、長い茎に、米粒のような白い花を咲かせる植物で、写真のような一見赤く咲いているようにみえるものも、実は、白い部分が花で、赤い部分は萼(がく)という、つぼみを保護する部分にあたるようです。

お茶花としても使われる花で、白いものや赤いものがあると思っていましたが、それは萼の色が違うだけみたいですね。

 

日陰の湿った土を好むようなので、井水堀のあるたき道沿いにたくさん咲いているんだと思います。

11月くらいまで、咲いていてくれると思いますので、養老公園を訪れた際には、ぜひこちらもご覧になってみてください。

名神高速道路ができる前の象鼻山。

2013.09.11

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先日、新たに象鼻山を撮影した古い写真を見つけました。

はっきりとした年代は分かりませんが、名神高速道路がまだないので、それ以前のものですよね。

 

そのため、この写真には、壊される前の象鼻山の鼻が写っているはずなのですが・・

何度、目を凝らしてみても、よく分かりません。

 

とりあえず、当時の養老町橋爪を知る方に、一度見てもらおうと思っています。

昭和31年の西光寺。

2013.09.10

saikouji560403.jpg

 

先週、昭和31年4月3日に撮影された、直江の西光寺の写真を見せていただくことができました。

 

南直江の旧牧田川堤防上に立地する西光寺を東側から撮ったもので、西光寺だけでなく、その周囲の様子もよく分かる貴重なものです。

 

昭和55年に発行された「時宗の寺々」という本に、本堂と鐘楼を備えたお寺だったと記されていましたが、こんなかんじだったんですね。

写真の左隅に写りこんだ地蔵堂が、現在の南直江の地蔵堂だと教えていただくまで、これが西光寺だと気付きませんでした・・

 

それにしても、元は旧牧田川堤防よりも西の字経堂にあり、関ヶ原の戦いで焼失するまで、150石の寺領と、春日・八幡・神明の三社の宮を含む7つのお堂からなっていたとされている西光寺。

どのような過程を経て、ここに移転し、写真のような状況に至ったのかが改めて気になります。

 

とりあえず、字経堂に残る八幡神社跡から、調べてみようと思います。

境松の近景。

2013.09.09

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去年の3月にご紹介した伊勢街道沿いの境松ですが、枯れてしまう前の写真を見る機会に恵まれました。

 

ただ、残念ながら、全景を撮影したものはなかったので、唐傘松とも呼ばれる由縁となった枝を張り出す姿を確認することはできませんでした。

それでも、周囲の木々より、ずっと大きい松であったことは分かりますよね。

 

ちなみに、境松が枯れてしまったのは昭和40年(1965)くらいなので、この写真はそれよりも前に撮影されたものになると思います。

ひき続き、情報収集を続け、次は全景を撮影したものを探したいと思います。

長顕寺の鐘。

2013.09.06

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養老町西岩道では、仏事以外に、村方の行事や、お宮の神事でも、長顕寺の鐘でその開始を知らせています。

 

仏事以外では、住職ではなく、それぞれの当番が鐘を衝いていて、西岩道ではとても身近な存在なのですが・・ 

どうも仏事以外でも、お寺の鐘が使用されるのは、養老町では珍しいみたいですね。

両隣にある口ケ島や岩道では、仏事以外にお寺の鐘を使用していないようでした。

 

ちなみに、この長顕寺の現在の鐘は、昭和23年2月に檀家から寄進されたもの。

以前のものは、戦時に供出されています。

 

毎朝5時には、時刻も知らせてくれていて、西岩道の生活には欠かせないものになっています。

大場のお地蔵さま。

2013.09.05

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養老町大場の燈明橋南、五三川沿いに、区でお守りされているお地蔵さまがいます。

 

元は、現在地より約40m南の五三川左岸堤にお堂があったのですが、昭和34年の水害後、五三川水害護岸工事に伴い、大場本田八幡神社社標の東側に移転され、さらに、平成19年になって、お堂の老朽化と町道沿いが危険だという理由で現在地に移されました。

 

由緒など詳しいことはわかりませんが、毎年、8月の第3日曜日には、西運寺さんをお招きして地蔵盆が行われ、参加した子ども達にはお供えしたお菓子も配っているそうです。

ただ、池辺地区でよく聞く結婚式に関係する風習は、このお地蔵さまにはないみたいですね。

 

この情報は、タギゾウくんの養老ナビに登録してあります。ぜひ一度訪ねてみてください。

 

 

