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11月3日の室原文楽上演外題。
2012.10.31
昨晩、室原文楽の練習におじゃましてきました。
4日後に、岐阜県文楽・能大会を間近に控え、さすがに熱が入っていましたね。
いつもより、少し早めに伺ったのですが、もうすでに練習ははじまっていました。
今回、岐阜県文楽・能大会で室原文楽が上演する外題は「恋女房染分手綱 重の井子別れの段(こいにょうぼうそめわけたづな しげのいこわかれのだん)」。
時代物で、生き別れた母と息子が再会するも、親子の名乗りができず、再び別れてしまう場面が見どころです。また、個人的には、息子(三吉)が、母(重の井)に対し、自分の気持ちを隠さずぶつける場面もオススメです。
今週の土曜日に室原文楽が出演する大会の内容は、下記の通り。
入場は無料で、会場は文化財にも指定されている芝居小屋ですので、ぜひこの機会に、室原文楽をはじめ、岐阜県で活躍する文楽・能団体の上演を見に来てください!
【第17回岐阜県文楽・能大会 なかつ川 2012】
日時:平成24年11月3日(土・祝) 開演12:50(開場12:00)
会場:常盤座(中津川市高山1026-1)
出演団体:室原文楽保存会「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」/真桑文楽保存会「三番叟」/付知町翁舞保存会「翁舞(三番叟)」 /恵那文楽保存会「生写朝顔日記宿屋より川場の段」
吉田郷の位置。
2012.10.30
養老町の北野区の人とお話ししていると、ときどき吉田という地名が出てきます。
これは、現在の養老町豊が、昔は吉田と呼ばれていたことによります。
ちなみに、村名を変更した時期については、「大垣藩座右秘鑑」という文献に「吉田を貞享元子改豊村」とあることから、貞享元年(1684)の可能性が高いみたいですね。
ただ、豊村の氏神様は、今も吉田神社のままです。
そして、ここで気になるのが、この吉田神社が現在の豊の集落から150mほど離れていて、さらにその周辺に、たくさんの古代から中世の遺物が落ちていること。
おそらく、養老町史などに出てくる中世の吉田郷は、今の豊村より少し北にあったんでしょうね。
そして、豊村は、少なくとも中世から現代へと続く村であるようです。
ただ、吉田神社の周辺には、古代の遺物もたくさん・・
吉田郷は一体いつからあるのか、そしてなんと呼ばれていたのか、まだまだ調査を続けたいと思います。
ミツバチの分蜂。
2012.10.29
先週、養老町立東部中学校の東校門付近で、桜の枝に、ミツバチが分蜂(ぶんぽう)しているのを見つけました。
ちなみに、分蜂というのは、ミツバチが群れの数を増やすために行うもので、一般的には、春から初夏にかけてみられるものだそうです。
そのため、冬を間近に控えたこの時期の分蜂は珍しいみたいですね。
暖かい日が続いたために、季節を誤解したのでしょうか・・
分かれた蜂たちが、うまく越冬できるか、ちょっと心配です。
笠郷公民館の忠魂碑。
2012.10.26
笠郷公民館の入口のそばに、上の写真の忠魂碑が建っています。
この忠魂碑、昭和6年(1931)10月に建てられたこと以外、これまであまり詳しいことが分かっていなかったのですが・・
最近、この他にもう一つ、敗戦後、25年ほどの間、土の中に埋め隠されていたことが分かってきました。
どうやら、GHQに見つからないようにしたみたいですね。
また、埋め隠されたといっても、穴を掘ったのではなく、横に倒して、上から土をかぶせただけだったようです。
それにしても、一体どこに、埋めてあったんでしょうね。
