養老町の歴史文化資源の発見・普及を目指して設立した当ホームページは、「私たちが暮らす養老町への関心を喚起すること」を目的に運営しています。

養老町の歴史文化資源

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象鼻山古墳群の文化財愛護標柱。

2013.11.19

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象鼻山古墳群の主要な墳墓に、文化財愛護標柱が設置されました。

 

地元である養老町橋爪の象鼻山整備促進協議会によるもので、倒壊していた標柱を全て新調していただくことができました。

ありがとうございます。

 

指定文化財の愛護標柱を、文化財所有者が自身で制作し設置する事例は、養老町では、これが初めてだと思います。

 

ちなみに、材料も、象鼻山の眺望回復作業で搬出されたヒノキで賄われました。

象鼻山古墳群の標柱が、地元の木材を使い、地元の方々によって作られたことは、文化財保護の観点からも大変ありがたいです。

玉泉堂酒造が登録文化財に。

2013.11.18

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先週の金曜日、文化審議会から文部科学大臣に、国の登録有形文化財(建造物)についての答申が行われました。

 

これには、養老町の玉泉堂酒造(ぎょくせんどうしゅぞう)の7つの建物も含まれており、登録されれば、養老町で初めての国登録文化財になります。

 

ちなみに、登録文化財制度というのは、重要文化財指定制度よりも緩やかな規制のもとで、幅広く文化財の保護を図るために生み出された仕組み。

建造物では、築後50年を経過しており、さらに国土の歴史的景観に寄与しているかどうかなどが基準となります。

 

玉泉堂酒造では、戦前期の酒類の醸造から小売りまでを一貫して伝える建物群であることが決め手になったと思います。

 

そして、国の登録文化財になるということは、所有者によって保存の意志が示されたということ。この先も、高田の町並みに玉泉堂酒造の建物が残っていくことを、とてもうれしく思います。

お経を読むお地蔵さま。

2013.11.15

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養老町瑞穂の大代(おおじろ)には、お経を読むと伝わるお地蔵さまがいます。

 

墓地に並ぶ7体のお地蔵さまがそうなのですが・・

お経を読むときは誰かが亡くなる直前だと聞かされた後では、あまり積極的に確認する気にはなれませんよね。

 

それに、お話を聞くことができた方の中に、実際にお経を聞いたことがある方はいませんでした。ただ、聞いたという人から話を聞いている方はいて、その方によると、とても澄み切った声だったそうです。

ちなみに、お経を読む時間帯は夕方遅くからみたいですね。

 

この他に、池辺地区でよく耳にする、村で結婚式があると、お地蔵さまをその家の軒先に運び込むという習慣が、大代にもあることが分かりました。しかし、大代では、この7体の中から2~3体を選ぶことが多く、お供えも御仏飯(おふくさん)だったみたいです。

 

この情報はタギゾウくんの養老ナビに登録してあります。

会いに行くかどうかは、自身でご判断くださいね。

ツワブキの花。

2013.11.14

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養老町橋爪の金比羅さんのそばで、ツワブキ(石蕗)の花を見かけました。

一列に咲いているところを見ると、地元の方が植えたんでしょうね。

 

養老町では、ときどき、種が飛んで自生えしたものも見かけますが、庭先で見かけることの方が多いですかね。

 

ちなみに、葉の茎は食べることもできるみたいですが、養老町には普通のフキも自生しているので、食べるフキといって、ツワブキをイメージする人はいないと思います。

 

茎が長いので、切り花や仏花にも便利ですよね。

養老説教場の楓。

2013.11.13

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11月も中旬になり、養老公園でも木々が色づきはじめました。

 

上の写真は、そんな養老公園で、昨日撮影した養老説教場の楓です。

個人的に好きな木で、この時期になると必ず1度は会いに行くのですが・・

 

いつ植えられたかなど、あまり詳しいことは分かっていません。

ただ、古くからあるそうなので、ひょっとしたら、養老公園開設時に渋谷代衛らによって植えられた桜楓の生き残りかもしれませんよね。

 

養老公園はこれからが紅葉の季節。

お立ち寄りの際は、ぜひ、養老説教場の楓もご覧になってください。

源氏橋の養老公園道標。

2013.11.12

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養老町飯ノ木の源氏橋のそばに、「源氏橋 自出十八丁養老公園」「明治十三年 多藝郡飯ノ木村」と刻まれた道標が建っています。

