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直江の滝。
2011.09.13
今日の午前中、小谷山にある「直江の滝」の現地確認にいってきました。
小谷山というのは、養老の滝より少し南にある養老町直江が所有している山のことです。
直江区の方にもご協力いただいて、近くまでは車で行って、山道も最短距離を登ることができたのですが・・
それでも30分ほどかかりました。
目的地近くに、道らしい道がないことで、少し時間がかかりましたね。
一人では、ちょっと危ないかもしれません・・
しかし、「直江の滝」は、そんな苦労を吹き飛ばすくらいキレイで、2段に分かれて落ちる姿には、「養老の滝」や「秣の滝」とはまた違う魅力を感じることができました。
直江区の方によると、今回はやや水量が多く、タイミングも良かったそうです。
僕たち以外に誰もいない「直江の滝」で過ごす時間は、とても贅沢でしたね。
水もキレイで、石の下には、卵を抱えた沢ガニが隠れていました。
中秋の名月
2011.09.12
今朝ようやく、探していたススキを見つけました。
場所は、金草川の堤防です。
今日が、旧暦の8月15日なので、ぎりぎり「中秋の名月」に間に合わせることができました。
ぎりぎり間に合うといえば・・
養老町教育委員会で募集している「家族の絆 愛の詩」も、締め切りは9月15日(木)で、まだ間に合います
応募していない方は、ぜひ、ご検討ください。
応募は、こちらからどうぞ。
象鼻山弁天社の古写真。
2011.09.08
先日見つけた古写真の中に、象鼻山3号墳円丘にある弁天社と、象鼻山4号墳墳頂にあった招魂社を撮影したものが混ざっていました。
撮影した時期は不明ですが、他の写真との比較から、昭和40年代のような気がします。
上の写真が「弁天社」で、下の写真が「招魂社」です。
この写真で、私がはじめて目にしたのが、弁天社の奥の眺望です。
高木に囲まれた現在の様子とはずいぶん違いますよね。
西側は、こんなふうに見えてたんですね・・
象鼻山で最も眺望がよい場所は、弁天社のある象鼻山3号墳だということは、地元の方からもお聞きしていましたし、GIS(地理情報システム)の分析からも証明できてはいたのですが、やっと具体的なイメージが描けるようになりました。
今度は、写真ではなく、自分の目で、その景色を見てみたいです。
昭和32年の源氏橋。
2011.08.29
昭和32年の田中道麿翁顕彰碑除幕式の写真の中に、源氏橋を撮影したものが混じっていました。
すぐそばなので、たぶんついでに撮影したんだと思います。
源氏橋が町の重要文化財に指定されたのは昭和41年なので、それより9年前の状況になります。
これも養老町にとって貴重な資料ですよね。
そして、この写真でもうひとつ目を引くのが、奥に写る当時の養老町飯ノ木。
現在の写真と見比べると、その変化がよく分かりますね。
田中道麿翁顕彰碑除幕式。
2011.08.22
養老町出身の国学者、田中道麿翁の顕彰会が養老町に結成されたのは、今から54年前の昭和32年(1957)7月のことでした。
そして、設立してすぐの顕彰会が、早々に実現した事業の一つが、生まれ故郷である養老町飯ノ木への「田中道麿翁顕彰碑」建立です。
建設資金は、当時のお金で50万円という巨額に達していて、町ぐるみで取り組んだ事業だったようです。
上下の写真は、このときの顕彰碑の除幕式の様子を撮影したもの。
これ以外にも何枚か残されていました。
撮影日は、昭和32年10月4日、田中道麿翁の祥月命日です。
さすがに、54年前ともなると、ずいぶん現在と様子が違いますよね。
ただ、道麿翁の慰霊法要は、これ以降毎年欠かさず行われていて、今年は55回目を10月4日(火)に行う予定です。
栗笠の獅子舞の舞台。
2011.08.19
栗笠の獅子舞は、養老町で唯一、岐阜県無形民俗文化財に指定されている伝統芸能です。
この栗笠の獅子舞は、毎年10月の第1日曜日に開催されている栗笠福地神社例祭で見ることができるのですが・・
今と違って昔は、境内に舞台をつくり、そこで奉納していたそうです。
2枚の写真は、そのころの様子を撮影したもので、境内に立派な舞台がつくられているのがわかります。
現在は、境内にござをひいて奉納されている栗笠の獅子舞ですが、昔はこんなふうに奉納されていたんですね・・
