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第11回「家族の絆 愛の詩」発表会が終わりました。
2011.01.31
1月30日(日)、第11回「家族の絆 愛の詩」発表会を開催し、1,931篇の中から入賞された12名の表彰を行いました。
表彰後は、詩の朗読も行われ、入賞者の家族への思いが来場者の方々に伝えられました。
雪が降るあいにくの天気でしたが、帰路についた人の心はきっと温まったと思います。言葉のもつ力や、その素晴らしさを改めて認識できた一日でした。
第11回「家族の絆 愛の詩」発表会
2011.01.28
シリーズ「愛の詩」の11作目となる、「家族の絆 愛の詩2」を発行することができました。全国から応募を頂いた1,931篇のうち、優秀作品41篇がおさめられています。
それに伴い1月30日(日)に、「親孝行と生涯学習を進めるまち養老」町民会議推進大会及び、第11回「家族の絆 愛の詩」発表会を養老町民会館で開催します。
町民会議推進大会では、生涯学習の推進や青少年の健全育成などに貢献をした、町民の方々の表彰式が行われます。
続いての発表会では、優秀作品の作者を招き、詩の朗読を行います。家族への思いが詰まった詩には、毎年、感動させられます。
どなたでも参加できますので、ぜひお越しください。
象鼻山発掘状況27。
2011.01.27
象鼻山では、引き続き51・53号墳の掘り下げを進めています。
53号墳は、まだ不明な部分が多いですが、51号墳については周溝をもつことが明らかになってきました。ただ、全周はしないかもしれません・・
写真は、この51号墳周溝の遺物出土状況です。
須恵器と呼ばれる種類で、器種は高杯や蓋が中心のようです。
51号墳のお葬式に使用されたもので間違いないでしょうが、どんな使われ方をしたかがよくわかりません。
参列者が飲食したのでしょうか。
それとも・・
文化財防火デー
2011.01.26
今日は、「第57回文化財防火デー」です。
「文化財防火デー」は昭和24年(1949)1月26日早朝、法隆寺の金堂で火災が発生し、堂内の壁画の大半が焼失したことがきっかけとなり、昭和30年(1955)に制定されました。
以来、毎年この日を中心として、全国各地で防火訓練など文化財防火運動が行われています。
養老町では、養老町消防本部が主催で防火訓練が行われました。場所は養老公園の養老寺です。
訓練は「養老寺庫裏より出火。隣接の養老保育園園舎に延焼し炎上、避難の際、園児及び保育士が負傷。」という想定のもと行われ、園児を含め約80名が参加しました。
訓練終了後、付近住民には初期消火の指導が行われました。また、消防車の見学もあり、間近でみる消防車に興奮気味の園児もいました。
文化財は長い間、大切に保管されてきた貴重な財産です。次世代に受け継いでいくため、日頃から保護と防火に務めたいですね。
象鼻山発掘状況26。
2011.01.25
この2日間、51号墳を中心に須恵器片がたくさん出土しました。
その出土状況から、51・53号墳の築造時期が、1号墳より新しいことはほぼ確実な状況になってきています。
また、須恵器片の中には、全体が分かる資料もありました。
そのため、象鼻山51号墳の築造時期については、かなり細かなところまで絞り込めそうです。
そして、そんな須恵器片の中で、今回特に目につくのが、写真の破片です。
けっこうたくさん出土していて、どれも分厚く、重たいです。
たぶん筒形器台とよばれる大きな須恵器の一部ですよね・・
調査はまだこれからですが、51・53号墳の調査成果も東海地方の古墳時代を考える上で重要なものになりそうです。
それにしても、象鼻山の雪はいっこうに溶けてくれませんね。
新春お茶会
2011.01.24
1月23日(日)に養老町中央公民館で、養老町茶華道協会のお茶会が開催されました。27回目を迎え、表千家の立礼(りゅうれい)式の席と裏千家の炉が切った席の二席が設けられました。
どちらのお茶席も、亭主の方がお客さんをもてなすために書や花が用意されていて、初春にふさわしい華やかな雰囲気が漂っていました。中でも、表千家家元13代即中斎(そくちゅうさい)宗匠が、養老の滝の水を使って書いた色紙は、このお茶会にピッタリでした。