 

明治13年(1880)は養老公園が開設された年なので、飯ノ木村が養老公園の開園にあわせて、道標を設置したんでしょうね。

当時、すでに滝谷沿いに養老公園へ向かう道があったことを示す貴重な文化遺産だと思います。

 

この他、ちょっと気になるのが、奥に写る石製の源氏橋を架け替えた年号が大正4年(1915)になっていること。

元の源氏橋は木製だったらしいので、ひょっとしたら、この道標は木製の源氏橋のそばに建てられたものだったのかもしれませんね。

五三川で見つかったお地蔵さま。

2013.11.11

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養老町瑞穂の大代(おおじろ)の地蔵堂には、もともとお祀りしていたお地蔵さまの他に、川底で発見されたと伝わるお地蔵さまがお祀りされています。

 

上の写真の、前列に立っている小さなお地蔵さまが、そうなのですが・・

よく見ると、頭部が損傷していて、後から修復されたことが分かりますね。

 

地元でお話を伺ってみたところ、どうやら70年ほど前に、五三川で発見された後、しばらくは近くの個人宅でお守りされていたのですが、やがて地区の地蔵堂の中で一緒にお守りされるようになったみたいです。

頭部が損傷した時期については、詳しいことは分かりませんでした。

 

ちなみに、地蔵堂の元位置は林照院のそばの五三川堤防上でしたが、30年ほど前の護岸工事で、現在地である村の中心に移すことになったそうです。

 

このお地蔵さまの情報は、タギゾウくんの養老ナビに登録してあります。ぜひ一度訪ねてみてください。

「山田貞策さん」PDFデータの公開。

2013.11.08

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『みんなが喜ぶことに力を尽くした山田貞策さん』のPDFデータを電子書庫に公開しました。

 

養老町大巻の排水機設置をはじめ、池辺村村長を務めたり、八沢浦の干拓を行ったり、薩摩義士顕彰会を設立したりと、様々な事業に取り組んだ山田貞策さん。

この本の第7章には、そんな貞策さんの素顔について、子孫の方から伺うことができたお話も掲載しています。

 

読んでいただければ、きっと、山田貞策さんの生涯をまとめた冊子が、このタイトルになった理由が分かっていただけると思いますので、ぜひ一度、目を通してみてください。

上方のカヤの実。

2013.11.07

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養老町上方の白鳥神社には、町天然記念物に指定されている立派なカヤの木があります。

 

社殿の裏にあるために目立たず、あまり知られていないのですが・・

実は、周囲にも、カヤの木がたくさん自生していて、この時期になると、たくさんの実をつけています。

 

上の写真は、そんなカヤの木周辺に落ちている実の一つを撮影したもの。

けっこう美味しいので、昔は、みんなで採ったみたいですね。

 

まず、緑の皮を剥きやすくするのと、あく抜きのために、灰を混ぜた水にさらし、その後、煎って中の渋皮を剥くんだそうです。

主に、かき餅に混ぜて食べたそうで、隣村のかき餅はシイの実だったが、上方はカヤの実を使うんだとおっしゃっていました。

 

私もいくつか頂いてきましたので、正月に試してみようと思います。

土屋輝雄の竹の襖絵。

2013.11.06

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千歳楼旅館の客室の一つに、「竹の間」という竹をモチーフにした八畳の和室があります。

 

昭和初期の造りで、天井や床の間、障子など細部にまで竹があしらわれており、とっても魅力的な部屋なのですが・・

ご主人によると、当初の襖絵は、養老町高田出身の画家である土屋輝雄によって描かれたもので、現在のような細い竹ではなく、とても太い竹が描かれていたそうです。

 

その当時の「竹の間」の様子を撮影した貴重な写真が上の一枚。

太いとは聞いていましたが、すごい迫力ですよね。

 

改めて、土屋輝雄のすばらしさを感じるとともに、千歳楼が多くの文化人に愛されてきた理由が分かるような気がしました。

田中道麿翁の墓。

2013.11.05

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今年も、田中道麿翁顕彰会役員による、道麿翁の墓地参拝が行われました。

 

ちなみに、現在の道麿翁の墓は、名古屋市平和公園の常端寺墓域内にあるのですが・・

平和公園には、ものすごい数のお墓があるので、その中から目当てのお墓を探すのは大変です。

 

