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梅干し
2011.07.29
土用に入り、天日干しされる梅干しをよく見かけるようになりました。
写真は、養老町押越で見かけたもので、お話を伺うと明治からの古木3本から20kgほど収穫できたそうです。去年の収穫が少なかったことで、今年はすべて梅干しにされました。
うちの母親もよく、土用に梅を干すと色つきが良くなると言っていました。
きっと、美味しい梅干しになりますね。
養老町文化財保護協会設立総会。
2011.07.28
上の写真は、養老町文化財保護協会設立総会の様子を撮影したものです。
撮影されたのは、昭和46年5月22日。
さらに時計が写っているので、10時半過ぎであることも分かります。
ということは・・
今年は、養老町文化財保護協会設立40周年にあたるんですね。
先週取り上げた根古地薩摩工事義歿者墓の慰霊堂の建立も昭和46年でした。
どうやら昭和40年代の中頃は、養老町の文化財保護に大きな変化が訪れた時期であるようです。
そして、この養老町文化財保護協会は、設立当初からずっと「養老町の文化財」という機関誌を発行していて、その記念すべき第1号には、初代会長である村上弁二氏が、設立の意義と、会長を務める覚悟を綴っているのですが・・
この一文が、40年経った現在においても、まったく色褪せておらず、今後も指針とすべき内容をもっていることに改めて頭が下がります。
なんだか、目の前に座らされて、叱られているような気分になりました・・
柏尾廃寺跡の古写真。
2011.07.27
先日見つけた古写真の中に、柏尾廃寺跡を撮影したものが2枚含まれていました。
上の写真はそのうちの1枚で、塔跡から千体仏へ向かう道を撮影したものです。
よく見ると道の向こうに小さく千体仏が写っています。
撮影した時期は不明ですが、おそらく昭和40年代のものでしょうね。
もう1枚は、上の写真とは逆方向から撮影されていました。
この2枚を見ていて気になるのは、
千体仏ではなく道にピントがあっていることと、道がきれいなこと。
柏尾廃寺跡を撮影しようという意図は見当たりません。
たぶん、千体仏に続く道の工事完成写真として撮影されたんだと思います。
そのため、柏尾廃寺跡について新たな情報は得られそうにありませんが・・
今と比べると、少し高木が少ないですかね。
室原文楽の写真撮影。
2011.07.26
今日、室原自治会館で室原文楽の写真撮影を行いました。
11月3日(木・祝)に養老町で岐阜県文楽・能大会を開催するのに伴い、大会のポスターやチラシ、パンフレットなどを作成するためです。
人形だけでなく、太夫や三味線の撮影も行ったので、保存会のみなさんは少し緊張気味でしたが、お昼には無事終了しました。
できあがったポスターやチラシは、このホームページでも公開する予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちください。
象鼻山現地学習。
2011.07.25
昨日の朝、ソフトテニスをしている小学生が、象鼻山古墳群の現地学習にきてくれました。
ちょうど、先週の日曜日に象鼻山整備促進協議会の方々が草刈りをしてくれていたので、現地学習には良いタイミングでしたね。
山頂部の平らな地形や、断層活動によって形成された階段状の地形も観察しやすかったのではないかと思います。
ぼくは、小学生が来るより15分ほど早く山頂へ着いたので、弁天様にごあいさつに行ったのですが・・
そこには、ファミリーで食事中の鹿がいて、お互いびっくりしました。
先に上がらず、子供たちと登れば、見せてあげられましたね・・
後悔しています。
養老町勢至の鉄くず。
2011.07.22
養老町勢至(せいし)には、鍛治屋町という小字があり、その周辺では製鉄時にでる鉄くずを採集することができます。
中世の勢至には鉄座があったので、中世の遺物でまず間違いないのですが、その採集地点が中世山岳寺院である勢至寺の寺域内であることが気になっています。
勢至寺が足利義満の知行状を紛失し、領地証明の再発行を受けたのが応永27年(1420)。
勢至の鉄座の文字資料は16世紀が中心なので、時期の問題もあるのですが・・
過去に行った柏尾廃寺跡や、現在進めている竜泉寺廃寺跡の測量・分布調査でも、中心部からやや離れた位置に鉄くずを採集できる地点を確認できています。
当時はゴミとして処分された鉄くずですが、これが養老町の中世を探る重要な手掛かりになりそうな気がします。
多岐神社の伝説。
2011.07.21
養老町三神町にある多岐神社(たぎじんじゃ)は、養老町に3つある延喜式神名帳に記載された式内社の1つです。
この神社には次のような伝説が残っています。
大正2年(1913)、1ヶ月以上も雨が降らない日照りが続きました。井戸水は干上がり、田んぼや畑の作物は枯れてしまい、このままでは食べるものが無くなってしまう、と村人は困っていました。