そして、そんなことが本当に必要だったんでしょうか。
いろいろと気になる点がありますが、とりあえず、どの戦争に伴うものなのかから、はっきりさせていきたいと思います。
養老公園の果樹園。
2012.10.25
先日、聞き取り調査に伺った際、養老公園の果樹園に、イチゴ狩りにいったときの写真を見せていただくことができました。
養老公園に、むかし果樹園があったことは知っていたんですが、こんな感じだったんですね。
考えていたよりも、ずっと広かったです。
ちなみに、この果樹園が開園したのは、戦後すぐくらい。
イチゴ以外にも、梨や栗、柿などが栽培されていたそうです。
また、近くには、マツタケ山もあったみたいですね。
今でも、養老公園は、春秋がとくに人気ですが、きっと当時も、楽しかったでしょうね。
はんの木。
2012.10.24
養老町飯ノ木の田中道麿翁顕彰碑の隣には、1本の「はんの木」が植えられています。
これは、養老町飯ノ木に生まれ、自身を「飯木翁」とも称した田中道麿翁を偲んで、数年前に植えられたものなのですが・・
実は、地名の由来になった木であるにもかかわらず、地元の子ども達に、はんの木を知らない子が増えてきたことも、植樹された原因の一つでした。
はんの木は湿地を好み、養老町の環境に適した樹木なのですが、確かに最近あまり見かけませんよね。
みなさんはご存知でしょうか。
もし、あまりよく知らないという方がいれば、道麿さんの顕彰碑の横にありますので、ぜひ一度確認しに行ってみてください。
烏江八幡神社の狛犬。
2012.10.23
先日、烏江の八幡神社で、口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬を、新たに4体も見つけました。
いずれも平成9年(1997)年生まれで、ずいぶんと若い狛犬達です。
烏江の八幡神社は、これまでに2度遷座していて、現在の場所に移ったのが平成9年なので、このときに建立されたんでしょうね。
これで、養老町の口の中にコロコロと動く玉が入っている狛犬の発見数は10例になりました。
ただ、ちょっと気になったのが、遷座以前の狛犬の姿が、境内になかったこと。
どこかに行っちゃったんでしょうか・・
橋爪神明神社の秋祭り。
2012.10.22
10月14日(日)、養老町橋爪にある神明神社の秋祭りにおじゃましてきました。
この橋爪の神明神社は、寛文5年(1665)に起きた「ヤロカの大水」と呼ばれる大洪水で流出した篠塚神社の跡地に、山田用水に関係のあった橋爪、宇田、中、豊、金屋、大坪、室原の七カ村が、新たに勧進したと伝えられる神社です。
その後、何度か再建されたようですが、場所は変わっていないみたいです。
そんな神明神社の秋祭りですが、今年は、橋爪区と別所区から合わせて20人ほどが参加されていました。昔は、七カ村からの参詣者も多く、盛大だったことを考えると、小祭りになっているのは、ちょっとさみしい気もしますね。
しかし、それにしても、この神明神社、橋爪地内にありながら七カ村で勧進されていたり、篠塚神社の跡地を選んで建立されていたりするなど、いろいろと気になる点があります。
何か背景があるんでしょうね。
まずは、山田用水を手掛かりに、もう少し調べてみようと思います。
神明神社の子ども相撲。
2012.10.19
先週の日曜日、養老町三神町の神明神社で行われた、子ども相撲におじゃましてきました。
三神町の神明神社では、毎年体育の日に例祭を行っており、神事の後には、多芸西部地区の子ども達を集めて子ども相撲が行われています。
この日は、幼児から中学生までおよそ70名の参加があり、性別や年齢を考慮して、取り組まれていました。
それにしても、白熱していましたね!
