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若松屋の大藤。
2013.04.30
昨年、ご紹介した大巻薩摩工事役館跡の藤ですが、これが若松屋の大藤であることがわかりました。
移転に携わった方から、直接お話を伺うことができたので、間違いないと思います。
ちょうど、今が見頃ですので、ぜひ現地を訪ねてみてください。
六丁鎌。
2013.04.26
先日、日吉地区のレンゲについてお話を伺っていて、レンゲの刈り取りに適した専用の鎌があることを知りました。
名前は「六丁鎌」というそうです。
私は、この名前だけでは、普通の鎌と何が違うのか、よく分からなかったのですが・・
見れば、納得の形態でした。
養老町橋爪で50年ほど前に実際に使われていたもので、養老町内の近くの鍛冶屋さんに、注文して作ってもらっていたそうです。
そのため、個人個人で少しずつ注文に違いがあり、角度や刃の数にもバリエーションがあったみたいですね。
例えば、刃を2つ減らし、抵抗を少なくした四丁鎌は、主に子どもが使っていたそうです。
そんな、六丁鎌ですが、私が見せていただいたものは、両端の2本の刃が、根元から折れてしまい、違う意味で四丁鎌になってしまっていました。
どうも、地面に当たりやすい両端の刃は、折れることが多かったそうです。
それにしても、確かに、このレンゲ専用の鎌を使えば、立ったまま刈り取りができるようになり、大変なレンゲ栽培の作業も少しは楽になったでしょうね。
西岩道の念佛堂。
2013.04.25
養老町西岩道の墓地の西に、念佛堂と呼ばれているお堂があります。
これは、地元の方が、太平洋戦争から生きて戻ってこられたことに感謝し、個人で建てたものなのですが…
実現したのは、昭和61年(1986)11月のことでした。
終戦からずいぶんと時間が経ってしまっていますよね。
理由を聞いてみたところ、本人はすぐにでも建てたかったそうなのですが、奥さんがお守りが疎かになっては勿体ないという理由で、許可してくれなかったようです。
そのため、奥さんが亡くなられた後、供養の意味も込めて、かねてからの想いを実現することにしたみたいですね。
ちなみに、堤防の拡幅で残った土地に、小さなものを建てるつもりが、大工さんの協力もあって、現在のような立派なものになったという話を聞くこともできました。
そんな念佛堂ですが、地元では、お墓参りの際に、お参りされる方がたくさんいます。
私もその一人なのですが、詳しい経緯を知って、また新鮮な気持ちでお参りできそうです。
平成25年の高田祭。
2013.04.24
平成25年の高田祭のポスターが作成され、日程やスケジュールが公開されました。
5月18日(土)が試楽で、5月19日(日)が本楽です。
祭りのスケジュールは、おおよそ以下の通り。
18日(土)試楽:8時 飾り付け、15時 曳出し、17時 曳寄せ、19時 ライトアップ
19日(日)本楽:10時 愛宕神社奉芸、11時 神幸の儀、13時半 曳出し奉芸、20時 還幸の儀・夜車山曳出し
終了時刻は、試楽が21時頃、本楽が21時20分頃になります。
養老町役場駐車場が利用できますし、公共交通機関を利用される方は、養老鉄道美濃高田駅から徒歩10分程度です。
まだ、少し先になりますが、ぜひ今から、予定に入れておいてください。
なお、祭りの詳細については、こちらも参考にしてください。
押越の花火。
2013.04.23
江戸時代の終わりから明治の初め頃にかけて、養老町では小花火と呼ばれる花火が盛んでした。
中でも、養老町押越の花火は特に有名で、「谷越へ」や「山越へ」という名の仕掛け花火を行う技術をもっていたそうなんですが・・
その技術は門外不出で、花火を見せるときも200m以上近づくことを許さなかったため、現在ではどういうものだったか分からなくなってしまいました。
もったいない話ですよね。
この押越の花火、他にも驚くような話が残っていて、御神木である大杉で、「大瀧」という仕掛け花火に失敗して、大杉が焼けてしまったということもあったようです。
私が見た資料には、「落雷によるというのは誤りである」と記述されていたので、ちょっと焦げた程度の話ではなかったんでしょうね。
