丸毛兵庫頭(まるもひょうごのかみ)は明応5年(1496)に多芸の大墳城主になった。兵庫頭は秀吉に願い出て、福束城(輪之内町福束)を与えられ、領地も1万石から2万石に増えた。自分の妻・丸毛不心斎(まるもふしんさい)女房(61、62歳)を関白秀次の妾として出している。そのお礼に、秀次から1万石増俸され、福束3万石の城主となった。当時は、権力の駆け引きとして政略結婚は多かった。秀次が切腹を命ぜられた時に、丸毛不心斎女房は、辞世の歌を残して一緒に死んでいる。

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表示位置は大墳城跡を示している。