なかには、負けたことが悔しくて泣いてしまう子もいました。
お話しを聞いていると、この子ども相撲はもう50年以上も続いていて、昔は賞金が出たりもしたそうです。また、その頃は、男の子のみの参加だったみたいですね。
しかし、今はそんな制限もなくなり、女の子も元気いっぱい。
みんなとっても強くて、私では、敵いそうにありませんでした。
広幡地区の歩け歩け大会。
2012.10.18
10月13日の土曜日、広幡地区で歩け歩け大会が行われました。
これは、広幡公民館が、地域の体力づくりに勉強会をかねて実施している行事です。
年4~5回は開催されていて、もう20年以上続いているみたいですね。
当日は、天気にも恵まれ、37名の参加者が、飯ノ木の田中道麿翁生誕地や、飯ノ木八幡神社などを歩いて巡ったのですが・・
同行させていただいて、田中道麿さんのことを知らない人が、地元にもけっこういるという現実を、目の当たりにしました。
田中道麿翁の生誕地碑は、分かりにくい所にあるので、まだ仕方がないと思いますが、中には、道麿さんの名前を初めて聞くという方も・・
ぜひ、この取り組みを長く続けていただいて、少しでも広幡から田中道麿さんを知っている人を増やしてほしいところです。
よろしくお願いします。
根古地八幡神社の秋祭り。
2012.10.17
養老町を南北に走る国道258線ですが、根古地交差点から約150mほど南に、ガードレールではなく、チェーンで塞がれている箇所があります。
これは、今から48年前、国道258号線が、根古地八幡神社の参道を横切ったことが原因で生まれました。
つまりは、お祭りの時に、太鼓などが国道を通過できるようにしておくという条件で、当時の根古地の人たちは、国道建設に賛成したみたいですね。
そして、これ以降、養老町根古地では、1年に1回、お祭りの日だけ、太鼓や提灯が、国道を通過する車を止めて、練り歩く光景が見られるようになったそうです。
下の写真が、その様子を撮影したものになります。
撮影したのは、10月7日(日)の夜7時過ぎ、警察官や消防団員の誘導の元、無事に太鼓と提灯が国道を渡っていきました。
しかし、それにしても、国道を走っていて、突然この光景に遭遇した人は、みんなおどろくでしょうね・・
有尾地蔵。
2012.10.16
養老町有尾には、今から150年ほど前に、建てられたお地蔵様がいます。
このお地蔵様は、一緒に住むことができなくなった子ども達の健やかな成長を祈って、建てられました。
ただ、時間の経過とともに、建立された理由は風化していき、今では、地域の方も、それぞれの願いを込めてお参りに訪れるみたいですね。
また、その位置については、昔はやや東にあったという意見と、位置は昔から変わっていないという意見があることもわかりました。
この有尾地蔵については、タギゾウくんの養老ナビに登録してあります。
木陰にひっそりと隠れていて見つけにくいかもしれませんが、ぜひ会いに行ってみてください。
第13回「家族の絆愛の詩」の最終審査を行いました。
2012.10.15
今日、「家族の絆愛の詩」の最終審査があり、2,443篇の応募作品の中から、最優秀賞、優秀賞、養老改元1300年記念賞、家族賞、佳作の38篇を選出しました。
ちなみに、2,443篇の応募数は、過去最多。
たくさんのご応募、ありがとうございます。
これらの入賞者の発表は、11月1日に、町のホームページ等で行います。
ぜひ、楽しみにお待ちください。
室原熊野神社の例祭。
2012.10.12
先週の日曜日、養老町室原にある熊野神社の例祭におじゃましてきました。
私は、はじめてだったのですが、3つの曳山が並ぶ様子が、とても立派でした。
ちなみに、熊野神社の例祭は、秋の間近に迫る豊作を感謝する祭りで、以前は10月5日に固定されていたそうです。
そして、大豊作の年には、2週間も前から、長浜より師匠を招き、子ども歌舞伎の準備をしていたみたいですね。
しかし、今では10月5日に近い土日が、祭りの日になり、子ども歌舞伎についても、平成6年(1994)を最後に、行われなくなってしまいました。
今年の養老町の収穫は、せっかくの大豊作なんですけどね。
できれば見たかったです。
「決壊口の碑」の除幕式。
2012.10.11
先日、書庫で、養老町根古地にある「決壊口の碑」の除幕式の写真を見つけました。
昭和49年10月2日に撮影されたものです。
決壊口の碑とは、昭和34年の集中豪雨と伊勢湾台風で、二度にわたって堤防が決壊した場所に、この事実を風化させず、長く後世の戒めとするために建てられた石碑のこと。
町制20周年の記念事業だったみたいですね。
当日はあいにくの天気にもかかわらず、40名ほどの出席があり、決壊当時、水防の陣頭指揮を執り、この石碑の揮毫者でもある内堀保一さんのお孫さんによって除幕が行われました。
それにしても、災害から15年を経て、ようやくこうしたことが実現していることに、改めて災害を克服するまでの苦労が見て取れるような気がします。
この、「決壊口の碑」はタギゾウくんの養老ナビに登録してあります。
まだ、行ったことがない方は、ぜひ一度足を運んでみてください。
こんなところにいたタギゾウくん。
2012.10.10
先週の日曜日、国体デモスポウォーキングの後片付け中に、タギゾウくんを見つけました!
