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大巻薩摩工事役館跡の藤。
2012.04.27
4月も終わりになり、養老町でも、ちらほら藤の花を見かけるようになりました。
ただ、見頃になるには、もう少し時間がかかりそうですね。
状況を確認しに行った、養老町大巻の大巻薩摩工事役館跡の藤も、まだこれからという感じでした。
ところで、この薩摩工事役館跡の藤には、一つ気になる話が残っています。
それは、根古地湊で貨物取扱いなどをしていた若松屋の大藤が、昭和52年の牧田川堤防増築工事で移転か伐採かの運命に立ち至り、養老町薩摩義士顕彰会の申出により、役館跡への移転が実現したというものです。
若松屋の当主は、長く大事にしてきた藤が、薩摩義士の役館跡で受け入れてもらえるならと、寄附を快諾されたそうです。
この経緯についての詳細は、養老町文化財保護協会が刊行した「養老町の文化財」第41号(昭和56年10月)に記述されているのですが・・
実は、現在の藤が、この若松屋の藤であるのかどうかの確認が、まだとれていません。
昭和52年当時、すでに老木だったようなので、ひょっとしたら違うかもしれません・・
当時の移転に関わった方々についての情報も残っているので、近いうちにお話を伺いにいこうと思っています。
できれば、そうであってほしいです。
烏江八幡神社の八重桜。
2012.04.26
先週の日曜日、養老町烏江の八幡神社境内で、満開の八重桜を見つけました。
わたしは、これまで八重桜の実物をみたことがなかったので、花ひとつひとつのボリュームに驚きました!
花びらの枚数が多くて、小学校の時に紙で作った花飾りみたいですね。
ちなみに、養老町烏江の八幡神社は、鎌倉時代の創建と伝えられている神社で、平成9年に現在地へ遷座されました。
元は、牧田川堤防の脇にあり、二度の遷座を経て、今の位置に落ち着いたそうです。
この八重桜、昨日確認したときはまだ散っていなかったのですが、今日の雨で散ってしまわないかが心配です。
ぜひ散ってしまう前に、一度ご覧になってみてください。
ところで、八重桜の花はどうやって散るんですかね・・・
関戸五作碑。
2012.04.24
養老町大巻の神明神社の境内に、関戸五作(せきどごさく)の碑があります。
この関戸五作は、郡会議員を2期務め、養老町大巻の治水に尽力した人物なのですが、碑の前の御酒器に、薩摩藩島津氏の家紋である丸に十の字が刻まれているのが気になります。
関戸五作は、大垣浅草村の庄屋の子孫で、この土地の庄屋に婿入りした人なので、直接鹿児島との関わりはなかったと思うのですが・・
ちょっとよくわかりません。
ただ、なんとなく宝暦治水をはじめとした、当地域と鹿児島との関係の深さが背景にあるような気がします。
この関戸五作碑の情報は、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあります。
気になった方は、ぜひ一度現地を訪れてみてください。
「養老白石」の刊行予定。
2012.04.24
今日、養老町白石に、資料借用のお願いに伺った際、養老町白石の歴史についてまとめた冊子を刊行する予定があることを教えていただきました。
冊子の名前は、「養老白石」です。
現在、校正中とのことだったので、今年の夏までには、頒布が期待できそうですね。
私も少し見せていただいたのですが、地域と深く関わってきた方にしか、まとめられないような充実した内容でした。
今から完成が楽しみです。
そして、できればこの機会にデジタルデータも作成して、このホームページの電子書庫のコーナーでも公開させていただけると、ありがたいです・・
なんとか、よろしくお願いします。
学校教育現場へのお願い。
2012.04.23
先週の金曜日、養老郡教科研究会の社会科部会で、5月公開予定の「タギゾウくんの自由研究」を、ご説明する機会を頂きました。