舞台の上でいきいきと舞う獅子をみて、改めて伝統芸能の継承が重要であることを認識できました。
広幡地区盆踊り
2011.08.16
8月14日(日)、広幡地区で盆踊り大会が行われました。
会場は広幡公民館です。
7時になると、公民館前に組まれた櫓の周りで、「郡上音頭」や「かわさき」、「春駒」、「養老音頭」、「ひょうたんブギ」、「広幡音頭」、「アラレちゃん音頭」、「炭坑節」が踊られ、さらに8時半からは抽選会も行われました。
また、広幡地区ではありませんが、他の地区では、抽選会以外にカラオケ大会や花火をするところもあるそうです。
この広幡地区盆踊り大会、広幡公民館がまだ広幡小学校だった昭和40年代頃は、14日から3日間連続で行われていました。
母が踊り好きだったため、私も毎晩通って、踊っていたのを覚えています。
梅干し
2011.07.29
土用に入り、天日干しされる梅干しをよく見かけるようになりました。
写真は、養老町押越で見かけたもので、お話を伺うと明治からの古木3本から20kgほど収穫できたそうです。去年の収穫が少なかったことで、今年はすべて梅干しにされました。
うちの母親もよく、土用に梅を干すと色つきが良くなると言っていました。
きっと、美味しい梅干しになりますね。
柏尾廃寺跡の古写真。
2011.07.27
先日見つけた古写真の中に、柏尾廃寺跡を撮影したものが2枚含まれていました。
上の写真はそのうちの1枚で、塔跡から千体仏へ向かう道を撮影したものです。
よく見ると道の向こうに小さく千体仏が写っています。
撮影した時期は不明ですが、おそらく昭和40年代のものでしょうね。
もう1枚は、上の写真とは逆方向から撮影されていました。
この2枚を見ていて気になるのは、
千体仏ではなく道にピントがあっていることと、道がきれいなこと。
柏尾廃寺跡を撮影しようという意図は見当たりません。
たぶん、千体仏に続く道の工事完成写真として撮影されたんだと思います。
そのため、柏尾廃寺跡について新たな情報は得られそうにありませんが・・
今と比べると、少し高木が少ないですかね。
養老町薩摩義士顕彰会夏季慰霊法要。
2011.07.20
8月13日(土)の午前9時から、養老町根古地(ねこじ)の根古地薩摩工事義歿者墓において、養老町薩摩義士顕彰会主催による夏季慰霊法要が執行されます。
上の写真は、この夏季慰霊法要の昔の様子を撮影したもの。
いつの写真かは分からないのですが、写真左の慰霊堂の建立が昭和46年(1971)なので、それに近い時期のような気がします。
そして、今年は慰霊堂が建立されてから、40周年になります。
確かなことは分からないのですが・・
養老町薩摩義士顕彰会の規約が施行されたのが昭和45年11月27日なので、ひょっとしたら慰霊法要そのものも40回目を迎えるのかもしれません。
岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約が40周年を迎えるのも今年。
詳しい経緯を知りませんが、偶然じゃないのかもしれませんね。
養老町史完成式。
2011.07.12
上の写真は、先日見つけた写真の中の1枚で、「養老町史完成式」の様子を撮影したものです。
詳しい撮影日時や場所は分かりませんが、養老町史の通史編が完成したのが、昭和53年(1978)なので、だいたいその頃のものでしょうね・・
あいさつしているのが、当時の養老町長です。
この養老町史や、大正14年(1925)に完成した養老郡史には、養老町に関係する情報がたくさん収められていて、今でも養老町の歴史を考える上で欠くことのできない資料なんですが・・
それでも、郡史や町史の編纂に伴い収集された資料をみると、所収された情報は全体の一部にすぎないことに気づきます。
頭が下がりますね。
そして、次の世代に恥ずかしくない仕事をすることの大切さを実感します・・
象鼻山山頂緑化植樹。
2011.07.11
先日、書庫を片付けていたら、古い缶を見つけました。
中を開けてみると・・
そこには、養老町の昔の写真がたくさん入っていました。
ただ、整理されていないので、何の写真なのか分からないものばかり・・
一つずつ、地道に調べていくしかなさそうです。
上の写真は、その中の一枚で、おそらく昭和54年の象鼻山山頂緑化植樹の様子を撮影したものです。
