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象鼻山古墳群の見学者。
2010.10.29
今日は、養老町文化財保護協会をはじめ、静岡や京都から象鼻山古墳群への見学者がありました。
今日の見学者には、象鼻山に登るのが初めての方もいらっしゃいましたが、楽しんでいただけたでしょうか。
私としては、室内で説明させていただくより、現地のほうがこの遺跡のよさが伝わるのではないかと思っています。
やりとりのなかでは、お墓の形の違いについて、多くの質問をいただきましたが・・
調査が進むにつれ、この問題は難しさを増していってる気がしています。
当初から取り組んできた課題ではあるのですが、
お葬式の方法や、お墓の作り方、お墓を作る場所などが、お墓の形とは関係ないことが明らかになっていっているような、そんな感じです・・
お墓の形には絶対意味があるはずなんですが・・ なかなか見えてきません。
鷲巣白山太鼓
2010.10.28
養老町鷲巣には白山神社があり、その由来はかなり古いといわれています。この白山神社の例祭は10月に行われ、古くから祭り太鼓が奉納されてきました。現在はこれを「鷲巣白山太鼓」として養老町の無形民俗文化財に指定しています。
鷲巣白山太鼓の曲目には、村中に神事の始まりを告げる「寄せ太鼓」、神様や代参を迎える「迎え太鼓」、祭りの終わりを告げる「絞め太鼓」など9種類があり、神事と併行して奉納されるのが特徴です。
また、バチ捌きにも工夫があり、長いバチで皮を叩き、短いバチで縁を叩くことで、曲の歯切れを良くしています。
今年は10月10日(日)がお祭りで、鷲巣白山太鼓が奉納されました。
僕は初めて見ましたが、これまでに見た太鼓とはすこし違った印象を受けました。
象鼻山発掘状況16
2010.10.27
11月も近くなり、象鼻山での調査も、そろそろ防寒対策が必要になってきました。
今週から調査がはじまった36号墳も、表土の掘削はほぼ終了し、現在は墳丘表面の検出を進めています。
ただ・・・ この36号墳の近くには大スズメバチの巣があるようで、調査区のそばのクリの木にいつも数匹とまっています。どうやら樹液が目当てのようです。
また、36号墳の墳頂部には、やや細い木があるのですが、3m位の高さに謎の爪痕が・・・ まだ新しい感じです。
防寒だけでなく、安全対策も早めに講じたほうが良さそうです。
藤袴(フジバカマ)の花
2010.10.26
秋の七草の一つである藤袴は、キク科の多年草で、花は藤色がかった白色です。
藤袴は、平安時代には河原や野辺に咲く山野草として親しまれており、乾燥させた花は香料にも利用されていました。当時の女性達は香袋に入れ、十二単にしのばせていたみたいです。
私がこの花を初めて見たのは3年前、それまでは名前しか知りませんでした。
イメージとは少し違いましたが、小さなつぼみがたくさん付いていて、なかなか味わいのある花ですよね。
秋の七草の中の葛(クズ)や尾花(オバナ)は近所の堤防でよく見かけます。また、藤袴や桔梗、撫子(ナデシコ)の花を庭先に植えて、切り花としても飾っています。
お仏壇やお墓にもお供えすることもあります。
象鼻山発掘状況15
2010.10.25
今日から象鼻山36号墳の掘り下げがはじまり、20号墳と36号墳の調査を併行して進められるようになりました。
36号墳の調査はまだこれからですが、20号墳については、その築造時期や、築造工程などの情報が得られつつあります。
写真は、20号墳の墳頂部やや東で検出できている石列です。現状での土層観察では墳丘完成後の表面に露出しない可能性のほうが高そうです。
また、この石列で気になるのが、用いられた砂岩の脆さ。スコップで簡単に削れるくらい風化が進んでいます。
これまで調査した墳墓では、用いられている砂岩はいずれも固く、間違って掘り潰してしまうような心配はなかったのですが・・ 20号墳は違うようです。
慎重に掘り進めないと危ないですね。
この不思議な20号墳、多くの木に囲まれているため、調査中に野鳥を見かける機会が増えました。下の写真は、20号墳のそばの木に巣穴をほるキツツキ(コゲラ)です。
仲良くできるといいな。
