常盤町の車山は横町車山とも呼ばれ神事の進行にあまり関係なく巡行しており、明治、大正頃は横町車山が通りに出てくると、他の車山がふざけて横町車山を挟んで身動きが取れなくしてしまい、横町車山組の者が車山を置いて帰ってしまうこともあったと聞いた。昭和の間では、横町車山の歌舞伎は1~2度ほど演じられただけである。横町は小俵屋、かつて骨董屋をされていた西脇氏、土屋八十郎、大晃堂、白木、島津屋などが軒を連ね、錚々たる顔ぶれであった。山口医院は南町であり、原泉堂も常盤町には入らず高田祭りには関係ない。やまろくも元々は常盤町にあった。他の町でも見られるが常盤町は最初の車山の進行の際、紋付袴姿で辻まで出て一礼されている。

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表示位置は常盤町の車山蔵を示している。