不作法な私も美味しく薄茶をいただき、少しですが、わび・さびの世界に浸りました。
美波の地蔵さま
2011.01.21
養老町大巻には美波(みなみ)と呼ばれる地域があります。ここに立っているお地蔵さまには、次のようなお話が伝えられています。
むかしむかし、美波の村は、毎年のように日照りや洪水に見舞われ、不作が続いていました。さらに、多くの人が疫病にかかってしまい、村人たちは苦しんでいました。
そこで、お地蔵さまをまつって村を救ってもらうよう、たくさんのお供えを用意し、提灯を飾って祈りました。特に8月24日の夜には村中総出で必死にお祈りを続けました。
すると願いが通じ、その年は豊作になりました。
お地蔵様のおかげだと喜んだ村人たちは、それからというもの「じぞう様、じぞう様」と親しみを込めて敬いました。
今でも、毎年8月に「地蔵まつり」を行い、感謝を続けています。
象鼻山発掘状況25。
2011.01.20
先週末の寒波の影響で順調とはいえませんが、それでも象鼻山の発掘調査は進んでいます。
今週の作業の多くは雪かきでしたが、51・53号墳の掘り下げも併行して進めたところ、須恵器片が出土しました。
これが51・53号墳の築造時期を示すかどうかについては、まだ検討が必要ですが・・
可能性は高いような気がしています。
1号墳築造の後にも、象鼻山での造墓は続いていたということでしょうか・・
さらに調査を進めて、もう少し情報がほしいところですね。
ただ、雪の影響で、シンポジウム前に3回目の現地説明会を開催するのは難しい状況になってきました。
早めに調査の工程を練り直し、変更後の日程をお知らせしたいと思っています。
申し訳ありませんが、もうしばらく時間をください。
象鼻山古墳群シンポジウムの開催について。
2011.01.19
平成23年2月11日(金・祝)に養老町民会館で、象鼻山古墳群シンポジウムを開催いたします。
テーマは、「邪馬台国時代の象鼻山―古墳出現の背景を探る―」です。
最近の養老町では、邪馬台国時代といわれる3世紀を中心とした時代について、象鼻山古墳群をはじめ、新たな知見が多く得られました。
ここでは、こうした新たな発見をふまえ、考古学界を代表する先生方に邪馬台国時代の象鼻山について討論して頂きます。
また、象鼻山古墳群や、同時期の集落遺跡である日吉遺跡の出土品も、当日限定で展示いたします。
多くのご参加をお待ちしています。
詳細については下記のように予定しています。
象鼻山古墳群シンポジウム
邪馬台国時代の象鼻山―古墳出現の背景を探る―
期 日:2011年2月11日(金・祝)
時 間:13:00~16:45(開場12:30)
会 場:養老町民会館、岐阜県養老郡養老町石畑(駐車場有り)
※ 参加無料・予約不要
○趣旨
平成16年度から平成19年度にかけて実施した発掘調査の結果、象鼻山古墳群を弥生時代から古墳時代への社会変化を造墓から考えることができる重要な遺跡として再評価し、その上で保護と活用を図ることが求められています。
また、養老町教育委員会では、象鼻山古墳群全体の性格を明らかにするため、平成22年度7月から平成23年1月にかけて発掘調査を進めており、この遺跡が1号墳を例外として、西暦2世紀後半頃に一斉に計画的な造墓を進めたものであることを明らかにしてきました。
本シンポジウムでは、倭国大乱と呼ばれる時期を経た日本が、邪馬台国や狗奴国などさらなる大国を生み出そうとしている時代の中で、象鼻山古墳群がどのような役割を果たしたかを議論します。そして、象鼻山古墳群のもつ意義を共有し、その保存や活用の実現に向けての課題を整理します。
○プログラム
13:00~13:15 【開会挨拶】
13:15~13:45 【基調報告】
中島和哉(養老町教育委員会学芸員)
「邪馬台国時代の養老町-象鼻山古墳群と日吉遺跡の調査成果を中心に」
13:45~15:15 【討論前半・冒頭発言】
石野博信(香芝市二上山博物館館長、兵庫県立考古博物館館長)
「邪馬台国と象鼻山」
赤塚次郎(NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長、愛知県埋蔵文化財センター副センター長)