象鼻山発掘状況14
2010.10.22
20号墳の発掘調査が進む中、36号墳も調査の準備が整いました。
36号墳はこれまで全長17.8mの方墳と推定されていましたが、掃除が終わった後の状況をみると、なんだか大きく感じます。墳形もひょっとしたら変わるかもしれませんね・・
掘下げがはじまるのは、来週から。
どのような結果が得られるか、今から楽しみです。
北尾春圃顕彰祭
2010.10.21
北尾春圃は養老町室原に生まれ、江戸時代に名医として知られていた人物で、診察を受けようとした患者が門前に列をなしたことや、仙台藩が春圃を召し抱えたいと申し出たとき、それを惜しんだ大垣藩主が多くの蔵米を与えてとどまらせたという逸話が残っています。
正徳元年(1711)第8回朝鮮通信使が大垣に宿泊した時には随行の医師と会談し、その様子を「桑韓医談」として出版しました。また、詩や漢学にも造詣が深く、享保4年(1719)に第9回朝鮮通信使が来た際には、詩を詠んで使節団を接待したといわれています。
今度の10月24日(日)、午前10時より北尾春圃顕彰祭が福源寺の顕彰碑前にて行われます。
北尾春圃について詳細はこちらをご覧ください。
なお、本日はサーバーメンテナンスの予定でしたが、早く終了したので更新しました。
養老町文化財保護協会での講演。
2010.10.20
昨日は養老町中央公民館において、養老町文化財保護協会の会員研修会が開催されました。
私も1時間ほどお話をする時間をいただき、日頃の業務の中で感じる課題や、それらをクリアするために町教委で行っている取り組みなどを紹介しました。
ただ、文化財の保護やその活用といった問題は、一朝一夕に片付く性格のものではないですよね・・
先達の築いたものの上に、さらに地道な取り組みを重ねていくことが、次につながっていくような気がします。
それにしても最近の保護協会からは、養老町の文化財が直面している問題に正面から取り組もうという意志を強く感じます。
こちらも、この変化に対応できる準備をしておかなければならないでしょうね。
さて、このウェブサイトですが、明日はサーバーメンテナンスにより、1日更新をお休みさせていただきます。そのため、次の更新は明後日になりますので、よろしくお願いします。
栗名月(十三夜の月)
2010.10.19
栗名月(くりめいげつ)は、旧暦の9月13日に眺める月のことです。このため十三夜の月とも呼ばれます。
明日が「十三夜の月」ですが、我が家では、少し早めにすすきと栗を飾りました。先月の中秋の名月では、すすきを探すのに苦労しましたが、今回は散歩がてら簡単に取ることができました。
9月の十五夜はすっきりしない天気でしたので、明日の夜は晴れてほしいです。
すすきを探す途中でトノサマバッタに遭遇しました。カメラを近づけても逃げませんでした。何だか危険をおかしても、子孫を残すことを選んだように私には見えました。
桜井の泉
2010.10.18
養老町には日本武尊を祭神とした「白鳥神社」が上方と桜井に鎮座しています。桜井白鳥神社の境内には泉があり、ここには日本武尊にまつわる次のような伝説が残っています。
病気の日本武尊が伊吹山から都へ帰る際に、養老山のふもとを通り桜井で休息をしました。その時に飲んだ水がとても美味しく、桜の香りがするといって喜び、さらに気分も良くなりました。それで、その泉を「桜井」と名付け、村名も桜井と言うようになったと伝えられています。
実際に飲んでみると、冷たくて口当たりが良かったです。
機会があれば、また飲んでみたいです。
この泉は「日本武尊遺跡」として養老町の史跡に指定されています。
象鼻山発掘状況13
2010.10.15
象鼻山12・14号墳の作業が終了に近づく中、象鼻山20号墳の掘り下げがはじまりました。
象鼻山20号墳は、山頂部をやや南に下がった位置にある方墳で、全長約16.5mと推定しています。
まだ、調査は始まったばかりなのですが、すでにそこそこの土器片が出土しています。
上の写真は、そのうちの一つで、おそらく壺の体部片です。よくみると、波状や直線状の文様が施されているのが確認できます。
このほか、甕や鉢も発見されました。
