Cultural Properties 文化財
栗笠専了寺文書
- ■指定:養老町指定文化財
- ■種別:有形文化財
- ■種目:古文書
- ■時代:江戸
一 多芸郡栗笠村絵図
文化21年(1815)9月に書かれたもので、栗笠湊がまだ栄えていた時であるので、船問屋佐藤次郎左衛門家を初め、分家の文四郎・宇内・丈右衛門・与三郎・三郎次など佐藤家一門が町通り北側に軒を並べています。
町通りは当時としては広いもので巾4間(約7m)、現在も変わりません。寺は現在の位置と変わりませんが、興専寺は村の西端南側にありましたが、現在のところにも屋敷がありました。湊町として栄えた姿がしのばれます。
二 宗門御請合手形之事
徳川幕府はキリスト教禁止のため宗門改めを実施し、寺請制度を定め、宗門改帳の作製を命じ、すべの人はどこかの寺に所属しなければならないことを命じました。そして婚姻・奉公・旅行・移住などの際には必ず住職から、キリシタンでないことの証明が必要となりました。この証明を寺手形・寺請手形・宗門送り状などといいました。この制度は寛永17年(1640)頃から行われるようになったようです。この寺手形は出雲国の娘が伊勢参宮し栗笠村の五兵衛と因縁が結ばれたための寺手形で明暦2年(1656)のものですが、形式はまだ整っていません。
三 宗門送り状
栗笠村へ引越すにあたり、小嶋村(現海津町)住職が①代々東本願寺宗当寺の檀家であって、決してキリシタンの信者筋の者ではないことを証明し、②若し宗門のことで訴人があった時は、住職が申しひらきをして貴寺には御難儀をかけませんと誓約したものです。この寺手形は天和元年(1681)のもので、この時代には寺手形の形式後代のものと大差のないように整ってきていることを知ることができます。