徳願寺蓮如上人の弟子であった伊豆の伊東彦重郎(いとう ひこじゅうろう)氏が夢のお告げで安久に移ってきて、応仁2年(1468)に創建されたといわれている。徳願寺の近所に住むA氏の先祖も伊豆から伊東彦重郎とともに移ってきた。徳願寺は江戸時代には寺子屋として使われており、昭和初年頃から農繁期には宇田の西徳寺、安久の正覚寺徳願寺の3カ寺で一年交代で保育園を開いていた。2010年現在の住職は、15代目である。徳願寺門徒は主に安久・中・橋爪・仁位の住民だが、昔は安八郡輪之内町福束にも門徒がいた。
平成15年(2003)の蓮如上人500回忌に際して御堂の改修を行った。過去には濃尾震災にも耐えてきた。相焼香は直江の蓮光寺である。
橋爪の門徒は8軒と半門徒があった。現在徳願寺門徒が離れていっており、門徒数が少なくなりつつある。報恩講は2月最後の土日に開かれる。報恩講は門徒が世話をしている。
徳願寺に幽霊の掛軸が保管されている。時代は不明だが徳願寺の歴代住職の内の一人が書いた墨絵で、橋爪へ常半に行く途中のどこか、松の木と石のあった場所に出たといわれる女性の幽霊を描いたものである。その絵を見ると、実際に幽霊がでると言われている。
常半の御布施は一年分先納めする。昔は常半1回で米一升を納めた。
明治35年頃の徳願寺の門の写真がある。
徳願寺の花まつりは4月8日に近くの寺院と持ちまわりで行われていた。昔はお庫裏さんがオルガンを弾いて子供たちと歌を歌っていた。現在はレンゲの開花を待って5月8日に行われ、レンゲの花で花御堂をつくる。

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町史、郡史に徳願寺の記録がある。養老町史通史編下巻P.390。 養老郡史P.606。 表示位置は徳願寺を示している。