明治17(1884)年に時習学校と立心第二学校が合併して、生徒数30人程度の口ヶ島学校ができた。初代校長は戸倉谷三郎氏、教員は2名であった。
その後5つの村で広幡小学校を作った。当時は、教員免許はなく、村の中から指導ができる知恵を持った人がやっていた。免許はなかったが、勉強はしており、大垣へ歩いて勉強に通った人たちである。

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表示位置は口ヶ島学校のあった場所を示している。