「象鼻山が語る狗奴国の風景」
宇野隆夫(国際日本文化研究センター教授)
「天地思想と象鼻山」
15:15~15:30 休憩(象鼻山太鼓演奏)
15:30~16:30 【討論後半】
・象鼻山古墳群はなぜ造られたのか ・象鼻山古墳群を造った人々は誰なのか ・象鼻山古墳群はいつ役割を終えたか ・邪馬台国時代とは ・象鼻山は今後どうあるべきか
石野博信・宇野隆夫・赤塚次郎・中島和哉
16:30~16:40 【質疑応答】
16:40~16:45 【閉会挨拶】
会場の養老町民会館は、公共交通機関が不便ですので、自家用車での来場をおすすめいたします。
また、当シンポジウムのチラシを電子書庫に掲載いたしましたので、地図をご覧になりたい方はこちらから閲覧ください。
異文化交流
2011.01.18
養老国際交流協会では、在住外国人との共生を目的に異文化交流を行っています。
その活動の一環として1月16日(日)に、お正月をテーマにした異文化紹介を行い、中国・日本・ベトナムの3ヶ国の参加がありました。
中国の方は、旧暦のお正月を祝う「春節」と、「湯圓(タンエン)」という団子の紹介をしてくれました。湯圓を試食しましたが、黒ごま餡が入っていて、甘かったです。これには、一年が甘くなるようにとの願いが込められているそうです。
日本は、お雑煮でした。
養老町では澄まし汁に角餅を入れるのが一般的です。養老山地を境に、東側が角餅、西側が丸餅に分かれているのではないかという話も出ました。
最後は、独楽回しや福笑いをして交流を深めました。
雪遊び
2011.01.17
昨日から降り続いた雪のため、養老町役場前では30cm以上も積雪があり、除雪作業に追われています。
近年では、数年に一度となった今回のような大雪も、昔は毎年のように降っていました。その頃の子どもは、竹を曲げて作ったスキー板やダンボールをソリにして、堤防を滑り降りて遊んだそうです。
また、年配の職員の方は
「雪の中でサッカーをしたことや、山から下りてきた鹿を見つけて、追いかけたこともある。今では雪が降ると難儀に感じてしまうが、小さな頃は楽しかった。」と、仰っていました。
今朝、通学途中の児童とすれ違いましたが、みんな嬉しそうで、心配そうな保護者とは対照的でした。今日は雪遊びがたくさんできそうですね。
放課後の雪合戦、僕も仲間にいれてほしいなぁ…。
久々美雄彦神社(くくみおひこじんじゃ)の伝説
2011.01.14
養老町沢田の郷社である久々美雄彦神社は、延喜式神名帳に記載されている格式の高い神社です。
沢田の宮谷上流に鎮座しているため、参拝をするには山道を登らなくてはなりません。この神社には次のような伝説が残っています。
むかし、乗馬が得意なお殿様がいました。ところが、沢田村に入るとなぜか、落馬することが度々あり、困っていました。
ある晩、久々美雄彦の神様が夢枕に立ち、
「私を高いところに祀りなさい。そうすれば、もう落馬することはありません。」
と、仰いました。
お殿様はさっそく、高い位置に社を造り、久々美雄彦の神様をお祀りしました。
それ以来、落馬することはなくなったそうです。
福地神社御旧址。
2011.01.13
養老町栗笠にある福地(ふくち)神社から南600mの位置に、写真の福地神社御旧址と刻まれた石碑があります。
これにより、現在の養老町栗笠は、元はこの石碑の位置にあり、後に北へ移動したと考えられています。
このことについては、考古学からの成果もあり、この石碑附近でたくさんの中世遺物が採集され、13世紀にはこの辺りに村があったことが確認できました。
ただ、この村の名が「くりがさ」であったかは明らかにできていません。
この他、栗笠には福地の遺命から、この一帯を倭名類聚抄に記載された「冨上郷」に比定する意見もありますが、この付近で古代に遡る遺物は確認されておらず、これは難しいかもしれませんね。
きょう象鼻山でキツネを見かけた人がいるそうです。見間違いでないなら、この幸運が次に訪れるのが、ぼくであることを願うばかりです。
カメラは手放せませんね。
左義長(さぎっちょ)
2011.01.12
1月9日(日)に、養老町西岩道の八幡神社で左義長が行われました。
左義長とは、「どんど」といわれ、小正月に正月飾りや書き初めを燃やす行事です。
