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養老公園入口の道標(訂正)。
2012.11.30
三日前に紹介した、上の写真ですが、白石の道標付近を撮影したものではなく、千歳楼の入口あたりを撮影したものである可能性が高いことが分かってきました。
申し訳ありません。
結論が出ているわけではないのですが、以前は豆馬亭と千歳楼の間にも道標があったというお話と、現在白石に残っている道標と、写真の道標の雰囲気が少し違うことが、間違いであると考えるようになったきっかけです。
また、写真のタイトルが「養老公園入口」となっていたことも、千歳楼の入口あたりを撮影したものであれば理解しやすくなりますよね・・
いずれにせよ、もう少し情報収集を続け、また新しい事実が分かればご報告させていただきます。
行方が分からなくなっている、豆馬亭と千歳楼の間にあった道標を見つけることができれば、話は早そうなんですけどね・・
郷土のために骨身を惜しまなかった渋谷代衛さん。
2012.11.29
養老町教育委員会で作成を進めていた渋谷代衛さんの冊子ですが、いよいよ完成間近となりました。
タイトルは「郷土のために骨身を惜しまなかった渋谷代衛さん」です。
写真だけだと、ちょっとこわそうな印象をあたえる代衛さんですが、この冊子を読んでもらえば、きっと、代衛さんの本当の人柄が分かっていただけると思います。
完成し次第、ご報告いたしますので、ぜひ楽しみにお待ち下さい。
勢至の立岩。
2012.11.28
今日、養老山地の頂上近くにある、「勢至の立岩」と呼ばれている巨岩の現地確認に行ってきました。
ちなみに、現地までは、上石津町一ノ瀬の方にご案内いただくことができ、林道を利用して、1時間ちょっとで到着することができました。
ご協力、ありがとうございます。
この「勢至の立岩」は、地元では、八畳岩とも呼ばれているもので、むかし、若狭の国(現在の福井県)の八百比丘尼(やおびくに)が、この大岩を山頂まで運ぼうと背負って登っていったが、琵琶湖が見えてくるようになると気がゆるんで背負えなくなり、ここに置き残して去ってしまったという伝説が残っているのですが・・
個人的には、養老町勢至にあった勢至寺という中世寺院に関わるものではないかと考えています。
ただ、今回の現地確認では、巨岩周辺に中世の遺物を見つけることはできませんでした。
しかし、立岩の位置を正確に把握できたことで、少なくとも応永27年(1420)の文書で、勢至寺の北境と主張されている「立岩の下大谷水落境」が行平谷であることははっきりしてきたと思います。
また、これにより、勢至寺と、その北隣の竜泉寺が、ほぼ境を接して、南北に並んでいたことも分かってきました。
いずれにせよ、上石津町側から林道を利用すれば、比較的楽に現地に到達できることがわかったので、次はもっと範囲を広げて調査してきたいと思います。
白石区の養老公園入口。
2012.11.27
つい最近、民家に組み込まれる以前の、白石区のたき道道標の様子を撮影した写真を見せていただくことができました。
ありがとうございます。
これまでも、道標の横に高札場があったというお話は聞いていましたが、こんな感じだったんですね。
想像していたよりも、ずっと素晴らしい風景でした。
あと、ちょっと気になったのが、この写真のタイトルが「養老公園入口」となっていたこと。
これまで、開園当初の養老公園入口については、勝手に、養老説教場への上がり口がそうなのかと思い込んでいたのですが・・
間違っていたかもしれません。
引き続き、情報収集を続け、養老公園の変遷をできるだけ整理することで、この課題について、一度よく考えてみたいと思います。
昭和3年の偕楽社。
2012.11.26
先日、昭和3年(1928)に作成された養老公園の資料を見る機会に恵まれました。
原本ではなく、写しだったのですが、明治13年(1880)の開園以降、養老公園がどのように変化していったのかが分かり、たいへん参考になりました。