植えたのは、サクラ200本・カエデ100本・モミジ50本。
これらは約30年経って、象鼻山の景観の一部にまでなりましたが・・
その多くは、象鼻山3号墳の方形壇の中に植樹されたため、毎年ちょっと複雑な気持ちで、満開のサクラや、真っ赤に色づいたカエデを見上げています。
緑のカーテン
2011.06.23
6月も後半になって、養老町でも暑い日が続くようになってきました。
養老町の池辺公民館では、そんな状況をみこして、5月下旬頃、建物南側にゴーヤを植えていました。
現在、苗は1m50cm程に育ち、いくらかの効果が期待できるようになっています。
また、2cmほどの実が付いていたので、収穫も楽しめそうですね。
薩摩花壇
2011.05.10
大巻薩摩工事役館跡東隣の花壇には、いつも鮮やかな花が咲いています。
地元の方々が、薩摩義士の関係史跡を訪れる方をもてなすことを主な目的として始めたもので、今年で2年目を迎えます。
年間通して維持されているので、いつ訪れても四季折々の花が楽しめるのがうれしいですね。
鯉のぼり
2011.05.02
最近になって、ご近所の庭に鯉のぼりを見かけるようになりました。
この鯉のぼりは、お孫さんの健やかな成長を願って、おじいさんから贈られたそうです。
青空に風をうけて悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿は勇敢で、見ていると気持ちがワクワクします
除川の桜
2011.04.05
新年度を迎えてから数日が経ち、養老町役場の側を流れる除川の桜もようやく咲きはじめました。
養老町では、明日が小中学校の入学式ですが、なんとか間に合ってくれましたね。
桜の花に迎えられる児童・生徒たちの姿が、今から楽しみです。
養老町の標高。
2011.03.18
養老町は養老断層の影響で、険しい山地と低地の両極端な地形に二分されています。
上の写真は、その養老町の標高データを、1m単位で色分けしたものです。
今から約6,400年前、縄文海進最盛期とよばれる時期の養老町を考えるために作成しました。
付近で知られている、海成層の上限高度は標高約1.5mですが、これは海の底の数値。
実際は、もっと内陸部まで海が入り込んでいたようです。
今はまだ難しいですが、当時の遺跡分布などの情報を加えて考えていきたいですね・・
おかがみさん
2011.01.05
この冬、養老町では、毎週金曜日になると雪が降っています。
とくに大晦日から元日にかけては、たくさん降りました。
毎年、わが家ではお正月に向けて餅つきをして、鏡餅を作ります。おかがみさんと呼んでいて、神棚の他に、台所、お風呂、トイレにも飾ります。また、庭にも、お日様へのお供えとして、大きめのお餅を飾っています。氏神様にも持ってお参りにいきました。
一昔前は、もっとたくさん飾っていて、これが当たり前だと思っていましたが・・・
他では、どのようにしているのか気になるところです。
昭和3年の象鼻山。
2010.12.28
養老町橋爪で昔の象鼻山の様子を尋ねると、いつも「ハゲ山」と「マツタケ山」の話になります。
どうやら一昔前の象鼻山山頂では、遺跡の景観は保たれていて、眺望もとてもよかったようです。また、山中には赤松がたくさんあったみたいですね。
こうした話を聞いていると、当時の象鼻山は、山の資源が重要だったこともあり、地元の人たちにとってとても身近な存在であったことがわかります。
それに、象鼻山にたくさんの思い出があるんですよね・・
つい先日そんな象鼻山の風景を記録した写真をみることができました。
聞いていたとおりでした。
現在、象鼻山古墳群の発掘調査は進んでいますが、地元と象鼻山の絆には、まだ多くの課題を残しています。
これを少しでも多くクリアして、象鼻山をもう一度身近なものとして感じてもらうのが、来年の目標です。
みなさんはいかがでしょうか。
では、よい年をお迎え下さい。
象鼻山51・53号墳の調査前全景。
2010.12.10
今週は、51・53号墳の発掘調査に先立ち、関係する立木の除去を実施しました。
写真左が51号墳、右が53号墳です。
これまでの分布・測量調査では、それぞれ約14mと約16mの円墳と推定されていますが、さてどうでしょうか。
来週からの掘り下げが楽しみです。