そんなある日、1人の村人が「牧田川の砂を持ってきて、それに種籾を撒いてはどうだろう」と提案しました。
村人達が藁をもつかむ思いで、この案を実行すると…
多岐神社の境内に撒いた牧田川の砂から、早稲・中稲・晩稲すべての芽が出ました。
村人達は、これを多岐神社の倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の御利益であると感謝し、多くの参拝者が神社を訪れました。
現在、その場所には記念碑が建てられ、この奇跡を語り伝えています。
養老町薩摩義士顕彰会夏季慰霊法要。
2011.07.20
8月13日(土)の午前9時から、養老町根古地(ねこじ)の根古地薩摩工事義歿者墓において、養老町薩摩義士顕彰会主催による夏季慰霊法要が執行されます。
上の写真は、この夏季慰霊法要の昔の様子を撮影したもの。
いつの写真かは分からないのですが、写真左の慰霊堂の建立が昭和46年(1971)なので、それに近い時期のような気がします。
そして、今年は慰霊堂が建立されてから、40周年になります。
確かなことは分からないのですが・・
養老町薩摩義士顕彰会の規約が施行されたのが昭和45年11月27日なので、ひょっとしたら慰霊法要そのものも40回目を迎えるのかもしれません。
岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約が40周年を迎えるのも今年。
詳しい経緯を知りませんが、偶然じゃないのかもしれませんね。
ツマグロヒョウモンの幼虫
2011.07.19
昨日、わが家の庭で草取りをしていたら、毛虫を捕食したカマキリを見つけました。
捕食された毛虫は、わが家ではお馴染みの毛虫。
よくパンジーやビオラの葉にくっついているのを見かけるのですが・・
これまで何の幼虫かは知りませんでした。
毛虫の特徴は、黒い体に一本の赤い線。
インターネットで調べてみると・・
これまた、わが家ではお馴染みのチョウチョでした。
名前はツマグロヒョウモン。
納得の結果でした。
日比野鶴翁(ひびのかくおう)の襖絵。
2011.07.15
江戸時代、養老町高田には日比野鶴翁という画家が住んでいました。
鶴翁は写実的な作風が特徴である南蘋派(なんびんは)の画家としても活躍していたのですが、その一方で豪快で華やかな作品を遺しています。
その1つが高田の景陽寺にある襖絵です。
庫裏に保管されているので、普段は見ることはできませんが、ホームページの作成時に特別に見せて頂きました。
とても華やかな作品で、初めて見たときの感動は忘れられません。また、松や花などの植物の中に鳥が隠れるようにして描かれていて、鶴翁の遊び心も感じることができました。
僕がこの絵を見たのは約2年前。それ以来いろいろな文化財に触れる機会に恵まれましたが、この作品は特に素晴らしかったです。
養老ナビ情報の追加8。
2011.07.14
平成23年8月16日(火)午前10時より、養老鉄道の創設者である立川勇次郎氏の顕彰祭が行われます。
場所は、養老鉄道養老駅前にある立川勇次郎顕彰碑の前。
養老駅を出ると、すぐ右側に見える大きな石碑です。
養老町教育委員会でも、これに伴い「立川勇次郎顕彰碑」をタギゾウくんの養老ナビに登録しました。分類は文化遺産です。
顕彰祭は、どなたでも参列していただけますので、ぜひこの機会に養老鉄道を利用してみてください。
立川勇次郎氏の詳細についてはこちらをどうぞ。
養老町のタンポポ(外来種)
2011.07.13
おととい、養老町大跡でタンポポの花を見つけました。
この時期に咲いているタンポポは、外来種の可能性が高いということなので確認してみると、やはり花の付け根の総包片が反り返っていました。
あと、ちょっと気になったのが、このタンポポが一輪だけで咲いていたこと。
周囲には見当たりませんでした。
実は、この春に当ホームページで在来種のタンポポを紹介してから、ずっと気に止めて探していたのですが・・
養老町では、あまり外来種のタンポポを見かけないように感じます。
養老町史完成式。
2011.07.12
上の写真は、先日見つけた写真の中の1枚で、「養老町史完成式」の様子を撮影したものです。
詳しい撮影日時や場所は分かりませんが、養老町史の通史編が完成したのが、昭和53年(1978)なので、だいたいその頃のものでしょうね・・
あいさつしているのが、当時の養老町長です。
この養老町史や、大正14年(1925)に完成した養老郡史には、養老町に関係する情報がたくさん収められていて、今でも養老町の歴史を考える上で欠くことのできない資料なんですが・・
それでも、郡史や町史の編纂に伴い収集された資料をみると、所収された情報は全体の一部にすぎないことに気づきます。
頭が下がりますね。
そして、次の世代に恥ずかしくない仕事をすることの大切さを実感します・・
象鼻山山頂緑化植樹。
2011.07.11
先日、書庫を片付けていたら、古い缶を見つけました。
中を開けてみると・・