ありがとうございます。
ただ、気になる点も多く、養老公園の沿革を把握するには、まだまだ情報収集が足りないみたいです・・
中でも、とくに印象に残ったのが、滝谷の南側に記された偕楽社の文字。
偕楽社とは、開園されたばかりの養老公園を、管理運営し、さらに発展させていくために組織された団体で、町史などには、明治30年(1897)に養老公園の管理を郡営に移管した際に解散したと記述されているのですが・・
「偕」の字が、「階」になってるから別団体・・
そんなわけないですよね。
瑞穂西のお地蔵さま。
2012.11.22
養老町の瑞穂西には、頭と体が2つに壊れてしまうという、とんだ災難にあったお地蔵さまがいます。
どうも、地元の方に伺った話によると、今から70年ほど前に、馬を連れてそばを通りかかった人が、お地蔵さまに馬をくくりつけて、その場を離れてしまったことが、原因だそうです。
その後、このお地蔵さまは修復され、今も大切にお守りされているのですが、首もとには、このときの傷跡が残ってしまっていますね。
それにしても、手を合わせてお参りをするお地蔵さまに、どうして馬をくくったりしてしまったんでしょうか。
愛宕神社のモミジイチョウ。
2012.11.21
養老町高田の愛宕神社の境内に、1本で、2つの紅葉が楽しめる、ちょっと変わった木があります。
うろ覚えなのですが、たしか、境内にあったモミジが枯死する前に、その一部をイチョウに寄生させたことで、こんな不思議な木が誕生したというような経緯だったと思います。
いずれにせよ、人の手は入っておらず、自然にこうなったみたいですね。
ちょうど、今が見頃なので、興味がある方は、ぜひ愛宕神社に立ち寄ってみてください。
神楽獅子山の倉の瓦。
2012.11.20
今年度に進めていた、高田祭の神楽獅子山山倉の修理が、無事に完了しました。
基礎の腐敗や、外壁の損傷など、これまで曳山の保存に不安があった部分もキレイになり、これで一安心ですね。
修理を支えた皆様、本当にお疲れ様でした。
また、修理の過程では、以前の倉に使用されていた瓦に、天保15年(1844)の銘があることや、それらが上石津町の牧田萩原村で製作されたものであることも新たに分かりました。
詳しい検討はこれからですが、神楽獅子山を保有する下河原町が、新たに岐阜市の長良北町に曳山を買い求めた年代が天保元年(1830)なので、このときの曳山を保管する倉のために、用意された瓦なのかもしれませんね。
ただ、14年ほど間が空いていることが、少し気になります。
そもそも、いつ頃から、曳山を倉で管理するようになったんでしょうね・・
「養老の日」制定記念乗車券。
2012.11.19
先週の土曜日から、当ホームページのキャラクターであるタギゾウくんなどをあしらった「養老の日」制定記念乗車券が発売されています。
これは、養老鉄道株式会社が、養老改元1300年祭に伴い、11月17日が「養老の日」に制定されたことを記念して作成したもので、岐阜県産の杉を使った、ひょうたん形の乗車券になっています。
発売期間は、平成25年5月31日(金)までで、取扱期間は、平成25年6月1日(土)まで。
養老の紅葉も、今月中は楽しめると思いますので、ぜひ、この記念乗車券を使って、養老公園にお出かけください。
広幡小学校のひょうたん池。
2012.11.16
広幡小学校の運動場の隅に、ひょうたんの形をした池があります。
これは、平成5年の3月に、以前からあった池に井戸を掘り、ハリヨが住めるように整備したものです。
児童達に、地域の自然や文化を学習してもらうための取り組みだったみたいですね。
ちなみに、ハリヨというのは、体長3~7cmくらいの、背や胸に鋭いトゲを持った小さな淡水魚。環境に敏感な一面を持っていて、巣を作って子育てしたり、求愛ダンスをしたりするのが特徴です。
養老町を代表する魚の一つですよね。