まずは、その存在を知ってもらうことが大事ですよね。
さらに今後は、学校で子ども達と直接関わっている先生達の意見をお聞きして、より具体的な活用方法を考えていきたいと思っています。
ぜひ、ご協力をお願いいたします。
この「タギゾウくんの自由研究」、コンテンツの公開はまだですが、チラシは電子書庫のパンフレット類のコーナーで公開しています。
こちらも、ぜひご覧ください。
人とともに暮らすヘビ。
2012.04.20
昨日、養老町高田の路地で、アオダイショウに出会いました。
ネズミなんかをエサにしているので、やっぱり、人家に近い場所に棲んでいるんですね。
養老山地のほうでは全く出会えず、あちらで見かけるヘビはマムシばかりでした。
ただ、この近くは、けっこうカラスが多く、タヌキなんかの目撃例も・・
アオダイショウは、これまで当ホームページでは紹介できていなかったヘビなので、なんとか天敵達の目を逃れて、またシャッターチャンスの提供をお願いしたいところです。
金草川のハナニラ。
2012.04.19
先週の日曜日、金草川(かなくさがわ)の堤防で、ハナニラという白い花をみつけました。
ハナニラは3~4月に開花する植物で、星のような形をした6枚の花びらが特徴的です。
花の色には数種類あり、ポピュラーなのは、白色と青色みたいですね。
そして、このハナニラのもう一つの特徴が、茎や葉からするニラの香り!
花の甘い香りとは対照的で、日頃、私たちが食べているニラに近い香りがしました。
茎や葉をちぎった断面から染み出す液体が原因なんでしょうか。
役場周辺でもよく見かけるので、皆さんも、ぜひ一度、香りを楽しんでみてください。
ただ、口にはしないでくださいね。
タギゾウくん紙芝居6の貸し出し。
2012.04.18
養老町教育委員会では、今日から、タギゾウくん絵本「タギゾウくんと、トサの国の人形劇団」の紙芝居の貸し出しを始めました。
窓口は、養老町図書館です。
養老町図書館には、これまで作成したタギゾウくん絵本の全ての紙芝居があります。
ぜひ、ご活用ください。
養老町橋爪の弁天様祭り。
2012.04.17
先週の日曜日、象鼻山山頂で弁天様祭りが開催されたので、お邪魔してきました。
これまでは、4月15日に行われていましたが、去年あたりから4月15日に近い日曜日に変更になっていたみたいです。
私は今回、子ども連れで象鼻山に登ったので、神事の後にお参りさせて頂き、その後、満開の桜の下でおやつを食べたのですが・・
5歳の子が興味を示したのは、満開の桜ではなく、象鼻山1号墳からの眺望でした。
子どもにとって、高い場所から、自分たちが住んでいる場所をみることは、新鮮な驚きがあるみたいですね。
象鼻山は標高140mの山で、子どもでも十分に登れます。
皆さんも、ぜひ一度子ども達に、象鼻山からの眺望を見せてあげてください。
養老町直江の元八幡神社碑。
2012.04.16
牧田川の南岸を通行していると、草むらの中に、「元八幡神社跡」と刻まれた石碑が建っています。
これが、昭和26年(1951)に、直江の春日神社境内に合祀された直江八幡神社の元位置になります。
牧田川の水害により、本村が牧田川北岸に移ったことが、遷座の契機でした。
この石碑の位置に立つと、牧田川の改修が、養老町直江にいかに大きな変化をもたらしたかを、感じることができますね。
何も知らなければ、ここに神社があったなんて、思わないようなところになっています。
この情報は、タギゾウくんの養老ナビに登録してあります。
興味のある方は、ぜひ一度、この場所を訪れてみてください。
上方古墳(うわがたこふん)。
2012.04.13
養老町上方には、上方古墳と呼ばれる、いまだに位置が特定できていない古墳があります。
唯一の手掛かりは、昭和35年(1960)に刊行された「白鳥神社史」にある、ぬくとばの畑の中から3点の須恵器を掘り出したという記述。