ということで、この機会に合わせ、田中道麿墓の情報をタギゾウくんの養老ナビに登録しました。

これで、もう道に迷う心配はありませんね。

 

はじめての方も、安心してお参りできると思いますので、近くに寄られた際は、ぜひ、道麿翁のお墓にも足を伸ばしてみてください。

第14回「家族の絆愛の詩」の入賞者発表。

2013.11.01

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本日、養老町役場のホームページに、第14回「家族の絆愛の詩」の入賞者を発表しました。応募していただいた方は、確認をお願いします。

 

なお、入賞者一覧には含まれていませんが、佳作に選ばれた作品数は前回を上回りました。

 

これらの入賞者の表彰式と詩の発表会は、平成26年1月26日(日)に、養老町民会館で開催する予定です。

また、この日には、今回の佳作も含めた入賞作品を掲載した本も刊行致しますので、ぜひ楽しみにお待ちください。

飯田の寺社記録。

2013.10.31

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先日、養老町飯田の寺社記録のコピーを見せていただく機会がありました。

正確な年代は分かりませんが、正徳元年(1711)くらいからの記録がまとめられており、著者名から文政年間(1818~1829)くらいに作成されたものと推定できるようです。

 

その内容は、八幡社などの創建年代をはじめ、社の修理記録やそれぞれの神社の祭礼スケジュールなど多岐にわたっており、飯田の寺社を考える上でとても参考になりました。

 

中でも、まず目に留まったのが、上の写真に示した当時の東西境内地の平面図。

現在は、全ての社が東の境内地にまとめられていますが、文政年間の配置はこんなかんじだったんですね。

聞き取りした内容と矛盾する部分があり、養老ノートの内容を一部訂正する必要がでてきました。

 

このほかにも、寛文10年(1670)頃までは、西の境内地に、高さ約18cmの薬師如来立像をおさめた二間四面の薬師堂があったのですが、お堂が荒廃し、その頃の飯田村に余裕がなかったために、仏像を直江の西光寺に預けたことなども記されていました。

 

それで、西の跡地をお薬師さんと呼ぶ人がいるんですね。

 

これ以外にも、いくつか新しい発見があったので、もう少し精査したら、またご紹介させていただきたいと思います。

 

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五社神社の例祭。

2013.10.30

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今月の6日に養老町宇田で行われた五社神社の大例祭に、ドイツのバッドゾーデン市の文化交流団とともにお邪魔しました。

 

宇田の五社神社は、その名の通り、5つの神様が祀られている神社。

その内訳は大縣神社・八幡神社・三嶋大社・住吉大社・春日大社になります。

主となる神様は大縣神社で、その後、他の4社を合祀して現在の姿になったみたいですね。

 

ちなみに、大縣神社(おおあがたじんじゃ)は、美濃国神名帳の多藝郡16社の一つでもあり、往古の当地県主を祀ったものとされている神社。正六位上大縣明神とされていて、美濃明細記などには、「縣明神は多芸郡宇田邑に在り。正六位上大縣大明神境内六反余領主より除地云々」という記述もあるようです。また、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで社殿を焼失しているみたいですね。

 

このほか、周囲には日吉遺跡が広がっており、考古学的にもたいへん気になる神社です。

 

ただ、残りの4社の元位置など、あまり詳しい情報は得られていません。

大縣神社の場所は昔から変わっていないという話なんですが、これも少し東に本堂という小字があり、やや疑問が残りますね。

 

いろいろと課題が多く、すぐには解決しないでしょうから、しばらくは幸運を待ちたいと思います。

養老公園開設前の広告。

2013.10.29

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養老公園開設の6ヶ月前である明治13年(1880)5月、養老公園を管理運営し、さらに発展させていくために組織された偕楽社は、養老公園の広告をつくり、あちこちに配りました。

 

それが上の写真になります。

実際に作成したのは、開設発起人の1人であり、国学者でもあった柏渕静夫氏です。

測量や民地の買い上げが終わり、工事にも着手しつつあったころにつくられたものみたいですね。

 

内容としては、「養老は有名な名勝であるが、長い年月の中で荒廃してしまったので、公園開設の許可が得られれば、瀑布の峻嶮を削平し、清潔な小屋を建て観瀑の便に供し、地を選んで数宇の亭榭(あずまや)を建築し、桜・楓など種々の花木を植えて一層の風致を加え、二帝宸遊の遺跡を千歳の下に輝かしめ、国民偕楽の地にしたい」というようなことが書かれています。