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鎧掛けの榎。

2013.09.04

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養老町飯ノ木には、平治の乱で敗れた源義朝(みなもとよしとも)が、休息した際に鎧を掛けたと伝わる木があります。

 

この木、元々は松だったはずなのですが・・

いつの頃かに枯れてしまい、その後、何故だか、鎧掛けの木は、榎(えのき)に変わってしまいました。

 

上の写真は、そんな松の跡を継いだ、初代の榎を撮影したものです。

昭和30年くらいでしょうか。

 

現在は、この榎も枯れ、跡地には2代目の榎が植えられていますが、そばを通るたびに、なぜ榎に変えてしまったのかが気になっています。

念佛瀧。

2013.09.03

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先週、明治初めの養老町の絵図の中に、これまで聞いたことのない滝を見つけました。

 

名前は「念仏の滝」です。

 

養老の滝の南に描かれており、多藝の滝(直江の滝)が描かれていなかったことから、最初は、多藝の滝のことを表しているのかとも思いましたが・・

 

絵図の精度や、周辺の地図情報から、多藝の滝を誤認したとは考えにくいと判断しました。

 

ということで、今月の下旬に、現地確認を行います。

新しい発見になれば、改めてご報告しますので、ぜひ楽しみにお待ちください。

歴史講座開催のお知らせ。

2013.09.02

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養老町教育委員会では、今年も、NPO法人ニワ里ねっとにお願いして、10月9日(水)に歴史講座を開催します。

 

今回のテーマは、養老公園。

具体的には、講師に石川寛(名古屋大学文学研究科特任准教授)先生を迎え、明治13年(1880)という、県内でも比較的早い時期に公園を開設した養老公園の歴史的意義を、参加者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 

詳細は下記の通りで、今日から申し込みを受付しています。

定員以外に、参加者に制限は設けませんので、ぜひご参加ください。

 

<歴史講座>

内容:養老公園開設の歴史的意義を考える。

講師:石川寛(名古屋大学文学研究科特任准教授)、赤塚次郎(愛知県埋蔵文化財センター副センター長・NPO法人ニワ里ねっと理事長)

日程:平成25年10月9日(水)10時~12時

場所:山口会館(養老町高田)34-3311

定員:50名(事前申込必要、先着順) 

※電話で養老町教育委員会生涯学習課32-5086にお申し込みください。

※参加無料

養老競馬場の写真。

2013.08.30

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先週、ご紹介した「養老競馬場」ですが、当時の写真を見つけました。

南西のコーナー部分を、南東から撮影したものです。

 

まさに、百聞は一見に如かずですよね。

地図や、空中写真からイメージしていたものとは全く違いました・・

 

ちなみに、手元の資料から、おおよその規模を復元したところ、長辺が530m、短辺が250mで南北に長く、コースの幅が20m、1周すると1,200mの競馬場だったことも分かりました。

 

次は、写真で見るような山を削った地形が、現在も残っているか調べてみようと思っています。

楽邦寺の誕生児初参り式。

2013.08.29

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先週の日曜日、養老町祖父江にある楽邦寺で、地域の子ども達を対象に夏のつどいが実施され、これにあわせて、誕生児初参り式も行われました。

 

これは、生まれてきた子どもが、初めてお寺にお参りする仏事で、楽邦寺では、33年ほど前から続けられているそうです。 

ちなみに、私がお邪魔した今年も1人、昨年12月に生まれたかわいい男の子が、初参りに来ていました。お母さんも22年前にお参りされたみたいですね。

 

ただ、身の回りでは、お宮への初参りはよく聞くのですが、お寺はあまり聞いたことがなかったので、町内数カ所のお寺に、実施しているかどうかを尋ねてみたところ、やはり、毎年、きちんと式として実施しているところは見つかりませんでした。

 

ひょっとしたら、養老町では、めずらしい行事なのかもしれませんね。

兼俊の墓。

2013.08.28

 kaikaren.JPG

 

養老町直江に、直江志津(なおえしづ)日本刀鍛錬所跡という町の史跡があります。

元は西光寺(時宗)があった場所で、現在、ここには、たくさんの石塔や石仏が集められているのですが・・

 

先週、地元の方々と行った現地調査により、ここに集められた石塔のうち、古いものに14世紀中頃から後半のものが多いことが分かりました。

直江で、14世紀中頃から後半といえば、まさに刀鍛冶が志津から直江に移り住んだ時期ですよね。

 

さらに、調べていると、14世紀後半の石塔のうち、紀年銘が「善阿弥陀仏 貞治■年四月■(※横山住雄1996による)」だと考えられてきたものに、「壽阿弥陀仏 貞治■年四月■」の可能性があることも分かってきました。