調査が進んでいないため、出土地点の評価や土器片の編年的位置づけはこれからになりますが、調査の進展が楽しみな状況です。
また今日は、象鼻山の栗でつくられた栗きんとんをいただきました。
とってもおいしかったです。
養老神社例祭
2010.10.14
10月8日(金)、養老公園内にある養老神社で祭りが行われ、調査に伺いました。
午後1時より、神事が始まり、まず養老神社で神輿に遷された御神体は養老町白石の燈明を経て、御旅所へ移られました。
そして、午後7時、この祭りの一番の見どころである松明行列が始まりました。これは、天皇行幸を祝った時の模様を再現していると言われています。
この松明行列は、数十年前までは、青年団が中心となり山道を練り歩いたそうです。また、その様子は養老町の平野部からでも確認できたというお話も聞くことができました。
現在では青年団活動の沈静化や山火事の危険性が考慮され、小中学生が中心になり、山道ではなく舗装された道路を練り歩くようになりました。地元にとっては、物足りなく感じるそうですが、それでも2m近くある松明を振り回す姿は、今まで見た祭りでは感じることのない衝撃を覚えました。
また、行列が終わった後の御旅所は松明の火で照らされ、とても幻想的でした。
午後8時頃、御神体が養老神社に還され、祭りは無事に終了しました。
養老神社の祭は僕にとって、衝撃と感動が大きく、調査ということをしばし忘れました。
ぜひ、来年も見に行きたいと思います。
ふるさと養老秋まつり
2010.10.13
養老公園もみじまつりが、10月1日から11月30日まで養老公園一帯で開催されています。とくに今年は養老公園開設130周年にあたり、様々な記念イベントがあります。
その一つである「ふるさと養老秋まつり」が10月9日(土)に開催され、私は「養老公園内史跡めぐりスタンプラリー」に参加してきました。養老公園内の5つの史跡をめぐるもので、約8Kmを3時間ほどかけて散策します。
あいにくの天気ではありましたが、全ての写真シールを集めることができました。
チェックポイントの一つである妙見堂では、秋海棠の花にも出会いました。
ふるさと養老秋まつりは翌10日(日)にも行われ、晴天の中、大勢の方が訪れたそうです。
次は、秋晴れの日にもみじを見に行こうと思っています。
象鼻山古墳群の視察依頼。
2010.10.12
養老町教育委員会では、平成23年2月11日に象鼻山古墳群シンポジウムの開催を計画しています。
これに伴い、その発表者をお願いする予定の石野博信先生に象鼻山古墳群の視察を依頼し、今日実現しました。
象鼻山12・14号墳の調査状況を中心に説明し、これに対し重要な助言をいただきました。
ありがとうございます。
中でも、岩盤上面に分布する礫群へのご意見が、大きな課題として残りそうです。
人の手によるものなのでしょうか・・
さて最近の象鼻山山頂では栗のシーズンがはじまっています。
中でも今日は連休中の雨の影響か、たくさんの栗がおちてきました。
栗きんとんになって再会できる日が、今から待ち遠しいです。
象鼻山でみつかる旧石器。
2010.10.08
象鼻山古墳群の発掘調査では、古墳時代の遺物の他に、旧石器時代の遺物も出てきます。
写真の石は、後期旧石器時代の石器で、石器の素材を剥がし取った後の母石です。14号墳の墳頂から2m下の地点、岩盤層のすぐ上から出土しました。
このことにより、かつて象鼻山の山頂では旧石器時代の人達が石器を作っていたことや、14号墳の墳丘が2m以上盛土して形成された可能性が高いことなどが分かります。
古墳が有名な象鼻山ですが、それよりずっと前から、人間の活動の舞台となっていたようです。
ただ、象鼻山の山頂部に石器の石材は産出せず、水もありません。旧石器時代の人がなぜこの場所で石器を作ることにしたのか、とても気になるところです・・
象鼻山発掘状況12
2010.10.07
象鼻山12・14号墳の図面作成が依然として続いていますが、併行して20・36号墳の調査準備に着手しました。
今度の墳墓は、両方とも茂みの中にあるので、たどり着くのが大変です。
とりあえず最初は、道づくりと樹木の伐採からはじめました。
どちらも、中心部からやや外れた位置にある墳墓であり、その所属時期がいつになるのか今から楽しみです。