ただ、押越八幡神社に奉納されている初代大杉の額では、表皮に炭化した痕跡を見つけることはできませんでした。
かなり高い位置に仕掛けていたのかもしれません。
それにしても、高さが約30メートルもあった大杉を燃やしてしまう押越の仕掛け花火とは、いったいどんなものだったんでしょうね。
養老公園の白山神社跡。
2013.04.22
養老説教場から養老の滝へとつづく観瀑道路の途中に、白山神社の跡地が残っています。
この白山神社、現在は養老神社に合祀されているのですが、跡地の方に、孝子伝説で知られる源丞内の出生地であるだとか、源丞内が父親の病気平癒を願って建てたものだなどといった、気になる話がいくつか残っています。
そんな中でも、特に気になるのが、養老神社に合祀されるまでは養老寺がお世話をしていたという話。
養老寺の由来を記した「養老寺略縁起」でも、白山信仰は養老寺建立の資金を提供する重要な役割を果たしており、養老寺と白山信仰に深いつながりがあることは間違いないとは思うのですが・・
養老寺の近くで白山信仰といって、真っ先に思いつくのは、白山太鼓が残る鷲巣白山神社ですよね。
しかし、こちらはこちらで、境内に光明寺跡に由来する薬師堂が残されていたりします。
このあたりをもう少し上手く整理できれば、何か新しいことが分かるような気がします。
日吉特産レンゲ種。
2013.04.19
養老町でも、田植えの準備が近づき、所々で紅紫のレンゲの花を見かけるようになりました。
レンゲは、稲を刈り取った後の田を休める期間に、田に雑草が生えるのを防ぎ、肥料となる上に、その種は貴重な現金収入ともなっていたので、40年くらい前までの養老町では、水田の裏作として、麦と並んで、盛んに作られていたのですが、、、
最近では、田んぼを耕す人も減ってきていて、あまり見かけなくなってしまいました。
お話しを聞いていると、とくに養老町橋爪をはじめとする、水はけの良い日吉地区では、刈り取ったレンゲは、採種用としての需要も高く、「日吉特産レンゲ種」と呼ばれ、地元商人や農協を通じ、広く県外にも販売されていました。
ただ、太陽でさやが乾燥して種がこぼれないよう、朝早くに家族総出でレンゲを刈り取ったり、風選作業で、ほこりにまみれて種を取り出すといった、レンゲに関わる作業が大変だったので、徐々に作られなくなっていったみたいですね。
ちなみに、当時の橋爪は、あたり一面が紫色に染まるくらいレンゲの花が咲いていたそうです。
上の写真は、そんな養老町橋爪で、一人生えしていたレンゲの花を撮影したもの。
これまであまり気にすることがなかったのですが、日吉特産レンゲ種の生き残りだったんですね。
養老町立小学校の登校班。
2013.04.18
養老町では、全ての小学校で、班別の集団登校をしています。
主な目的は、交通事故や連れ去りなどの防止。
登校班と呼ばれ、規模の目安は10人、高学年が班長と副班長を務め、低学年の人数が多いときは、高学年の負担を減らすためにさらに2つに分けることもあるそうです。
ちなみに、上の写真の登校班の班長と副班長は、黄色い安全旗を持っている二人。
横断歩道の両側に立ち、低学年を先に渡らせるその様子を、とても頼もしく思いました。
なお、この小学校の集団登校は、孫を見送るようになった私が小学生のときにはすでにあり、その頃は20人以上いても1班の登校でした。
そして、孫の同級生の、70歳代のおじいちゃんも集団登校で広幡小学校に通っていたそうです。
いったい、いつから養老町にある仕組みなんでしょうね。
千歳楼の棟札。
2013.04.17
先日、養老公園の老舗旅館である千歳楼で、明治13年(1880)の棟札を見せていただくことができました。
千歳楼の本館については、町史にも、公園の管理運営のために組織された偕楽社が、養老公園の開発にあわせ、古い千歳楼の建物を隣地に移し、総工費三千円をかけて、新しい千歳楼を建てたといったことが記述されていて、建物の時期などは概ね把握できていたのですが・・
この棟札のおかげで、その完成が8月15日だったことなどが、新たに分かりました。
ちなみに、名古屋の材木商に請け負わせたみたいです。
裏面には、棟梁であった中島宗七の名前の他に、副棟梁の名前など、まだ他にも手掛かりになりそうな情報が記されていたので、ひき続き、もう少し調べてみようと思います。
養北小学校の春の遠足。