 

ちなみに、直江志津の祖である兼俊の法名が、壽阿(寿阿)です。

 

まだ、課題はありますが、位置や、石塔の型式や、記された年号に法名、いずれの情報も整合性が高く、ここに直江志津の墓があるという伝承は、本当だったのかもしれません。

瀧見亭。

2013.08.27

hishotei.JPG

 

養老公園の養老説教場の庭園をはさんだ西側に、避暑亭(ひしょてい)と呼ばれた建物がありました。

 

これは、養老公園開設後、説教場に厳如上人を招いたときに、高須藩から移築されたもので、その後、たくさんの要職にある方々がここを訪れています。

とても雅やかな建物だったようで、その頃を知る地元の方々には、避暑亭よりも御殿(ごてん)と呼ぶ方のほうが多いですよね。

 

ただ、そんな東本願寺避暑亭には、実はもう一つ、「瀧見亭(たきみてい)」という気になる異名があります。

その由来は、ここから養老の滝をはじめ、多藝の滝(直江の滝)までも見ることができたことによるようなんですが・・

 

少なくとも、現在は木々に囲まれて、養老の滝さえ見えませんよね。

 

本当に見えるのかどうか、機会をみて、GIS(地理情報システム)で確かめてみようと思っています。

文化遺産ウォーキングの準備。

2013.08.26

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養老町教育委員会では、今年度も、NPO法人ニワ里ねっとの協力を得て、11月10日(日)の午前中に養老町文化遺産ウォーキングの開催を計画しています。

 

今回のテーマは、「たき道」です。

 

予定しているコースは、ふれあいセンター養老から、養老競馬場→たき道道標→白石村跡→千歳楼→養老神社→養老の滝→旧養老公園事務所までの約6kmのルート。

 

養老の滝までは、ひたすら緩い上り坂が続きますが、休憩を取りながら、たき道沿いに散らばる文化遺産をご案内したいと考えています。 

 

詳細な内容や、申し込みの受付は、10月からになりますが、養老の滝に至る道の中で、明確なものとしては最も古いものだと思います。

ゴール後は、バスで、出発地点まで送迎いたしますので、ぜひ楽しみにおまちください。

 

厳如上人お手植えの松。

2013.08.23

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養老説教場本堂の北に、厳如上人が植えたと伝わる松があるという情報を得ました。

手掛かりは、松のそばに、「千代の栄」と刻んで建てられたという石碑です。

 

ちなみに、厳如上人(ごんにょしょうにん)とは、東本願寺の第21世法主を務められた方で、明治14年(1881)10月に、養老公園の開設に合わせて規模が拡大された養老説教場を訪れています。

ということは、残っていれば樹齢130年ほどの大きな松があるということですよね。

 

早速、確認に伺ったのですが、残念ながら、そんなに大きな松は残っていませんでした。

ただ、本堂の北には、千代の栄と刻まれた石碑と、新たに植えられた思われる小さな松が・・

 

大きな松に育ってくれるといいですね。

 

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瑞穂東の辻地蔵。

2013.08.22

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養老町の瑞穂東に、道路の辻にお堂が建っていることから、辻地蔵と呼ばれているお地蔵さまがいます。

ちなみに、辻とは、道路が交わる場所のことなんですが、このお地蔵さまは、もとは現在地より100メートルほど北へいった牧田川堤防上にお堂があったそうです。

 

つまり、辻地蔵と呼ばれるようになったのは、戦後の河川改修で現在地に移ってからのことだったのかもしれませんね。

 

ただ、この辻地蔵、これ以上の情報がなかなか集まってこないので、地元の聞き込みを続けていると、今から60年ほど前まで、瑞穂東で結婚式があると、村のお地蔵さまを、その家の軒先に運び込むのが恒例になっていたということが分かってきました。

 

辻地蔵だけの話ではないのですが、どうも地域の中で結婚式があると、青年団が中心となって、夜中のうちに村中のお地蔵さまを、その家の軒先に並べて帰ったようです。

数に制限はなく、お供えをすることや、もとの場所にお戻しするところまで全て、地蔵が運び込まれた家が面倒をみたみたいですね。

さらに、ご丁寧なことに、お地蔵さまの足の裏には、場所を示した紙が挟まれており、返す場所が分からなくなることもなかったそうです。

 

それにしても、終戦くらいまでの養老町には、こういった結婚式とお地蔵さまが結びついた話が多いような気がしますね。

もう少し、情報が集まれば、一度まとめてみたいところです。

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