養老町金屋(かなや)の鋳物師集団は、文明11年(1478)谷汲山華厳寺の鰐口、天和4年(1618)安八郡平野庄末守村の信願寺の鐘等、13世紀末から17世紀初頭まで多芸郡金屋村での在地鋳造が明らかになっている。大野町教育委員会の飯沼敏克先生の資料によると「大野町における野村鋳物師は織田河内守が多芸郡大塚村から、大野郡野村に屋敷を移した折に、金屋から鋳物師の後藤、伊藤一族を移住させたもの」という一文が記されている。

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表示位置は金屋鋳物師居住地跡を示している。