立川 勇次郎
たちかわ ゆうじろう
立川勇次郎は養老鉄道を開発し、西濃地方の発展に貢献した人物です。岐阜県大垣市に生まれ、24歳のときに東京で代言人(弁護士)になりました。しかし、僅か3年で時代の流れを読み実業家に転身。「都市の発展には大量輸送機関が不可欠」と考え、現在の京浜急行電鉄の前進となる大師鉄道の専務取締役に就任します。その後、故郷の西濃地域を開発するため、養老鉄道株式会社を設立、大正2年(1913)には池野-養老間、6年後の大正8年(1919)には池野-揖斐間、養老-桑名間の営業を開始。しかし、蒸気機関車に満足せず電気鉄道にこだわり、自身が社長をつとめていた揖斐川電気株式会社(現在のイビデン株式会社)と養老鉄道株式会社を合併し、養老鉄道全線電化工事を行いました。こうして完成した養老鉄道は国鉄東海道線と関西本線を結ぶ輸送機関として活躍し、西濃地方の経済、文化の発展に大きな影響を与えました。立川勇次郎は、現在の新幹線に繋がる事業を企画するなど、現代の私たちから見ても豊かな発想の持ち主でした。
[出生地]
岐阜県大垣市(おおがきし)
[時代]
文久2年-大正14年(1862-1925)
[記念碑など]
立川勇次郎顕彰碑(養老駅前)
山口 俊郎
田中 道麿
北尾 春圃(秋峰)
佐竹 直太朗
鬼面山 谷五郎
渋谷 代衛
大久保 休吾
初代 岡本 喜十郎
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