タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

先人 | タギゾウくんの養老ノート
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先人

徳命之拓心霊碑

西小倉開拓の沿革と殉難者の慰霊碑が西小倉集会所の広場に建立されている。「徳命之拓心霊碑」と刻され、自然石の台座の上に横約2m、縦約1mの黒御影石で、揮毫は当時の養老町長津田洯氏による。昭和50年(1975)8月15日に建立された。 太平洋戦争中「満州国北 [...]

善道大師御縁起

林照院(りんしょういん)の御厨子に安置されている善道大師像は、寛文年間(1661)大巻村柳原の地に柳照庵と号して創建した際に、根古地村の天照寺の開基、聖誉怒迪(しょうよじょてき)上人より賜った御尊像であり、「えび雑炊の善道大師御縁起」として語り継がれている。こ [...]

野村鋳物師

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養老町金屋(かなや)の鋳物師集団は、文明11年(1478)谷汲山華厳寺の鰐口、天和4年(1618)安八郡平野庄末守村の信願寺の鐘等、13世紀末から17世紀初頭まで多芸郡金屋村での在地鋳造が明らかになっている。大野町教育委員会の飯沼敏克先生の資料によると「大野町 [...]

織田河内守長孝の大塚村屋敷跡と浄蓮寺の野村モミジ

織田河内守長孝(おだかわちのかみながたか)領屋敷は、現在の安久(やすひさ)地内、名神高速道路南の正覚寺、須賀神社付近にあったと推定されるが、同寺社ともに江戸期の創建であり、屋敷が所在していたであろう時期と重複している。安久村は江戸初期、正保(1596)頃郷帳に [...]

祖父江輪中の排水の沿革

祖父江村には条里の名残の一之坪という字名があり、村の開発は相当古いと思われるが、相川、杭瀬川、小畑川などに囲まれた低地であったがために、数多くの悪水吐樋や悪水落江を必要とした。祖父江輪中は3600mに及ぶ長さの堤防によって守られて来たが、その為に悪水の排除に苦 [...]