秋祭り開催
2010.10.06
10月2日(土)、3日(日)には、町内のあちこちでお祭りがありました。
このうち、僕は船附八幡神社と栗笠福地神社のお祭りを、調査を兼ねて見に行きました。
土曜日に伺った船附八幡神社の例祭は、高い櫓に設置した4張の太鼓を叩くのが本来の姿だったのですが、時代の流れとともに安全性や人的な問題を配慮し、今年また櫓が低くなったようです。
しかし、このことによって子ども達が太鼓の演奏に参加できるようにもなりました。
櫓には昼間から練習をして、マメがつぶれても叩き続ける子や、太鼓が破れんばかりに気合いを入れて叩く大人達の熱気が印象的でした。
日曜日に伺った栗笠福地神社の例祭では、初めて「栗笠の獅子舞」を見ることができました。
滑稽な獅子を表現した「剣呑み」や、アクロバットな動きの「羽根越し」には見物人から拍手がおくられていました。
また、子どもを肩に担いで舞台を一周する「お山の道中」はとても迫力がありました。
ただ、予定していた祭り踊りは雨で中止となり、福地神社のお祭りは獅子舞の奉納で終了しました。
残念です。
同日行われた室原熊野神社例祭の曳車山も雨で曳き出されることはなかったようです。
来年は晴れてほしいなぁ。
コスモス(秋桜)の花
2010.10.05
養老町宇田(北野地内)の田んぼに咲いているコスモスの花が見頃で、地域住民や道行く人の目を楽しませています。
夏に紹介した「ひまわりの畑」と同じ、平成19年度から始まった「農地・水・環境保全向上対策事業」の取り組みの一つで、遊休農地の荒廃を防ぐために景観植物を植えています。
秋の代表的な花のコスモスは、日本の風景にとけこんでいますが、原産地はメキシコです。また、見た目の弱々しさとは違い、台風などで倒されても茎の途中から根を出し、再び立ち上がります。
明日は、近くの幼稚園や保育園の園児がコスモスの花を見学に来るそうです。
爽やかな秋空の下、子どものにぎやかな声が聞かれることでしょう。
田中道麿翁慰霊法要が執行されました。
2010.10.04
平成22年10月4日(月)9時より、養老町飯ノ木の長円寺にて、田中道麿翁顕彰会主催による54回目の慰霊法要が執行されました。
田中道麿翁は養老町飯ノ木出身の国学者で、万葉集の研究に大きな功績を残した人物です。
この道麿翁は万葉集の研究だけでなく、自身でも多くの歌を残しました。
それらは、顕彰会副会長の山口一易先生によって、『道麿さんの歌』に詳細にまとめています。
その内容をみると、歌の奥深さを感じさせられる一方で、意外に遊び心をくすぐるような歌が多く、その敷居が低いことに驚かされます。
特に、地名や生き物の名前を歌に詠み込んだ道麿翁には親近感さえ感じますね。
地元の方が、翁のことを「道麿さん」と呼ぶのもわかる気がします。
こうしたことから、今年の慰霊法要でも地元の広幡小学校6年生がつくった歌が披露されました。
今年は心意気を歌った作品が多く、力作揃いでしたが、その中でも中島さんの
前向きの 心は常に 輝いて 私もまっすぐ 輝きたい
という歌が私には印象的でした。
心の中でタギゾウくん賞を贈りたいと思います。
養老町飯積の山車と人形浄瑠璃。
2010.10.01
養老町史通史編には、町内の各大字の沿革史が記載されています。
その中の養老町飯積の記述を読むと、むかしの飯積には、山車が1輌と人形浄瑠璃があったと書かれています。
これまで、この記述をどの程度信じていいのかわかりませんでしたが、多芸公民館長さんから飯積八幡神社で、人形の頭と、山車の幕を発見したとの連絡を頂きました。
さっそく伺ったところ、人形の頭を3つと、山車の幕1枚などを確認することができました。
詳細な検討はこれからですが、どうやら町史の記述は真実であったようです。
今回のように町史の記述の裏付けがとれる事例は稀で、こうした文化財が飯積に保管されていたのは幸運でした。また、館長さんのご協力にもお礼申し上げます。
養老町には他にも人形浄瑠璃や山車を所有している地区があるため、それらの地区と飯積の比較が次の課題になりそうです。
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