そこには、養老町の昔の写真がたくさん入っていました。
ただ、整理されていないので、何の写真なのか分からないものばかり・・
一つずつ、地道に調べていくしかなさそうです。
上の写真は、その中の一枚で、おそらく昭和54年の象鼻山山頂緑化植樹の様子を撮影したものです。
植えたのは、サクラ200本・カエデ100本・モミジ50本。
これらは約30年経って、象鼻山の景観の一部にまでなりましたが・・
その多くは、象鼻山3号墳の方形壇の中に植樹されたため、毎年ちょっと複雑な気持ちで、満開のサクラや、真っ赤に色づいたカエデを見上げています。
「ぞうびさん」コンテンツの追加準備。
2011.07.08
養老町教育委員会では、「ぞうびさん-3Dアニメーション-」に新しいペーパービジョンを追加する準備を進めています。
追加するペーパービジョンは、
テントくん(象鼻山20号墳イメージキャラクター)
サブローくん(象鼻山36号墳イメージキャラクター)
こいちゃんと、いつみちゃん(象鼻山51・53号墳イメージキャラクター)
の3つ。
現在は、お話の内容にあわせて絵コンテをおこしているところで、上の画像は、こいちゃんといつみちゃん(象鼻山51・53号墳イメージキャラクター)の絵コンテ1枚目になります。
3Dなので、象鼻山の情報を含めることのほかに、いろいろな方向からみて、楽しい内容になることが大事だと思っています。
ちょっとしたことで難しい印象を与えてしまう歴史や文化財・・
当ホームページのタギの国のキャラクターは、これを和らげる重要な役割を果たしてくれています。
普段は通り過ぎてしまう方が、タギゾウくんたちをみて、ちょっと足を止めてもらえるようになるとうれしいです。
三世代でもの作り
2011.07.07
7月3日(日)、養老町子ども会育成協議会が主催する「親と子のふれあい広場」が開催され、約550名が参加しました。
参加者は、午前に老人クラブの指導者の手を借りてわら細工や竹細工、みこし作りに挑戦し、午後は独楽回しやおはじきなどの昔の遊びを親子で楽しみました。
この行事は今回で30回目を迎えました。僕も小学生の頃、母親とみこし作りや竹細工に参加し、とても楽しかったのを覚えています。
でも、その頃は主催者側で参加するとは思っていませんでした…。
養老ナビシール。
2011.07.06
養老町教育委員会では、チラシに引き続き、「タギゾウくんの養老ナビ」のシールを作成しました。
上の写真は、このシールを養老町国際学習会館に掲示した様子です。
シールは、まだたくさんありますので、ぜひ掲示にご協力をお願いします。
半夏生(はんげしょう)
2011.07.05
先週、養老町宇田で、半夏生を見つけました。
半夏生はドクダミの仲間で、旧暦の夏至から11日目にあたる「半夏生」のころに葉が緑色から白色に変わり、またしばらくすると緑色に戻る不思議な植物です。
お化粧をしたように見えることから「半化粧」という字を充てることもあるみたいですね。
この白い葉を見ると、蒸し暑い日も、少し涼しく感じます。
まだ、しばらくは楽しめると思います。
ニワ里ねっと(NPO法人)さんとの企画。
2011.07.04
養老町教育委員会では、今年度、養老町の歴史文化資源の普及を図るための活動を
特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク(NPO法人ニワ里ねっと)
にお願いしました。
ニワ里ねっとさんは、歴史教育や文化財等の啓発活動支援をはじめ、地域の文化遺産に関係する様々な事業を実施している団体で、理事長を務めるのは、2月に象鼻山シンポジウムでお世話になった赤塚次郎さんです。
具体的な内容については現在打ち合わせ中ですが、
・象鼻山古墳群をはじめ、町内の様々な文化遺産を散策して、その歴史的価値を知ってもらう案内会
・象鼻山の考古学講座
・養老山地の火打石を使った歴史ワークショップ
・タギゾウくん絵本の読み聞かせ
などが計画されています。
詳細が決まりましたら、お知らせいたしますので、ぜひご参加ください。
個人的には、火打石を使って火をおこした経験がないので、火打石ワークショップが気になっています。
養老公園の安全祈願。
2011.07.01
今年も7月1日(金)に、恒例の「滝開き式」が行われました。
滝開き式は今回で85回目になります。
僕が滝開き式を見るのは、去年に続いて2回目。今年もたくさんの観光客や報道陣で滝前広場はいっぱいになりました。
300人程の方が、来られたそうです。
毎年同じようにスケジュールが進むので、2回目の経験を活かし、御利益のある破魔矢を狙ったのですが、取り損ねてしまいました。
ただ、去年と違って今年は象鼻山太鼓の演奏があり、訪れた人たちを楽しませていました。
来年こそは、破魔矢を手に入れて御利益を期待したいですね。
去年の滝開きの様子はこちらをご覧ください。
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