2013.04.16
今日は、養北小学校の6年生が、春の遠足で、象鼻山に行くのに同行させていただきました。
今まで、こうした象鼻山の案内をさせていただく機会では、現地で子ども達が来るのを待っていて、到着したら説明を開始するというパターンが多かったのですが、今回は、一緒に養北小学校を出発し、象鼻山まで歩くことができました。
初めて象鼻山に行くという子も多かったので、象鼻山の鼻の話など、普段はあまり触れないような説明もさせていただいたのですが、いかがだったでしょうか・・
子ども達が、また象鼻山に行きたいと思ってくれていたらうれしいです。
それにしても、象鼻山の登山道を含め約4kmを歩いた後で、山頂を走り回り、トカゲを追いかける子ども達の姿には、改めて感心させられました。
なんとなくですが、この風景の延長線上に象鼻山の将来像があるような気がします。
清風楼のドウダンツツジ。
2013.04.15
養老公園の清風楼で、ドウダンツツジが見頃を迎えています。
ちなみに、清風楼は昭和の初めに創業した観光旅館で、これらのドウダンツツジは、50年ほど前に、創業者の奥さんによって植えられたものだそうです。
500本もの苗木を植えたみたいで、根が付かなかったものもあるものの、たくさんドウダンツツジが、旅館を取り囲むように咲いています。
まだ、つぼみも多く、4月下旬頃まで楽しめると思いますので、ぜひ養老公園に来られた際には、こちらもご覧になってみてください。
笠郷音頭。
2013.04.12
先月、養老町の子ども会活動と三世代交流の発展を目的として行われた「子ども会フェスティバル」で、笠郷音頭に触れる機会に恵まれました。
とっても楽しい歌詞が印象的で、振り付けもわかりやすく、親しみがもてるものだったので、後日、地元の方に、もう少しお話を聞いてみたところ、新たに笠郷音頭の原本が、水害で流れてしまったことを教えていただきました。
いつのことなのか、まだはっきりしてはいないのですが、集中豪雨で牧田川堤防が決壊した昭和34年8月13日の夜に、笠郷地区の婦人会が盆踊りの稽古をしていたことを思い出しました。
ちなみに、笠郷音頭の作詞作曲は、大垣市上石津町出身の江口夜詩(よし)先生で、振り付けは糸井川益一さんという方だそうです。
思わず一緒に輪の中に入りたくなるような楽しい曲なので、興味がある方は、写真の踊り方を参照の上、ぜひ夏の笠郷地区盆踊りにでかけてみてください。
象鼻山のキツネ。
2013.04.11
今週の火曜日、象鼻山でキツネを見つけました。
もう10年以上、登っていますが、これまでに2回しか見かけたことがなく、3度目にしてやっと手元にカメラをもっていたのですが・・
上手く撮影できませんでした。
ただ、いずれもほぼ同じ場所だったので、4回目のチャンスは、それほど遠くない未来に訪れるような気がします。
次は、生き物ギャラリーに登録できるような写真を撮りたいと思います。
H25養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭。
2013.04.10
今日は、大巻薩摩工事役館跡で、養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭が行われました。
風が強く、少し肌寒い一日でしたが、約250名の方々にご参列頂きました。
ありがとうございます。
最後には、顕彰会の副会長から、池辺小学校の児童にむけて、薩摩義士の功績がそれほど鹿児島で知られていない理由を考えてみてほしいという宿題もでていました。
あわてて答えを出す必要はないということでしたので、ぜひゆっくりと時間をかけて、自分なりの答えを探してみてください。
マイタケ生育状況2。
2013.04.09
2月23日に菌の接種をおこなったマイタケ原木ですが、約2ヶ月で、真っ白になるまで菌がまわりました。
原木の並びは前と同じで、左からアラカシ、コナラ、ハゼになります。
1ヶ月前は、若干ハゼの菌のまわりが遅いように思いましたが、もうそんなに差は感じなくなりました。
このまま上手くいけば、あと2ヶ月ほどで完熟しそうなので、そろそろ次の工程である伏せ込みの準備をはじめようと思います。
全南殖産株式会社。
2013.04.08