そして、一昔くらい前の広幡地区には、水場に入ると、トゲで足が痛いくらい、たくさんいました。
子ども達には、ここで自然を大切にすることを知ってもらい、みんなが大きくなっても、ハリヨが住める広幡地区を守っていってくれるとうれしいです。
広幡ふるさとオリエンテーリング。
2012.11.15
11月7日(水)に、広幡小学校で、広幡ふるさとオリエンテーリングが行われました。
これは、7年ほど前から続いているもので、全校児童が1~6年生の混成グループに分かれて、校区の歴史や産業にゆかりのある場所を訪ねて歩く行事です。
今思えば、9月に6年生対象に行われた史跡探検は、ここで下級生を案内するための事前学習だったんですね。
当日、6年生たちは、しっかりと準備してきていて、クイズなどを交え、下級生に分かりやすく説明をしていました。
しかし、こうして子ども達の学習過程を見せていただいていると、改めて、自分が他人に説明する立場になることを踏まえて学習に参加することが、子ども達の意欲を高めるのに効果があることが分かります。
オリエンテーリングで6年生が見せてくれた表情は、9月の時よりも、少し頼もしく見えました。
白石区のたき道道標。
2012.11.14
養老町の白石区には、民家の石垣に組み込まれてしまった、ちょっと変わった道標があります。
これは、養老の滝への道を示す道標で、表面には「左滝え」「享保三年(1718)六月十一日秀園」と刻まれています。
養老改元から約1000年後に、建てられたものということですよね。
そして、当時の滝への道が、白石を通っていたことも、今に示してくれています。
あと、ここでもう一つ気になるのが、この道標が設置された享保三年が、岡本喜十郎の生家である岡本家が、やがて養老開発の拠点となる白石の土地を、押越村から譲り受けた年であること。
ひょっとしたら、こうした小さな文化遺産の中に、養老開発の端緒を探るヒントが隠されているのかもしれませんね・・
この道標の情報は、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあります。
ぜひ、一度現地を訪ねてみて下さい。
大正10年の桜井古墳発見記事。
2012.11.13
昨日、大正10年(1921)6月15日(水)に発行された勢濃日報を見る機会に恵まれました。
これは、大正10年2月25日に、石材目当てで破壊された桜井古墳(現、坂尻古墳)についての記事を掲載した新聞で、桜井古墳が発見された当時の詳細を知ることのできる貴重な資料とされてきたものです。
なので、はじめは、この幸運をとても喜んだのですが・・
内容を確認してみると、桜井古墳の発見時の詳細は、同年6月13日の第156号で記事にされていて、私が見た第158号には、桜井古墳の記事に対し、桑名市の神職の方が寄せた原稿が掲載されていることがわかりました。
そのため、お目当ての内容は、どこにも・・
だれか、大正10年6月13日に発行された勢濃日報を保管している人、いませんでしょうか。
文化遺産ウォーキングを開催しました。
2012.11.12
昨日、無事に文化遺産ウォーキングを開催することができました。
不安定な天気だったにもかかわらず、多数のご参加ありがとうございます。
当日は、一般的なウォーキングでは、あまり立ち寄らないようなところを中心にご案内させていただきましたが、いかがだったでしょうか。
身近なところにも、訪れる価値のある場所が、たくさんあることが、伝わっていればうれしいです。
今後も、こうした機会を設けていきたいと考えていますので、ぜひ、この次もよろしくお願いします。
明後日の文化遺産ウォーキングの雨天対応。
2012.11.09
明後日の日曜日に開催を予定している養老町文化遺産ウォーキングですが、雨天による延期の可能性が出てきました。
その判断は当日になりますが、延期を決断したときには、参加者には、なるべく早く、電話で連絡いたしますので、ご注意ください。
なお、延期の場合、養老町文化遺産ウォーキングは、11月24日(土)の8時から開催いたします。