出版に携わった方に、お話しを聞いたりもしたのですが、結局ぬくとばが何なのかさえ、よく分かりませんでした。
ちなみに、上の写真が、出土した3点の須恵器になります。
粗い画像ですが、6世紀後半から7世紀前半くらいに属する資料ですよね。
白鳥神社史には、採集地点周辺において今後も破片が見つかるだろうと書かれているので、この言葉を信じて、引き続き発見に努めていきたいと思います。
桜井古墳(坂尻古墳)の石室石材。
2012.04.12
養老町桜井には、大正10年2月に、破壊されてしまった古墳があります。
その古墳の名前は、坂尻(さかじり)古墳。
破壊された当時は、桜井(さくらい)古墳と呼ばれていました。
横穴式石室をもつ古墳で、石室からは普通の人より長大な5体の人骨のほか、5本の剣と、多数の須恵器(すえき)と呼ばれる器が出土したのですが・・
現在、出土品の多くは、その所在がはっきりしていません。
ただ、養老町に残った2点の須恵器や、東京国立博物館に所蔵されている関係資料から、おおよそ6世紀後半を中心とした遺跡と考えられています。
また、平成22年度に行った聞き取り調査では、この坂尻古墳の石室石材が、桜井白鳥神社の石垣に使用されているというお話を聞くこともできました。
ちなみに、お話では、10数個の石材を、石垣に使用したとのことだったのですが・・
現地確認では、どの石がそうなのか、いまいちよく分かりませんでした。
唯一、参道階段の左手の石は、可能性が高いですかね。
いずれにせよ、もう少し、いろいろと調べておく必要がありそうな古墳です。
妙見堂の花祭り。
2012.04.11
4月8日(日)に、養老公園の妙見堂で、お釈迦様の生誕を祝う花祭りが行われました。
私が妙見堂にお邪魔するのは、これで4回目ですが、これまでで一番多くの方が、お参りされていました。
また、7名の僧侶による読経でも、東日本大震災の被災者への哀悼が込められていて、毎月8日の例祭とは、少し雰囲気が違っていました。
そして、この花祭りの最後には、参拝者が、御堂の中のお釈迦様に、甘茶をかけて、手を合わせるのですが・・
たくさんの参拝者に気後れして、私は遠くから手を合わせるだけで帰ってきてしまいました。
帰り道は、桜を楽しみながら、養老公園内を養老駅まで歩きました。
この時期の養老公園は、桜だけでなく雪柳も見頃になるので、ぜひお出かけください。
H24養老町薩摩義士顕彰会春季慰霊祭。
2012.04.10
今日は、午前10時から、大巻薩摩工事役館跡で、養老町薩摩義士春季慰霊祭が行われました。
思ったよりもあたたかく、児童の中には、ちょっと気分が悪くなる子もいましたが・・
約300名の方々にご参列頂き、なんとか無事に終了することができました。
ありがとうございます。
例年ですと、この時期すでに散り始める桜も、今年は満開でしたね。
そのため、準備の合間には、桜を楽しむこともできました。
春季慰霊祭では、改めて薩摩義士の業績を確認することもでき、とても有意義な1日になりました。
大巻薩摩工事役館跡のライトアップ。
2012.04.09
養老町大巻にある大巻薩摩工事役館跡では、桜が見頃になるこの時期だけ、夜間のライトアップを行っています。
ライトアップの時間は、午後6時から午後9時まで。
とても幻想的な雰囲気ですので、お時間があえば、ぜひお立ち寄りください。
また、明日は、この大巻薩摩工事役館跡で、養老町薩摩義士春季慰霊祭が執行されます。
参加自由となっていますので、こちらもぜひお出かけください。
開始時間は、午前10時です。
明日は、天気も良さそうですし、桜もちょうど満開。
義士の霊を慰めるには、うってつけの日和になりそうです。
絵本6の公開。
2012.04.06
今日から、タギゾウくんの絵本シリーズ第6弾「タギゾウくんと、トサの国の人形劇団」を公開しています。
PDFとEPUBの2種類のデータ形式を用意してありますので、お好きな方を選択してください。
