あほ除(よげ)は明暦2(1656)年に築かれた。
押越村(おしこしむら)から下笠村(しもがさむら)にかけては幕府領、尾張藩領、高須藩領などが入り組む土地であった。そのため、あほ除は尾張藩と高須藩の立ち合いのもと、口ヶ島(くちがしま)、西岩道、岩道、下笠、中島(なかじま)などを水害から守る目的で作られた。この除は養老山地の勢至(せいし)谷からの水を金草川に流してもいるので、勢至谷請堤防(せいしだにうけていぼう)ともいわれた。
除の高さは押越村を守るため、押越村の宅地の高さまでとされている。除跡は現在も押越地区に残っており、厳重に維持されている。

Posted in 広幡, 災害, 笠郷, 経済, 養老, 高田 | Tagged , | Leave a comment
あほ除については「養老町 郷土の治水」p.24~p.27、p.50参照。表示位置はあほ除を示している。