先日、養老町図書館に所蔵されたことを報告した「宝暦治水薩摩義士事蹟概要」ですが、今日、その初版本を見る機会に恵まれました。
当然、その内容については、何も変わりはなかったのですが・・
一点だけ違いがあり、初版本にのみ、協賛団体を紹介するコーナーが設けられていました。
そして、その中には、この本の著者である山田貞策に関係の深い団体が30ほど。
これまで把握できていなかった情報もあり、大変参考になりました。
上の写真は、そんな団体の一つで、大正2年(1913)に、山田貞策が朝鮮半島に農業視察に行き、その後、大垣の同志と設立した全南殖産株式会社の紹介。
今までは、この大垣の同志とは誰のことかをはじめ、全南殖産株式会社については、ほとんど情報がなかったのですが、これにより、大垣の同志が、石井駒次郎という人物であったことが新たに分かりました。
貴重な手掛かりですよね。
この方の建てた洋館が、今も大垣市に残っているようなので、この情報をもとに、もう少し調べてみたいと思います。
ソーメン早食い大会。
2013.04.05
先日、養老公園で行われていた「ソーメン早食い大会」の写真を見る機会に恵まれました。
看板の内容から、開催が7月28日の14時で、会場が渡月橋の北側あたりであったことは分かったのですが・・
いつ撮られたものなのかが、よく分かりません。
白黒写真であることや、写っている人の服装を考えると昭和40年くらいですかね。
他にも写真は残っていて、この他に、ビールやラムネの早飲み大会も開催されていたことが分かってきているので、ソーメン大将や、ビールの王様の栄冠を手にした人たちが、どんな賞品をもらっていたかなど、ひき続き情報収集を続けたいと思います。
ウナギ漁。
2013.04.04
3日前のお昼、養老町宇田の堀の内にある池で、小舟に乗っている人を見かけました。
何をしているのか気になったので、少しお話を伺ってみたところ、ウナギの罠を手入れしているところでした。
6月からウナギを捕り始めるには、まだ水の冷たいうちに、ワナに使っている青竹の掃除や取り換えをして、水に沈めておかなければならないそうです。
コツもあるみたいで、節をきれいにぬいた青竹を90cmの長さに切り、3本束ねた後、水平になるように紐を結びます。代々受け継いできた漁法で、紐をバランス良く結ばないと、筒の中に入ったウナギが逃げてしまうみたいですね。
養老町でポピュラーな生き物であるにも関わらず、当ホームページでは、まだウナギの紹介ができていないので、6月になったら、もう一度、この方を訪ねてみようと思います。
できれば、味も報告したいところですね。
岡本村吉と、およね。
2013.04.03
先日、千歳楼や豆馬亭の東の「うしろ谷」に、明治の終わりから大正の初めにかけて、岡本村吉とおよねという老夫婦が住んでいたことを教えていただきました。
上の写真は、そのあたりの様子を撮影したものになります。
この村吉という老人、とても律儀な人柄であるものの、大変貧しい生活を送っていたようなのですが・・
どうも、その粗末な住居の仏壇に、養老公園開発の礎を築いた人物である「岡本喜十郎」の俗名を書いた位牌があったことが分かってきました。
気になったので、少し調べてみたところ、どうやらこの村吉老人は、岡本喜十郎家の名跡を継いだ人物であるらしいということが新たに分かりました。
ただ、血縁はなかったみたいですね。
まだ分からないことばかりですが、なぜこの村吉老人が岡本姓を名乗るようになったのか、ひき続き情報収集を続けたいと思います。
船附八幡神社の狛犬。
2013.04.02
養老町船附の八幡神社で、コロコロと動く玉が口の中に入っている狛犬を新たに見つけました。
当ホームページでは12例目、笠郷地区では早戸神社、八剣神社に引き続き3例目の発見になります。
そして、この狛犬がいる船附八幡神社では、若木ではありますが、ソメイヨシノの他に、彼岸桜やしだれ桜もきれいに咲いていました。
このうち、彼岸桜は、時期がそろそろ終わりそうですが、まだ若木ならではの鮮やかな紅色の花を咲かせています。また、ソメイヨシノは今が見頃で、しだれ桜はもうしばらく楽しめると思います。
神社周辺は道が狭く、駐車スペースもありませんが、今なら狛犬だけでなく3種類の桜も楽しめるので、近くにお住まいの方は、ぜひ見に行ってみてください。