西岩道の八幡神社では、青竹で高さが5mくらいの大きな束を作り、神社の古いお札や門松、しめ飾りを中に入れて焚きます。
点火するのは伊勢参りの代参と決まっていて、その前に伊勢迎えを行います。毎年くじ引きで選ばれた3人が伊勢神宮に参拝しお札をもらってくるので、社に奉納するときには、みんなでお迎えします。
お札を奉納した後には、代参者が用意した料理が振る舞われます。
また、左義長の終わりには、残り火でお餅を焼き、このお餅を食べると風邪をひかないといわれています。
私は、この左義長を「さっぎちょ」と呼んで、楽しみにしていました。
とくに、伊勢のお土産で、竹の笛をもらったのを今でも覚えています。御神酒や白いおこわが、美味しかったのも印象的でした。
成人式
2011.01.11
1月10日(月・祝)に養老町民会館で「平成23年成人式」を行いました。今年は平成2年4月2日から平成3年4月1日までに生まれた人が対象で、養老町では375名(男性195名、女性178名)が該当しています。
式典終了後は、中学校の恩師を囲んだ立食パーティーも開催され、思い出や近況報告などの話に花が咲いていました。
私の時は養老町民会館がまだなくて、高田中学校の体育館が会場でした。晴れ着姿を見ていると、二十歳の頃がとても懐かしく思い出されました。
疱瘡の神様
2011.01.07
医療が発達していなかった昔は、病気を疫病神の仕業であると考えました。そのため、親は子どもの無病息災を願うため、様々なおまじないをしていました。
養老町では天然痘除けのおまじないとして、「疱瘡送り(ほうそうおくり)」をしていました。「さんだわら」と呼ばれる藁で作ったお盆の上に赤飯のおにぎりと塩をのせ、村外れの道端にお供えをします。そうすることで、疱瘡の神様を送り出し、天然痘にかからないことを祈りました。
また、種痘をする時代になると、「接種がうまくいきますように…」という願いも込められるようになりました。
この他にも、流行病が蔓延することを防ぐため、家や村境にしめ縄を張ることもあったそうです。
健康を願う気持は今も昔も変わらないのですね。
象鼻山発掘状況24
2011.01.06
今日になって、ようやく象鼻山51・53号墳の掘り下げに着手しました。
まだ、始めたばかりですが、表土からは山茶碗(中世の陶器)が出土しています。
中世に山地が活発に利用されていたことを考えれば、それほど不思議なことではないですが、山頂部は瀬戸美濃ばかりだったので、少し気になります。
あと調査が予定よりやや遅れているので、2月11日の象鼻山シンポジウムに間に合うかが心配です。
はやく土器が出土しないかな・・
おかがみさん
2011.01.05
この冬、養老町では、毎週金曜日になると雪が降っています。
とくに大晦日から元日にかけては、たくさん降りました。
毎年、わが家ではお正月に向けて餅つきをして、鏡餅を作ります。おかがみさんと呼んでいて、神棚の他に、台所、お風呂、トイレにも飾ります。また、庭にも、お日様へのお供えとして、大きめのお餅を飾っています。氏神様にも持ってお参りにいきました。
一昔前は、もっとたくさん飾っていて、これが当たり前だと思っていましたが・・・
他では、どのようにしているのか気になるところです。
無言の行
2011.01.04
新年、あけましておめでとうございます。
今年も元日に、養老町上方の白鳥神社で、「無言の行」が行われました。
「無言の行」とは、宮当番である「神宿(かみやど)」が、大晦日の夜から元日にかけて一言も喋らず、座敷にこもり、神様に仕える儀式のことです。
神社へ朝昼晩のお供えに行く以外の外出は禁じられています。
実際にみるのは初めてでしたが、神宿が自宅から神社へ向かうときの周囲の空気はとても張りつめたものでした。また、神宿が神社へ到着すると、初詣に向かう人達は道を譲り、敬意を表していました。
新年早々、貴重な体験をすることができました。
神宿について詳しくはこちらを参照下さい。
宿直明けでしたが、さらに養老の滝まで足をのばしてきました。
雪化粧をした滝の写真を撮れて満足です。
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