History 歴史
聖武天皇の宿泊地
740年11月、聖武天皇は東国行幸の一環として、多藝郡に立ち寄ったことが続日本紀に記されています。しかし、養老町に関わる記述は「十一月二十六日美濃国当伎郡に至る」という短いもので、詳細は記されていませんでした。そのため、聖武天皇が養老町のどこに宿泊したか、明らかになっていません。しかし、その前の滞在場所が桑名郡であり、次の目的地が不破郡であること、そして行幸の規模が総勢400名を超えるものだったと推定されていることから、聖武天皇の宿泊地は、養老山麓東の街道沿いにあったのではと考えています。現在、養老町に古代の遺跡は12遺跡ありますが、そのうち740年頃の遺物が多く発見されている遺跡は、日吉遺跡、室原東遺跡、戸関遺跡の3つに限られています。そしてこの中で、戸関遺跡だけが養老山麓東の街道沿いに位置し、遺跡の範囲内に、中門や東門、南門といった小字があることから、現段階で最も聖武天皇の宿泊地にふさわしいと考えています。聖武天皇はここに宿泊になり、どこをご覧になられたのか、とても興味深い遺跡です。
参考資料
- 『聖武天皇東国行幸都市交流サミット資料』2008