とっても上手に描かれていますよね。
キャンバスになっているのは、国体応援のために作られたのぼり旗。
笠郷地区の子ども会が、描いてくれたもののようです。
タギゾウくんとヒマワリの組み合わせから、このモデルはきっと「タギゾウくんの自由研究」ですよね。
しっぽまで正確に描いてくれていて、とてもうれしかったです。
どうもありがとう。
考古学講座が終了しました。
2012.10.09
昨日、 無事に考古学講座が終了しました。
祭りの最盛期で、それぞれお忙しい中にもかかわらず、ご参加いただきありがとうございます。
講師の赤塚先生からは、壬申の乱のイメージを考古学で膨らませていくお話をしていただき、とても楽しい時間になりました。
個人的には、大海人皇子の元に兵士を供給した地域の検討が、とても印象に残りました。
「養老町は壬申の乱にどのように関わったか」
このことについて、もっと詳しく調べていくことが、養老町の古代を解き明かす上で、重要な課題になりそうですね。
さて、次にニワ里ネットさんと実施する事業は、11月11日(日)の文化遺産ウォーキング。
あと少しだけ余裕がありますので、ぜひこちらもご参加ください。
仙人草のヒゲ。
2012.10.05
先月の中旬、養老町口ケ島の金草川堤防で、甘い香りのする白い花を見つけました。
上の画像が、その花を撮ったものです。
かわいいですよね。
ただ、名前を知らなかったので調べてみたところ、この花は仙人草といい、実をつける頃には、名の由来となった白い仙人のヒゲを見せてくれることが分かりました。
どんなヒゲか、ドキドキしますよね。
3週間、待ちわびて、やっと昨日、そのヒゲを見ることに成功しました。
その様子が下の写真になります。
いかがでしょうか・・
個人的には、ちょっと期待しすぎました。
平成24年度田中道麿翁慰霊法要。
2012.10.04
今日、9時から、56回目の田中道麿翁慰霊法要を執り行いました。
今年も、去年に引き続き天気に恵まれ、40名ほどの方々にお参りいただきました。
ありがとうございます。
恒例となった、広幡小学校6年生による歌の発表も、力作揃いでしたね。
また会場では、道麿さんが天明3年(1783)に出した書翰から、千歳楼の創始者である初代岡本喜十郎と親交があった可能性があることも教えていただきました。
ひょっとしたら、道麿さんは岡本喜十郎の薬湯に浸かって、旅の疲れを癒やしたことがあるのかもしれませんね。
もう少し調べてみるとおっしゃっていたので、次の成果を楽しみに待ちたいと思います。
タマスダレの花。
2012.10.03
先週、養老町有尾の道ばたで、真っ白な花びらが目をひく、きれいな花をみつけました。
花の名前は、タマスダレ(玉簾)。
南米原産の植物で、日本には明治時代初期に園芸用として入荷されるようになったそうです。養老町でも、少なくとも40年前にはよく見かけるようになっていたみたいですね。
写真は有尾のものですが、それ以外でもあちこちで見かけました。
土質を選ばない丈夫さと、球根だけでなく、種からも生長できるところが強みなんでしょうね。
ただ、このタマスダレは、ヒガンバナの仲間で、葉や茎には毒があるそうです。
きれいな花には、注意も必要ですね!