 

ここで、ちょっと気になるのが、瀑布の峻嶮を削平しという一文。

現在の養老の滝周辺は少し開けていますが、ひょっとしたら、このときに生まれた地形なんですかね・・

 

この養老公園広告の画像データは「タギゾウくんの収蔵庫」に保管してあります。

興味のある方は、ぜひ一度目を通してみてください。

旧養老公園事務所の鬼瓦。

2013.10.28

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先日、旧養老公園事務所に葺かれていた鬼瓦の写真を見る機会がありました。

 

昭和59年に、養老公園事務所が高林地内に移された際、従来の建物を修繕することになり、廃棄処分されそうだったところを地元の方が収集したそうです。

笠松では知事官舎として使用されていたことを踏まえると、製作されたのは岐阜司町から移築したときでしょうね。

これにより、最初の養老公園事務所の移築が、ただ建物を移すだけでなく、部分的な修繕やデザインの変更を伴うものだったことがわかります。

 

それにしても、立派な鬼瓦ですね。 

大きく「公園」と刻むところなど、個人的にも、好みのデザインです。

クサギの実。

2013.10.25

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10月に入ってから、町内のあちこちでクサギ(臭木)の実を見かけるようになりました。

 

 養老町に限らず、どこででもよく見かける植物で、雑草というイメージが強いですが、星形で赤紫色の萼と、黒い実のバランスがけっこうきれいですよね。

 

 葉や茎から独特の匂いがすることから臭木と呼ばれているのですが、なるほど納得の匂いでした。

ただ、花の香りは悪くないですし、鳥が好む実もそれほどではありませんでした。

 

冗談ですむ程度の匂いなので、みなさんも見かけたら、チャレンジしてみてください。

えびぞうすいの仏様。

2013.10.24

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養老町瑞穂の林照院に、「えびぞうすいの仏様」と呼ばれている仏様がいます。

 

この不思議な名前は、天明の飢饉(1782~1786)の頃、満足なお供えができず「ひえぼとけ」と呼ばれるようになり、美作(現在の岡山県)へ移ってしまった仏様が、大正8年(1919)に養老町瑞穂に戻ってくることになり、今度こそはということで、五三川で取れるもえびの入った美味しいぞうすいをお供えしたことに因るそうです。

地元に伝わるお話によると、えびぞうすいを供えるようになってから、ひえぼとけのお顔はふっくらするようになったみたいですね。

 

そんな仏様を撮影させていただいたものが上の写真です。

特別に見せていただくことができました。

 

善導大師という中国唐代の人物の尊像だそうです。

その表情は朗らかで、ひえぼとけと呼ばれていた面影は、もうありませんでした。

養老駅前区の公民館。

2013.10.23

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養老鉄道ができたばかりの頃、その運行本数は2時間に1本でした。

 

そのため、駅前は、列車待ちをするお客でたいへん賑わい、土産屋や菓子屋、料理旅館などが建ち並んでいたみたいですね。

 

しかし、人が集まると、自然と増えるのがトラブルの数。

特に桜の季節は、お酒の勢いでよくケンカがあり、商店主たちは困っていたそうです。

 

そして、その解決策として実施されたのが、請願巡査の配置でした。

 

ちなみに、請願巡査とは、自治体や企業、個人などの請願に基づいて配置される警察官のこと。

その費用は、請願者の負担となるので、駅前商店13件がお金を出し合って、駐在所を建てたみたいですね。

 

この建物は、現在も駅前に残されており、養老駅前区の公民館として使用されています。

大正2年の養老駅前。

2013.10.22

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先日、養老鉄道開通を迎えた養老駅前の写真を見ることができました。

大正2年(1913)に撮影されたものです。

 

たくさんの人力車が写っていますね。

このときの観光客の乗り物は、人力車がメインで、いつも10~15台の人力車が駅前で客待ちをしていたそうです。

また、養老公園へは上り坂が続くので、お客1人を運ぶのに、先引きと後押しで3人も必要だったみたいですね。

 

そんな風で、大変賑わいを見せていた養老鉄道開通当時の養老駅前。

この写真を見ていると、この翌年に養老自動車を起こす山田貞策さんの気持ちが少し分かるような気がします。

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