なんとか、晴れてくれないですかね・・
昭和15年の神明神社秋祭り。
2012.11.08
今日、仕事の打ち合わせ中に、以前は養老町泉町にあった神明神社の秋祭りの写真を見せていただくことができました。
よく見ると、左下の男性の胸に、「紀元二千六百年」と書かれているので、どうやら、この写真は、昭和15年(1940)に、神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝ったときのものみたいですね。
ちなみに、写真の化粧をした男性たちは、当時の神明神社のお世話をしていた、地元の青年団の方たち。
顔に化粧をしたり、鉢巻きに日の丸の扇子をさしたり、とっても楽しそうです。
話しをお聞きしていると、どうやら、神明神社の相撲大会を始めたのも、彼らだったようで、最初の頃は、子どもだけでなく、大人も参加していたみたいです。
さらに、今日のお話では、この他にも、神明神社の由来が、当時このあたりが大墳村(おおつかむら)と呼ばれていたころに、上流から水害で流されてきた神様をお祀りしたことにあると、地元に伝わっていることも教えていただきました。
そういえば、神明神社の元位置は、牧田川の南岸でしたね。
イモ掘り体験。
2012.11.07
先月、笠郷幼稚園のイモ掘り体験におじゃましてきました。
園児達は、この日に向けて、サツマイモの生育を勉強してきていたので、みんなとても張り切っていました。
心配された天気も、なんとかもってくれましたね。
当日、園児達は、すごい勢いで畑を掘り進み、あっという間に、たくさんのサツマイモを収穫していました。
そして、サツマイモを収穫した後は、みんなで焼きイモを頬張りました。
私もごちそうになったのですが、焼きたてのサツマイモはとっても美味しかったです。
こうした機会を、もう10年ほども続けてくださっている地元農家のご厚意に感謝ですね。
白い粘土。
2012.11.06
昨日、日吉遺跡で立会調査をしていると、弥生時代の終わり頃から古墳時代初め頃の土器と一緒に、白い粘土が出土しました。
養老町の地表下では見たことのない粘土なので、どこかで採取されたものを、乾燥しないように土の中に保管しておいたんでしょうね。
ただ、どのような用途に使うつもりだったのかは、いまいちよく分かりません。
葬送でしょうか・・
また、この白い粘土が、どこで採取されたものなのかも気になります。
うまく産地が分かれば、当時の養老町の人たちのお付き合いの実態が、少し解明できるかもしれませんね。
岐阜県文楽・能大会なかつ川2012に、室原文楽が出演しました。
2012.11.05
先週の土曜日、岐阜県中津川市の常盤座で、第17回岐阜県文楽・能大会なかつ川2012が開催され、養老町の室原文楽も出演しました。
今回の会場は、中津川市の重要文化財にも指定されている芝居小屋。
17年続く、岐阜県文楽・能大会の中でも、芝居小屋での開催は初めてのことでしたが・・
築100年を越える常盤座の趣と、その手頃な大きさは、舞台や人形が小さく、座敷芸として引き継がれてきた室原文楽には、ぴったりの会場でした。
きっと、たくさんの方々に、室原文楽の魅力を知っていただけたと思います。
田中道麿翁のお墓参り。
2012.11.02
昨日、田中道麿翁顕彰会による、道麿翁の墓参りがあり、4名の役員が参加しました。
ちなみに、現在、翁の墓は、名古屋市平和公園の常端寺墓域内にあり、二段の台石と、「国学者田中道麿翁墓所」の石標を伴っているのですが・・
道中、この台石と石標が、昭和51年(1976)に田中道麿翁顕彰会によってつくられたものであることと、その際に墓前祭が挙行されていたことを、新たに知りました。
また、無縁仏の域内で、道麿翁の墓を見つけ出したのも、顕彰会の方々だったようですね。
何度も訪れた場所だったのですが、改めて、翁の功績を顕彰してきた方々の努力があって、今があることを実感しました。