ちなみに、絵本に出てくるトサの国の犬のモデルは、四国犬になります。
四国犬は、古くは土佐犬と呼ばれていましたが、土佐闘犬との混同を避けるために改称された日本犬の一種です。
こちらのほうが、絵本のイメージにあうと判断しました。
ぜひ、タギの国とトサの国の、人形浄瑠璃を通した交流に触れてみてください。
養老町竜泉寺の六社神社の元宮跡。
2012.04.05
岐阜県指定天然記念物のムクノキなどで知られる、養老町竜泉寺の六社神社ですが、以前は、養老山中に鎮座していました。
ちょうど、東海自然歩道が一番高くなるあたりです。
実は、そのあたりは、中世山岳寺院跡である竜泉寺廃寺跡の中心的役割を果たした施設があったと考えている場所とほぼ重なっており、付近には礎石群や、堂ノ庭とよばれる平坦面などが広がっています。
六社神社についてあまり詳しいとことが分かっていませんが、何か関係があるのかもしれませんね。
ちなみに、六社神社が現在の位置に遷座され、神明神社と合祀されたのは、明治41年(1908)のことになります。
この情報は、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してありますが、ルート案内は麓で止まってしまいます。
もし、興味がある方は、東海自然歩道で竜泉寺廃寺跡の礎石群まで登り、その南20mくらいのところを探してみてください。
川ざらえ
2012.04.04
養老町西岩道では、毎年4月の初めと7月の末頃に、田んぼの排水路の掃除を行っていて、これを川ざらえと呼んでいます。
こうした風景は、どこでも春になると、よく見かけるようになるものですが・・
養老町のような輪中地帯の、低地にある水田では、排水路の泥が30~40cmほど溜まると、排水に支障をきたし、このことが収穫量に直結するので、皆、真剣です。
聞くところによると、同じ広幡地区でも、養老町大跡では、年に4回も、川ざらえを行っているそうです。
冬場は、きっと寒くて大変でしょうね。
ちなみに、いつも我が家の川ざらえの当番は、男手。
秋の収穫のために、しっかり頑張ってきてもらっています。
西光寺跡碑。
2012.04.03
養老町の南直江には、養老町唯一の時宗のお寺がありました。
お寺の名前は西光寺(さいこうじ)で、その跡地には石碑が建てられています。
ちなみに、廃寺になったのは、まだ最近で、平成20年2月のことでした。
この石碑の情報は、先月から「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してあるのですが・・
実のところ、あまり詳しいことが分かっていません。
お聞きすることができている情報は、時宗に改宗した年が応永17年(1410)であるということと、この西光寺の祠が、谷汲山華厳寺(揖斐川町)の境内のどこかにあるらしいということだけ。
とりあえず、季節も良くなってきたので、華厳寺の境内の探索から始めてみようかと思っています。
養老ナビ情報の追加15。
2012.04.02
象鼻山の麓には、幕末から明治にかけて、養老町橋爪で学問を教えた二人の先生の顕彰碑が建てられています。
一人は村上杏園先生(1806~1872)で、もう一人は久保田象外先生(1844~1903)です。
ちなみに、久保田象外先生は9歳のときに、村上杏園先生に漢学を学んだことをきっかけに、学問を志すようになりました。
お二人は、学問だけでなく、謡曲なども教えていたそうです。
これらの情報は、「タギゾウくんの養老ナビ」に登録してありますので、ぜひ一度現地を訪ねてみてください。
ただ、久保田象外先生の碑は、山麓の茂みに隠れて、ちょっと分かりにくいところにあるので、探すのが難しいかもしれないです・・
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